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日蓮大聖人・池田大作

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前進の源泉、教育部 第2回教育部全国大会

1963.8.1 「会長講演集」第10巻

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1  たいへんにりっぱな総会、まことにおめでとうございました。(拍手)
 ご存知のとおり、わが創価学会の歴史は苦難の道を歩むこと三十数年間でありました。その三十数年のあいだ、もっとも不思議な宿習というか、伝統とされたのは、創価学会を推進し創価学会をささえてきたのは、教員の方々であったということです。
 牧口先生も教員であられ、戸田先生も教員であられました。残念なことに私はそうではありませんが、だが、私を厳然とささえてくれている原島理事はじめ、多くの理事は教員出身ではありませんか。
 その宿習、伝統をば、永遠の学会の一つの旗じるしとして進んでいただきたい。したがって「教育の前進は、わが創価学会の前進である、創価学会の前進の陰には、かならず教育部の前進がある、創価学会が前進しない、停とんした場合には教育者の責任である」と、このように決めておきたいと思いますけれども、よろしいでしょうか。(拍手)
 その教育部の根幹も、申すまでもなく信心であります。皆さん方の先輩の教員の同志の人々は、太平洋戦争中において、幾多の苦難を受けて今日の栄冠を勝ち取ったのであります。
 信心の勝利は、すなわち人生の勝利であります。信心の勝利は、社会人として、社会にあっての大勝利を意味するものであります。一切法これ仏法であります。学会人としてりっぱに幹部の使命を達成できるということは、すなわち信心が日蓮大聖人様のお心にかない、人生において、社会人として大功徳を受けられる因果の理法であると、こういう確信をもって、教育部員は前進していただきたいのであります。(拍手)
2  次に提案申し上げますことは、副理事長会においては懇談していたのでありますが、きょうのこの盛大なる第二回大会を見ましても、過半数が女子の教育部員のかたがたで占められております。ひじょうにうれしいといえばうれしいし、男性軍にとっては、ちょっと寂しいといえば寂しい感じでありますが、教育部長が柏原先生でありますゆえに、どうしても女子教員のほうに力が加重されるのではないかと、こういうふうに感ずるのです。
 柏原先生は教育部結成以来、全魂を打ち込んで今日までの大発展をさせました。その努力に対しましては敬意を表している者でございますが、この第二回大会の教育部の発展をまた大きい土台として、来年、再来年のことを考えた場合に、このまま柏原先生が教育部長であると、第三回目の大会は、ぜんぶが女子教育部員で、男性は一割ぐらいになってしまうかもしれないと、そういう恐れもありますので、私は男性でありますから、このへんで手を打たなければ、男性軍に申しわけないと思うのです。(笑い)皆さんも応援してください。(拍手)
 とうぜん、女子教員の先駆を切って命を賭して、牧口門下生の第一人者として柏原先生に、その教育部の使命を達成するまでがんばってもらいますが、柏原先生は副教育部長、主任副教育部長となっていただいて、女子教育部員のほうの訓育にたずさわっていただき、全体としまして、とくに男性を代表して、文化局長である辻先生に教育部長になってもらうことが歴史的必然ではないかと思うのですけれども、どうでしょうか。(拍手)
 男性のほうで賛成の人は手を上げてください。(全員が挙手)。では満場一致。女子のほうは一つ寛大にみてください。(笑い)では、本日より辻先生に教育部長となっていただいて、来年の総会をめざして指揮をとっていただきます。辻先生も同じく牧口門下生の第一人者であります。どうか、辻先生、そして柏原先生は、いままで以上に、後輩のために命を賭して広宣流布のため、その源泉の教育部のために挺身していただきたいと思います。
 もしも皆さん方が教育部長や副教育部長がものたりないということがありましたならば、私はいつでも替えます。ほんとうに広宣流布のために、後輩のために、王仏冥合のために命を賭して先輩として戦う人こそが学会幹部であるということを、はっきりと私はいっておきたいのであります。(拍手)
 たとえ先輩であり、幹部であっても、要領がよくて、自分の使命が達成できなければ、いくら信心が古くても、功が多くても、仏罰はこうむります。功徳は消えます。私は、どんなに先輩であろうが、同志であろうが、身近な同志であればあるほど、信心に対しては峻厳であります。
 それは人間でありますから、多少は凡夫でありますゆえに、ものたりないところもあるかもしれませんけれども、きびしいきびしい訓練をして同志を激励しておりますから、どうかその点はご了承願って、励まし合い、助け合って、りっぱに教育部の使命を達成するまで、おたがいにがんばってください。お願いします。(拍手)
3  次に、余談になりますけれども、いままでお話がありましたように、政界も地に落ちました。労働組合も最近の新聞でご存知のように派閥抗争がさらに進み、地に落ちた感じであります。教育界も同じであります。芸術界も同じであります。経済界も同じであります。あらゆる世界が地に落ちた感じであります。このまま傍観しているわけにはいかない現状であることは、創価学会員であるものならば、ぜんぶ自覚しております。
