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日蓮大聖人・池田大作

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正義の言論戦を 第1回言論部全国大会

1963.7.28 「会長講演集」第9巻

前後
1  二年間の言論部の活動、まことにご苦労さまでございました。
 言論戦は民主主義の根本原理であり、最大なる民主戦線への武器であります。したがって、私どもは、あくまでも言論戦をもって、正義の言論戦をもって革命をしていくものであります。
 日蓮大聖人様の御書、ご説法、すべての言論戦の究極であります。いま私どもは、日蓮大聖人様のその大仏法を根底として、随縁真如、その時代、その時代を諸法実相としてみて、そうしてしあわせな、正しい、平和な世の中をつくるために、言論戦の展開をしているわけであります。
 世界で日本の国ほど言論の自由な国はありません。どの国へ行っても、日本ほどこんなに勝手気ままな言論の自由がある国はありません。その言論の自由は悪いほうの言論の自由であります。正しい言論、正論というものは取り上げていかない。
 こういう状態でありますが、この言論の自由ということは、とうぜん民衆の勝ち取った民主主義のとうぜんの方程式でありますから、永遠に正しい言論は自由でいかなければなりませんが「大悪をこれば大善きたる」――世界でもっとも混乱している、もっとも言論が自由でありながら、その言動が暴力となって、悪い思想、悪いほうへ悪いほうへ使われている、この日本の言論の世界が私ども創価学会言論部の叫び、前進によって、かならず大善のための言論の自由の世界となることを確信してやまないのであります。
 どうしてもそういう時代をつくらなくてはなりません。さきほどの黒柳君の話から始まり、宮崎さんの話、また藤原君の話、渡部君の話、また女子部長の話、石田君の話、秋谷君の話、多田君の話、また文化局長の話、ぜんぶ、まじめな、そしてまた、日本民衆を思っている叫びであります。きょうの先輩の話を胸に刻んで、私は説きすすんでいただきたいと思うのであります。
 そして、なかには、正しい評論家も、まじめな評論家、ジャーナリストもいることを私は知っております。だが、その反対に、悪い評論家、毒々しい悪人の指導者、また言論人が多いことも事実であります。そういう人々に日本の国が左右されているといっても過言ではありません。
 私どもの執念深い、そしてまた忍耐強い、正しい、大衆の代表として、大衆の世論としての、情熱ある言論戦を展開して、悪い彼らが、いままでは思い上がり、独断的であり、利己主義である彼らを恐れさせて、身ぶるいさせて、ほんとうに正しい言論戦はこわい、どうしようもないというところまで、追って追って追いまくっていこうではありませんか。
2  言論は自由であるといわれます。悪い評論家や政治家、指導者は、勝手気ままに、これほどまじめな、正しい学会に対し批判をしてきました。反対に今度は言論部が立ち上がって反撃しました。そうすると「そんな暴言的な言論があるか。言論圧政じゃないか」などという勝手なことをいっています。
 自分たちがいいたいほうだい、金をもうけほうだいにもうけて、それで今度は、いままで黙認していた民衆が立ち上がると、恐ろしいのか、または感情的になったのか、そういう暴言を吐くのです。なんといくじのないことではないですか。言論は自由なのですから、だれびとがだれに対しても、正しい言論であったならば、いくらでもいっていいのが、私は言論の自由の民主主義の定義ではないかと思うのですけれども、どうですか。
 一部評論家だけの言動の自由、一部のエライ人だけの言論の自由、一部の特権階級のジャーナリストの言論の自由という時代は去ったと、また、そうであってはならないと、私ども善良なる世論の結果をもって、また言論戦をもって、民衆から燃え上がる言論戦をもって、そういうような時代ではない、そういう時代を革命しきっていこうという情熱をもって突進しようではありませんか。
 私どもが注意しなくてはならないことは、あくまでも正論であること、大衆の味方であること、大衆の代表の世論であり言論であるということでもあります。また、あくまでも理論正しく、だれびとが見、だれびとが読んでも、なるほどという、人の肺腑をえぐっていく、その情熱と理論と論理とが備わっていなくてはならない、正義感がなくてはならない、まじめさがなくてはならないということであります。
 ただの感情的な、観念論的な、そしてまたひとりよがりの言論であってはならないと思います。どうか、文化局の、そしてまた言論部長の指導のもとに、皆さん方の勉強のためにも、そしてまた、いままで弱くして、自分自身の意見が反映されなかった、そういう人の味方となって、広宣流布のためにも、日本民衆のためにも、民主主義のためにも、世界平和のためにも、そしてまた王仏冥合達成のためにも、どうか強い強い信念と確信とをもって、堂々たる言論活動をしていらだきたいことを切望して、私のあいさつといたします。

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