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日蓮大聖人・池田大作

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信心根本に研究と努力を 静岡本部結成大会

1963.7.8 「会長講演集」第9巻

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1  ほんとうに静岡本部の結成、おめでとうごさいます。
 とくに、きょうは、地区部長さん方の顔も、そしてまた婦人部の幹部の方々の顔色も、ひじょうに明るい良い顔色をしているのでうれしく思っているのです。
 さきほど富士宮会館の会館開きに行ってまいりました。また沼津にも千坪(三千三百平方メートル)ほど土地を買い求めて、りっぱな大会館を造る予定になっております。そしてまた静岡市内にも、やはり鉄筋コンクリートで会館を造る予定になっております。
 いずれにしても、全国にわたっている同志のなかで、広宣流布の根本道場であるこの地で、中心地で戦いつどえる皆さん方は、どうか胸をふくらませて、その自覚と福運とをいだいて、仲良くがんばっていっていただきたいのであります。
 そして、日蓮大聖人様の仏法は煩悩即菩薩、生死即涅槃です。悩みがあるところに大功徳があるのです。皆さん方のなかにも、個人的な悩みで、まだ宿命と戦っている人もたくさんあると思います。世界でいちばん保障制度が確立されているところは、デンマークやスウェーデンや、そういうところであるといわれておりますが、いちばん自殺の多いところもかの地であるということであります。
 なにも悩みがなくなった。それで真実のしあわせがあるか。それは私どもも、悩みを解決し、悩みがなくなるためへの信心であることはとうぜんであります。「所願満足」これは信心の究極の目的であります。
 だが、一国はまだまだ大謗法です。総罰です。したがって、自分自身の悩みがなくなる、しかし、隣人の悩みまでも悩みとして解決していこう、全日本を広宣流布して悩みをなくしていこう、不幸をなくしていこう、そしてまた、全世界の悩みをなくしていこう、こういう戦いをしていくのが私どもの立ち場であります。
 したがって、個人的に悩みがある人、悩みがなくなった人、ともに日本の広宣流布のために、不開門を開くその日まで、その第一歩として、きょうから十年間、私とともに忍耐強く、どんな三障四魔があろうとも、莞爾して進みきっていただきたいことを、まずお願い申し上げるしだいであります。
2  今回の本部結成にあたって、本部長は、私が直接に訓練してきた同志であります。年は若いですけれども、きびしく訓練してきた本部長でありますゆえに、皆さん方の心を、あくまでも幸福へ、また広宣流布の闘士として、地涌の菩薩の自覚を深めていく、その源泉となって先頭を切って戦っていける本部長でありますから、私は絶対に信頼し、確信をもって皆さん方の本部長として間違いないことを明確に申し上げておきますから、どうかひとつ、本部長に体当たりして、本部長と手を結び合
 って、最後の最後まで静岡県下の広宣流布のために、常寂光土を築くために、がんばっていただきたいと思うのです。お願いします。
 小平先生は、創価学会にとっては大事な存在であり、教学の重鎮であり、私も尊敬している先輩であります。いままでは皆さん方は中部の幹部会といえば、名古屋まで出席をしなければならない労力と電車賃が必要でありましたが、今度はその必要がなくなったわけです。
 だからといって、安心して昼寝をしていたのでは、これはいけません。瞬間のうちに一生は終わってしまいます。名古屋まで行くその労力と電車賃を、今度は、この県下で縦横無尽に発揮して、先輩の本部長である小平先生を、今度は、いい意味の折伏の競争相手として後輩の静岡本部もこのように成長した、どうだ中部第一本部はタジタジだろうと、小平先生はなかなか驚く顔をしませんけれども、目をパチクリさせるくらい、がんばりきっていただきたいと思うのです。
 それで、あくまでも、仏法は体で世法は影であります。また一面からいうならば、一切法これ仏法であります。いっさいの私どもの活動、生活、事業、仕事、ぜんぶ仏法であります。その根本が御本尊様であります。
 日蓮大聖人様は「日蓮は世間より論ずるならば貧しき身であるけれども、仏法より論ずるならば、一閻浮提第一に富める身なり」(四菩薩造立抄988㌻)とおおせであります。ということは、とうぜん、御本仏日蓮大聖人様は少欲知足でいらっしゃいます。なにも莫大な財産を集めようと思ったり、いまの政治家やニセの指導者のような、そういう姿をなさるわけがありません。
 「仏法より論ずれば一閻浮提第一に富める身なり」ということは、大聖人様の、おんいのちである御本尊様をたもって生活をしていくがゆえに、私どもは生活のうえに今度は、世界第一、一閻浮提第一の幸福者になれないわけはないというのです。
 現証があらわれないわけはないのです。それを確信しきっていただきたい。
3  そこで申し上げたいことは、あくまでも、第一にも第二にも信心が根本であります。今度は信心さえすれば、それでは、すぐに幸福になるか、仕事が繁盛するか、生活がよくなるか。そうではないのです。四条金吾殿御返事にもありますように、信心を根本として宿命を転換しきる、福運を積んでいく、そして努力、研究が必要なのです。
 その努力と研究が即、信心即生活になって、正しい結果が出てくるのです。その信心の根本がなければ福運がない。そうすれば、どんな努力をしても反リズムになっていくがゆえに、結果は貧乏であり悲惨であります。こういう方程式になるのです。
 したがって、信心を根本として自分の境遇、自分の立ち場、責任、仕事、生活に
 研究と努力とを重ねてゆく、そこに初めて価値創造があらわれるという方程式を皆さん方が、しっかり自覚し、実践し、ともに後輩の方々に、その原理を、方程式をもって教えきっていただきたい。これをまずお願いするのです。意味はわかりますね。
 ですから、三年信心し、五年信心しても、なかなか結果がうまくあらわれないというような人があったとするならば、その方程式に順応していない、順じていない人なのです。しょせんは、なんだかんだいいながらも、指導を受けながらついてくれば、三年たち五年たち、七年たち十年たてば、よくなっているのが現状であります。
 その次に申し上げたいことは、これだけ学会人がふえ、人々が幸福になってきたし、また平和になってきました。まことに日本の国を思う指導者や為政者や政治家がいるならば、心から賛嘆し「これで自分たちが願っていた、その現証が着々とあらわれてきた。うれしい、安心した」というのが、まことの指導者であり為政者であります。
 だが、実際問題は、やきもちをやき、自分の選挙区が荒らされる、学会がだんだん進出すると、どうもメシが食えなくなってしまうというような、小さい感情で学会の前進、一千万人の幸福のこの厳粛なる姿に対して批判しているようなバカ者がおりますけれども、しょせんは仏法は勝負です。日本の国では、信心をもった人以外に、真実に民衆の味方となって戦っていく人はありえません。
 したがって私どもは、第一にも第二にも折伏をしきり、自分自身が人間革命して日本一の力持ち、幸福者になりきって、折伏に折伏をしきって、どうしても日本の国を広宣流布する以外にない、創価学会の力による以外にない。こういう決心をもって私とともに、どうか立ち上がっていただきたいのであります。
 いままで批判してきた人々や、インチキな指導者や政治家をアッといわせようではありませんか。「学会をバカにしていたけれども、ああ、たいしたものだ、驚いた」と心の中で心服し随従するまで、私どもは鉄の団結をもって、火の玉となって、この十年間を第一目標として、まず本門戒壇建立の地にある静岡本部が小さい本部であってもかまいませんから、団結の姿を示して戦いきっていただきたいと、このように念願して私の激励といたします。

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