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日蓮大聖人・池田大作

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身で示せ、勝利の姿 北陸総支部幹部会

1963.8.14 「会長講演集」第10巻

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2  また「いい話があるかもしれない」などといいますが、皆、話し家ではありませんから、いい話などありません。なぜかならば、いい話といえば、ゴマカシの政治家のほうが、よほどいい話をします。口なんか重宝なものです。なんでもうまいことをいえます。一家のご主人だって、奥さんをごまかす場合には、なんとかうまいことをいいます。子供をごまかす場合でもうまいことをいいます。ごまかそうという場合に、いちばんうまいことをいうかもしれない。また、うまいことをいう必要があるわけです。
 選挙の票を取りたい、自分の売名行為、そういう考えから、どれほどか、うまいことをいっている多くの指導者がいるかわかりません。私は青年でありますから、この点は敏感に感じます。鋭いです。
 また、話がうまいといえば、落語や講談屋さんのほうが、ずっと話がうまいかもしれません。そんな、じょうずな話などは、私はどうでもいいと思うのです。それよりも、もっともかんたんであり、すなわち、日蓮大聖人様が「三大秘法の御本尊様をひろめ、題目を上げなさい、そうすれば、いっさいの願いがかなえられる、絶対の幸福生活が、文証・理証は現証にしかずで、現実の生活のうえに確立できる」と、このたったひとことが、どれほどか私は大事であるかと思うのですけれども、どうでしょうか。(拍手)
 したがって、私たちの話はへたくそばかりです。だが、日蓮大聖人様の御金言どおりにいいきっているのです。それはかんたんです。間違いありません。私たちは人間ですし、それから凡夫ですから、たまには間違いがあるかもしれませんが、日蓮大聖人様のおおせどおりに実践しきっている団体、それが創価学会であります。
3  したがって、どうか、大聖人様のおおせどおりに、自分自身のために、創価学会のためではない、日蓮正宗のためでもない、自分自信のために、しっかりと一生涯、信心をやりとおして、幸福をつかみきっていただきたいことを祈る気持ちで申し上げます。(拍手)
 このあいだの長野の幹部会のときに黒柳理事が「どうせ、暑くて汗が出てしようがない。どうせ汗を流すのならば、御本尊様のお使いをして汗を流そう」と、まことにゆえあるかなと思ったことばであります。
 この地球上を仏法では娑婆世界といいます。これは世間の人が皆いっているとおりであります。娑婆世界とは、どういことか。現代語に訳すならば「堪忍」と訳すべきです、これは大聖人様がおおせであります。堪忍――どんな人であってもなにか悩みがあるものであるという意味なのです。いくら私たちが学会の活動をしても、していない人でも、皆、汗をかいているでしょう。私たちは、御本尊様をもたせてあげたい、早く日本の国をしあわせにしたい、悪口雑言されながら、不幸な人を救い、このように朝な夕な戦っております。
 また、われわれだけが悩みがあるか。パチンコをやっている人だって、聞いてみると、やはりずいぶん悩みがあるらしいのです。うまくはいらないかなと、汗をいっぱいかいて、ひじょうに深刻らしい。また、大臣級をみても、政治家をみても、ずいぶん偉そうに見えます。だが、その半面、胸の中ではなんとか自分が総理になりたい、大臣になりたい、その心の葛藤というものは、権勢欲、権力欲、名誉欲というものは、それは想像以上のものであると私はいえると思います。
 人気スターである俳優さんや女優さんも、ちょっと見れば、ずいぶんきらびやかで、なんにも悩みなどはないように感じますが、その内面は、私ははたいへんであると思います。というふうに準じて考えるならば、いっさいの人は悩みがたくさんあると思います。
 また、一度は、だれびとも死にます。どんなに長生きしても三百歳までは長生きするわけにはいかないでしょう。同じ死んでいくのであっても、自動車にとばされて死んでいく人。また重病となって七転八倒の苦しみで死んでいく人。また、人に殺されてしんでいく人。青酸カリを飲んで死んでいく人というふうに、さまざまな死の姿を想像できます。
 しょせん、私どもは大御本尊様を根本として、自分自信の宿命打開のための悩みとの闘争、悩みをなくしていくための信心、人生、そしてまた永遠に福運を積みきっていくための仏道修行、そういう悩みであります。そういう一生であるならば、私はなんの悔いもないし、これ以上の有意義な人生は絶対にないと絶叫したいのであります。(拍手)
4  私は皆さん方の会長として、ほんとうに申しわけない気持ちであります。未熟であり、そしてまた力はなく、だが、なんとか会長として、皆さん方のご期待にそえるように、また日蓮大聖人様の御金言にそうて、おほめのことばをいただけますように、私は私なりに真剣であります。朝晩、ただ、なんとか三百六十万世帯の人が、一千万人になんなんとする同志の方々が、ひとりも事故なく、信心をまっとうしきって、ぜんぶ幸福になりきっていただきたい、こういう願いで、朝な夕な御本尊様に祈りきっておりますから、これで、お許しを願いたいと思います。(拍手)
 私は信心して今月で満十六年になります。泉先生や小平先生は大先輩であります。
 二十何年かの信心であり、いまのこの福運の姿はご存知のとおりであります。だが、私自信のことを申し上げることは私自信の証明でありますからいいきれるのです。
 私も病弱でありました。また貧乏でもありました。そしてまた、人生観、社会観、世界観当においても、あまりにも不安定な低い人生観、世界観等でありました。
