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日蓮大聖人・池田大作

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広布は大自然の道理 北海道本部大幹部会

1963.8.24 「会長講演集」第10巻

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1  仏法に「教・機・時・国・教法流布の先後」という大原則があります。時という問題は、絶対的な問題であるわけなのです。太陽がのぼるといえば、どんなにさえぎろうとしても、太陽はのぼってしまうのです。上げ潮といえば、どんなじゃまがあろうが、だれがさえぎろうとしても、上げ潮はどうしようもない。上げ潮としての大自然の法則です。
 いまは秋です。いま二階で色紙を欠いておりましたけれども、ここは自動車の騒音がたいへんです。何百台の自動車が排気ガスを出しながら走っています。何十万人の人がこの札幌の地へきて土を掘り返そうが、野球をしうようが、なにをしようが、また、皆さん方が笑ったり泣いたりしようが、秋という問題には変わりがないのです。どんなことがあっても、いまは秋です。それは絶対的なものです。
 この大法則、これが妙法です。とともに「南無妙法蓮華経の仏法が広宣流布される」と、これは仏の予言です。だれびとが反対しようが、どんな権力者が圧迫しようが、秋をすぐ冬に変えるわけにはいかない。秋という大自然のこの季節を、夏に変えるわけにはいかない。同じように、次の時代は日蓮大聖人様の生命哲学、すなわち三大秘法の仏法によって、一国も全世界も広宣流布されていく以外に道がないのです。そうなるに決まっているのです。これが、教・機・時・国・教法流布の先後なのです。
 その先駆として、一千万人近い学会員の代表として幹部になった皆さん方が、仏になれないわけはないでしょう。いまをおいて成仏の時期があるわけがないのです。
 秋になれば、稲だって刈り取るのです。人類三十億いるなかで、先駆者として大御本尊様をひろめて、そして大幹部になっていて、諸天善神が守らない、また三世十方の仏菩薩が守らないわけがありません。これを確信していただきたいのです。
2  大河の流れのように、広宣流布の流れはまっすぐに進んでいることは、これは経文に照らし、そしてまた、現実の世相に照らしてみて明らかであり、また、すでに証明されている絶対的な真理なのです。したがって、皆さん方は、その大河の流れのなかの先端をきっているのですから絶対に幸福になれるし、また、事実、幸福であります。いま、これを確信しきって、りっぱな一生を終わっていただきたいのです。有意義な人生を終わっていただきたいと、これを強く確信していくことだけが最高幹部としての自覚です。
 したがって皆さん方が遠い道を歩み、また、めんどうな事件があって、処理していかなくてはならない。だれからも一銭ももらうわけではなくして、一面から考えればかわいそうな気もします。これは、会長だって考えればたいへんです。皆さん方より相対的にはたいへんです。これはわかるでしょう。だから私もたいへんなことが自分でわかるがゆえに、皆さん方のたいへんなことがよくわかるのです。
 ひるがえって、一面考えれば、これほどの名誉はないではありませんか。これほどの福運は絶対ありえません。
 私もいまちょっと書きものをしながら「書道の大家も、どれほどの苦労をして大家になったかな」と考えたのです。代議士だって、いまの大臣級だって「ずいぶん楽してインチキばかりして、うまくやっているな」と思うかもしれないけれども、一面から考えれば、それはそれは考えられないほど、いままで苦労はしてきたと思うのです。大実業家もしかり、またかつての軍人もしかり、いまの社会主義の指導者もしかり、文学者にしても、詩人にしても、芸術家にしても、これはみんな共通です。ほんとうに人生を価値創造しながら有意義なる人生を生きている人は、社会のために尽くしている人は、みんな苦労はつきものであると私は思います。苦労なくして偉大なる人生を生きられるわけがないのです。
 だが、多くの人はその苦労がムダになっていました。むしろ社会悪になっている場合もあったかもしれない。犠牲になっている場合もあったかもしれない。しかし、日蓮大聖人様の仏法は、なんにもそこにムダがないわけです。いっさいの活動は、最高善ですから、ぜんぶ自分の福運になってしまうのです。一切法これ仏法です。
 これを確信した場合には、しみじみと大御本尊様の偉大さをわからなくてはいけないと思います。皆さんは、仕事をやりながら、それぞれ指導の任にあたっています。そして、皆さん方は学会の大幹部であります。どういう態度でなくてはならないか。
 なんといっても信心です。御本尊様に祈りきり、御本尊様のお力をちょうだいするのです。これを、あくまでも第一義の問題とし、精神とし、根本として、あとはどんな事件があろうが、問題があろうが、いっさいが変毒為薬できるのだということを確信すれば、いっさいが解けてしまうのです。
 どんな努力も、どんな苦戦も苦難も、ぜんぶ、それが宿命転換であり、自分の大福運に変わるのです。これを確信すれば楽しくなるのです。日蓮大聖人様の仏法は、煩悩即菩提です。要約するならば、第一にいっさいを御本尊様に願いきっていくというこの信心、御本尊様のお力は宇宙大です。いくらでも力をいただけるのです。信心さえあれば、御本尊様と等しい力がでるのです。信心がなくして、自分の感情や、自分の増上慢や、自分の力でなんとか押さえていこうなどという心になると、苦しくなってしまいます。信心をもって、自分自身が仏の境涯を会得するのだという、その成長していく信心をしつつ、後輩を暖かくみていく、これが第一番目です。 第二番目の問題は、どんな事件があっても、いっさい罰即利益、変毒為薬できるものだ、するのだ、こう確信してしまえば、なんでもないのです。
 あとは、皆さん方の指導、折伏にあたってのその苦労は「血肉になるのだ、大福運になっていくのだ、信心していない世界でもみんな努力をして偉くなっているのだ、大成しているのだ、世に尽くしているのだ、時代を築いているのだ。また、大なる事業を成し遂げているのだ」と、こう確信し、ともに、それがいっさいの自分の福運になり、そして、また宿命転換になっているのだと確信すれば、もう皆さん方の行動は、仏道修行としての真髄を行っているのです。
3  どうか、この三つのことを忘れないで、最後の最後まで、がんばっていただきたいと思います。
 会長は若いのです。たいへん失礼ないいかたですけれども、私は、皆さん方の最後を見届けていくべき年齢です。皆さん方のお子さんを、また大幹部に、世の大指導者に育てていくべき会長です。
 どうか、ひとつ、根本は大御本尊様がご照覧くださいますけれども、学会の世界にだけにおいては、会長を信頼して間違いありませんから、安心しきって戦っていきなさい。
 ぜんぶ、それもせんじつめれば皆さん方自身のためです。なにも学会のためでもなければ広宣流布のためでもないのです。考えてみれば、みんな皆さん方のためです。間違いない仏道修行をして福運を積んで有意義に生きることができて、文句はないでしょう。
 ぞうか惰性に流されないで、そして、また少しぐらいたいへんなことがあったからといって、感情的になったり、腹をたてて、九仭の功を一簣に虧くようなことのないように、これだけは注意しなさい。十億の資産をつくっても、一夜にて大火で灰になってしまうこともあるのですから、信心もまた同じです。
 仏法は道理ですから、道理正しい一つの見方をすれば、みずから自分がわかってくるのです。けっしてむずかしいものではないのです。

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