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「無冠の帝王」で進む 中部第二本部幹部会

1963.7.30 「会長講演集」第9巻

前後
1  たいへんにしばらくでございました。皆さん方の元気いっぱいのお姿を拝見いたしまして、私はこれ以上の喜びはございません。
 元気な姿でお集まりでありますゆえに、皆さん方ひとり残らず大功徳を受けてい
 らっしゃると私は信じてよろしいですか。
 ためしに「大御本尊様から功徳を受けた」といえる人は手を上げてください。(ハイ、いっせいに手が上がる)けっこうです。
 それが目的でありますから、あとはもうなんにも話はないわけです。さきほど北条副理事長から話がありましたごとく、この会合が終わってから、いままでたいへんに皆さん方にご不便をかけておりましたが、第二本部の敷き地を見てまいります。そしてできるだけ早く決定し、そんなにりっぱな本部とはいえないかもしれませんが、第二本部を建設することをお約束申し上げておきます。
 東京の本部や、中部第一の本部や、または、関西関係の本部は、大都市でありますゆえに、三階、四階の鉄筋コンクリート建てでありますが、中部第二本部はそういうわけにはいかないと思いますけれども、皆さん方も文句をいう人があとで出るかもしれませんが、そのときには胸に手を当てて、自分は「そうか、一銭も出してなかった」と、こういうふうに思ってください。
 また、ただいま理事長から紹介がありましたごとく、中部の第二本部長の渋谷さんは、私の先輩でありますし、私が尊敬をしている友だちであります。それは人間ですから、渋谷さんだって、学会の大幹部だって、もう少ししっかりしてもらいたい。もう少し力があると思っていたと過大評価する場合があると思いますが、大御本尊様が根本です。さきほども山田副理事長が、学会の幹部を信用してといっていましたが、学会の幹部を信頼すれば御本尊様を信頼します。信心のうえだけは大幹部は絶対信頼していただきたいと思いますけれども、大幹部が第一の信頼ではありません。大御本尊様を信頼するのです。そのうえに立って、大御本尊様のおおせどおりに、日蓮大聖人様のおおせどおりに従わない、たがえていく大幹部は仏罰をこうむります。
 したがって、大御本尊様を根本とし、あとは私どもはぜんぶ並列になって、大御本尊様の御前に、そしてまた激励し合い、補い合って、広宣流布にまい進したいと思いますけれども、これでよろしいでしょう。
2  さきほど、理事長が話しましたように、黒柳君、細川君という若手ふたりの理事をとられてしまいましたもので、東京のほうはずいぶん困っているわけなのです。
 が、全国作戦でありますから、そうもいっておられません。なかなか私どももこ
 の中部第二には足を運ぶことはできませんで、どちらかといえば盲点になっておりました。だが大御本尊様の大慈悲は、大御本尊様のお力は、どこにいようが、ここにいようが、どんな境遇に戦おうが、ぜんぶ平等であります。他の本部に負けないように、その負けないようにという意味は、不幸になれば負けいくさでありますから、幸福になるために、絶対に幸福を勝ちとるいう強い強い信念をもって、私とともに前進しきっていただきたいのであります。
 有名な将棋の名人である升田八段いわく「もっとも大切な勝負は何か、それは自分自身の心に打ち勝つことである」このような意味のことをつねに申しております。
 日蓮大聖人様も「王法は賞罰を先にすべし、仏法は勝負なり」(四条金吾殿御返事1165㌻)とおおせです。勝つか、負けるかです。幸福になるか、地獄に落ちるか、それが仏法なのであります。文証、理証より現証にしかずです。どんなりっぱなことをいい、どんなりっぱなことを聞こうが、自分が幸福になったかならないか、これが重大問題であり、これが仏法なのであります。