 去年、池田総理は有名人を集めて「人づくり懇談会」をつくりました。一年間でなにをやったか。なんにもしておりません。それでキャッチフレーズばかりで「人づくり、人づくり」と、大衆を迷わすために何人かの有名人を集めて懇談会をつくってごまかして、私は、まるで政府のやることなどは「内閣商事株式会社」となんら変わりはないと慨嘆をしているひとりでありますけれども、皆さん方も同じではないでしょうか。(拍手)
 それであって、じつをいいますと、カゲでは学会のことをヤキモチをやき、または弾圧をしようと思って、あらゆる策略をしたりなにかをしております。表面では「あんな学会など、どうの、こうの」と、陰では策謀であります。だが、その本心では、ずいぶんあらゆる世界で、創価学会のことを模範にしているわけなのであります。
 池田内閣でも聖教新聞や公明新聞を一生懸命に読んでいるらしいのです。ある会社等においても、大会社等においても、本を買いにきたり、新聞等を読んだり、どうしてあんなに強固な組織ができるのだろうと、えらく研究しているところがたくさんあるそうであります。
 言論界でも、聖教新聞に載っているのが、そのままある一流新聞に載っている場合があるし、選挙のときに公政連の人の話をそのままほかの候補が話していたり、ポスターまでマネしたり、そういうようなことは枚挙にいとまがありません。
 ということは、どうしても創価学会を見習う以外にない。見習っていけばかならずよくなるのだと錯覚を起こしているわけであります。御本尊様を見習わなければならない。そこのところを見習わないで形式だけ見習う。しかし、どれほど創価学会が時代の先端をいっているかということが、この一事をみても証明できると私は思うのであります。(拍手)
4  それで、先日の新聞をみますそ、学会は選挙に強い、そしてまた、八月には講習会をやる。それを見習って、河野派は自分の派閥の連中を連れ、その選挙区の若手の運動員を十人ぐらいずつ集めて、ぜんぶで七百人といいました。そこでみっちり「高野山に閉じこもって、(笑い)各坊にはいってがんばろうではないか」と。それに相対して、今度は佐藤派が「それならば、ワシのほうは比叡山でやろうではないか」と。(笑い)
 それがいまの日本の国を左右している政治家や指導者の態度であります。どうせマネをするのならば「富士大石寺に行かせてください」と。また「御本尊様を拝ませてもらいたい」という気持ちになればべつですが、そういう気持ちはありません。たが自分の派閥だけのことしか考えておりません。それで、かっこうだけは学会のマネをしているわけであります。
 いまは、そういう根のない世界であり、社会になってしまいました。しかし、私たちは大御本尊様を根本として宗教革命をしつつ、政治革命、そしてまた文化革命、教育革命、経済革命をりっぱに成し遂げきっていこうではありませんか。(拍手)
 そこで私がとくに申し上げたいことは、創価学会は、創価学会のための創価学会では断じてありません。すなわち、日蓮大聖人様の大生命哲学をあくまでも根底として、土壌として、大地として、あとは、おのおのの社会、境遇にあって、大きく華を咲かせていただきたいのであります。
 すなわち、その一つの例としまして、政治方面においては、公明政治連名、公明会が、りっぱな一つの政治の母体であります。教育関係においても、それは一銭も集めておりませんからすぐあしたというわけにはいきませんけれども、はやかれおそかれ、大学をつくって、そこで教育の一つのりっぱな縮図もつくっておきたい。
 経済も同じであります。芸術界も同じであります。学会のためではなくして、社会のために、日本のために、世界のために、文化協会等をつくって、そこでおのおの芸術家や文化人が大きく羽ばたいてもらいたい。
5  そういう考えでありますけれども、そういう大きい、日本全体のため、社会のため、子孫末代のためへの戦いであるということを知っていただきたいのであります。
 その根底となるのは、どうしても信心であります。日蓮大聖人様も「妙法を色心と開覚する、それが勇躍歓喜なりと説くなり」とおおせであります。大聖人様の仏法は、色心不二の哲学、永遠不滅の大聖人様哲学なのであります。私どもは愚かであり、未熟でありますけれども、大御本尊様は間違いない。大聖人様の色心不二の大仏法は間違いありません。それを受持する、色心不二が生命の真髄であるということを知ることは勇躍歓喜なのである、大功徳を受けるのであるとのおおせであります。
 どうか日蓮大聖人様の御書、また大聖人様のお教えそのままを、日寛上人様、歴代の猊下がおしたための富士宗学要集等を、読んで読んで読み切っていただきたいのであります。読まずして、実践せずして批判する人はひきょうです。男らしくありません。
 あくまでも、日蓮大聖人様に頭を下げることは恥ではありません。どこにも私どもは頭を下げる必要はないでしょうが、大聖人様だけには、御本尊様には、そしてまた、永遠に衆生をひとりももらすことなくお救いくださる、日蓮大聖人様の大生命哲学だけにはこうべをたれ、そしてまた実践に実践をし、研究に研究を重ねていくことが学会の幹部であり、そしてまた時代の先駆者であり、教育部の信心のありかたであるということを訴えて、私の激励のことばといたします。ご苦労さまでございました。(拍手)

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