 しかし、信心して、十六年をいでずして、想像もつかない心境も御本尊様よりいただきました。(拍手)物心ともに、もったいないほどの功徳も受けております。
 若いから、あまり功徳の話ばかりしたくないのですけれども、あまりにも功徳を受けすぎて、ほんとうに皆さん方に分けてあげたいくらいです。
 らく戸田先生が「私の功徳は公会堂いっぱいぐらいだ。あなたがたの功徳はハナくそを丸めたぐらいではないか。(笑い)同じ御本尊様を拝んでいて、信心が弱いのだよ。強く信心して大功徳を受けなさい」と、このように申されておりましたが、その当時は、私も、ずいぶん戸田先生は偉大なお方だから、ゆゆうとそんなことをおっしゃっているのかと思いましたが、いまになって、私は少しずつながらも、戸田先生の、そのご胸中がわかるようになってまいりました。
 十六年間、私は私なりの信心でありましたが、それは苦難の道もありました。だが日蓮大聖人様がおおせのとおり、また恩師戸田先生の指導どおり、本部の指導どおりに、ただひとすじに、私はまじめに戦ってまいりました。真剣に戦ってまいりました。その結果、今日の大勝利を得ました。
 したがって、私は十六年間のことが、確信があるから申し上げるわけでありますが、十六年間、どんなことがあっても、日蓮大聖人様のおおせどおりに信心しきってきました。グチもそれはあるでしょうけれども、あとがよくなれば、少しぐらいのグチは、どうでもいいではないですか。信心しようがしまいが、だれびとにも、娑婆世界では、少しぐらいのことはあるです。
 また、怨嫉をしたり、憎んだりしないで、純真なる信心を貫き、信心をまっとうして、そして十六年目にどうなったかということを、おのおのが証明しあっていただきたいということを提案申し上げたのです。(拍手)
 お約束申し上げましたよ。私は十六年間で大勝利を得ました。そのまえに大勝利を得ておりますけれども、長くみつもって今月で十六年目でありますから、皆さん方にこれだけは絶対の確信をもって申し上げられます。
5  また、次に申し上げておきたいことは、皆さん方のなかにも、おとうさんやおかあさんや、そして兄弟の方々が信心していらっしゃらないという人がたくさんいると思います。日蓮大聖人様は「ひとりの成仏」このようにもお説きくださっている、そのうよな御書があります。兄弟や、おとうさん、おかあさんが信心していない人は、とても悩んだり、そしてまた苦しい思いをしている人が多いと思いますゆえに申し上げておきます。そういう方々は、自分自身がしっかり信心をしていけば、それでけっこうであります。人々からなんといわれようが、かならず大御本尊様のことを話し、題目をおくってあげるならば、仏縁を結んでいるわけでありますから、御本尊様を拝む拝まないは仏縁のしからしむるところでありす。かならず信心すると確信して、しっかりと自分自身が成長しきっていただきたい。またまわりの人々も、そのように激励をしてさしあげていただきたいと思うのです。(拍手)
 日蓮大聖人様は「大御本尊様をたもち題目を上げたものは福を安明に積まん」とおおせであります。「福を安明に積まん」とは福運を須弥山のごとく積むことができる。「謗ずるものは無限の道を開く」無限地獄に落ちると、このように断言していらっしゃいます。
 純真なる気持ちで大御本尊様を受持し、御本尊様を拝し、仏道修行をしていて、なんで日蓮大聖人様がお救いくださらないわけがありましょうか。三世十方の仏・菩薩が守らないわけはないのであります。おとうさん、おかあさんを救うことは最高の親孝行でありますから、それは話してあげることがとうぜんでありますが、少し長い目でみるならば、かならず、おとうさんもおかあさんも、信心するに決まっております。
6  また、反対に私どもを誹謗し、私どもをバカにした人たちは、一年、三年、七年、十四年とみてごらんなさい。その不幸な現証の姿を、まざまざと私たちの眼前にあらわすのが仏法の方程式でありますから、それを確信しきっていただきたいのであります。
 先日も、ある婦人部の幹部の方が登山をして報告をしておりました。戸田先生をいじめ、学会を利用しきってきた人が、二度も夜逃げをしなければならない現状になってしまった。退転状態で、学会除名のようなかっこうではありますが、その人の奥さんや娘さんが信心をして、いくぶんよくなったが、また本人がなにかで悪口をいったらしくて、今度あらわれたときには、もう自殺をするかもしれないような姿、フラフラになって夜逃げ寸前に、わざわざあやまりにきて、あわれな姿を見せて去っていったのです。これが仏法のきびしさであります。
 私も十六年のあいだ、たった十六年間でありますけれども、まじめに信心をしてきた人のその現証は、なんだかんだといいながらも、かならずよくなっているという事実です。反対に学会を誹謗し、そのときはたいした存在でありましたけれども、いまになってきて頭を下げ、見苦しいほどまでに気の毒な姿をいくつか見ております。
 どうか一生涯が人生であります。信心した人が勝つか、御本尊様を罵倒し、われわれを軽したものがしあわせになるかということを一生涯かかって私どもはりっぱに勝負を決していこうではありませんか。(拍手)
 信心の強い人も弱い人もいると思います。しかし、いずれにしても、大御本尊様だけは絶対に間違いないことだけは断言しておきます。どんなことがあっても、どこに頭を下げなくても、御本尊様だけは一生涯、受持しきっていく、守りとおしていく、これだけは皆さん方のために私はくどいほど申し上げておきます。
 どうか新支部長、そしてまた本部長を中心として、仲良く、そしてまた仏道修行だけは勇敢に、学会活動、人生等においては楽しく、私とともに歩まれんことを心から念願しまして、激励のことばとさせていただきます。ご苦労さまでした。(拍手)

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