 そしてまた日蓮大聖人様は無疑曰信とおおせです。信心、信心というけれども信心とは何か、疑わざるを信というのです。皆さん方が、また私どもが受持している大御本尊様は仏法の神髄であります。大聖人様ご化導の究極中の究極の御本尊様であり、本懐中の本懐の御本尊様であります。三世十方の仏もこの南無妙法蓮華経によって仏になったわけです。
 その大御本尊様を、多くの人は知りませんけれども、私どもは信じてたもつことができました。この大御本尊様に題目を上げきっていく、これが信心なのであります。したがって、信心が弱い人は、ちょっと商売が左前になった――御本尊様を疑う。学会のことが新聞に出た――御本尊様を疑う。子供がケガをした――御本尊様を疑う。なににつけても、自分自身が悪いのに、いちいち御本尊様のせいにして、御本尊様を疑っていきます。したがって、大功徳をうけていけるのに消していく率が多いわけです。
 子供がおかあさんのお乳を飲んでいけば、だんだんそれで成長していくけれども、お乳を飲まない、そうすれば成長も遅れていきます。と同じように、どんなことがあっても、一生涯唱えて、大御本尊様を疑わないで、題目を唱えて、唱えきった人が仏の命を湧現できるし、生活のうえに絶対的な幸福の勝利を会得できるということを確信しきっての信心であっていただきたいのであります。
 また、王仏冥合のためにも、たくさんの議員が創価学会を母体として、公政連、公明会員として戦っております。しかし、私どもは、それはそれとして、いまの世の中はご存知のとおり、なにが正しいのか悪いのか、その判断すらもわからないような日本の国であり、そういう世界であります。
 正直者がバカをみるような世の中であります。それで、いまの指導者、政治家には、ろくな人間がいないこともご存知のとおりであります。人非人のような存在が多いのです。私ども青年として、ほんとうに悲しいし、口惜しい思いでいっぱいであります。
 また、心ある人間であれば皆同じであります。私は、そういう時代に、私どもだけは、日蓮大聖人様のお使いとして、日蓮大聖人様の弟子として、朝な夕な不幸の人の味方となって戦っております。だれびとからも一銭ももらわず、悪口雑言されながら、牧口先生以来今日まで三十数年間のあいだ戦い抜いております。
 それに反して、いまの政治家は、やれ勲章をもらうとか、金をとるとか、また有名人は利己主義になって、自分の名だけ売って、金もうけするとか、めちゃくちゃな世界であります。日蓮大聖人様も「愚人にほめられるは第一の恥なり」と、また戸田先生も「大聖にほめられるは一生の名誉と思って戦え」このように申されておりますが、私ども創価学会員は、位もいらな名前もいらない、有名でなくともよい、大臣もいらない、また権力もいらない。私どもは、大御本尊様をだきしめ「日蓮大聖人様が見てくださっている」と確信していきましょう。
 しかし、永遠不滅の大仏法だけはだきしめて、子供のため、子孫のため、そしてまた不幸の人のために、また十年、五十年、百年、二百年先の人類のために「われわれこそ革新のなかの革新であり、無冠の帝王である。仏法界の王者である。無冠の王者である」という襟度と心意気をもって進んでいきたいと思うのであります。
3  どうか、またおりをみ、本部の建設ができたときに、私をはじめ理事室が激励にまいります。そのときには、一段と元気になり、功徳をうけ、胸をはって、お会いしたいと思いますけれどもどうでしょうか。
 どうか、第一にも第二にも、大御本尊様を疑わず、題目を唱え、唱えきって、そして学会にすなおについていらっしゃい。けっして、むりをしなさいとは申し上げません。私どものからだは法器です。法の器であります。からだを大事にして十年、二十年、三十年と、有意義な人生を生き、人生を楽しみきって「私はこれで満足だ、私はなんにも後悔しない」といいきれる、大事なこれからの仕上げの信心修行を、私とともにしきっていただきたいことをお願い申し上げ、また皆さん方の健康とご健闘とを心からお祈り申し上げまして、私の話とさせていただきます。ご苦労さまでした。

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