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日蓮大聖人・池田大作

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「楽しい折伏」第一で 鹿児島総支部幹部会

1963.6.20 「会長講演集」第9巻

前後
2  さきほどからもお話がありましたが、たいへん皆さん方も不便を感じておられたと思いますが、本日、鹿児島会館の起工式をいたしました。また、もうしばらくすれば熊本のほうにも会館ができ上がります。その二つの会館を中心として、ゆうゆうと、楽しい折伏をしていっていただきたいことをお願い申し上げます。
 折伏することは、仏道修行の第一義の問題であります。しかし、私たちは折伏の成果なんかにはなんらこだわっておりません。皆さん方が大功徳に燃え、元気いっぱいに幸福生活をしていっていただければ、それが最高であり、また大御本尊様が喜んでくださることと思いますゆえにそういう生活をするためへの折伏であります。
 苦しい折伏、苦しい仏道修行ではなくして、それは宿命転換という場合には、しゅん厳なる仏道修行、信心はとうぜんであります。しかし、「楽しい教学、楽しい折伏、楽しい会合」をモットーにして、わが学会は師子王のごとく前進していこうではありませんか。
3  新聞ですでにご存知と思いますが、八月には海外研修があるのです。昔は鹿児島とか熊本とか、福岡のほうへの地方指導といわれましたが、舞台は大きく回転して、原島先生は今度は東南アジアのほうへ指導に行くのです。原島先生は師範学校一番、そしてまた教員の世界でも最優秀であったということを聞いておりまして、安南語でも中国でもぜんぶ知っていらっしゃるかと思ったら、なんにも知らないというのです。そういうことは私は関係ないと、あくまでも、それは通訳にやらせ、私は大御本尊様のことを、仏法のことを教えるのが、最高の、これが賢明な人のありかたであるというのが、原島先生のモットーなのです。
 それから柏原先生は石田栄子さんを連れて、今度はアメリカへ行ってまいります。シカゴに三千名集まるのです。その激励に行くわけなのです。柏原先生も栄子さんも、やはり師範学校一番ですが、免状ならびに通信簿が戦争でぜんぶ焼けたもので、これはひじょうにいいのです。
 だがこれは冗談で、ほんとうに一番だったのです。英語のほうは習わないで、フランス語のほうばかり習ったといっております。そこで、さきほど栄子さんに聞いたら、たいていフランス語を知っている人は英語はできるのですが、「私はフランス語のほうばかりで英語のほうは知らないのよ」と。
 そういうわけで東南アジアに二班、そしてまたアメリカに二班、南米に一班、それから、私はちょっと行けませんけれども、やがて九月の末にソ連のほうに三人ほど行きます。それからもう一回、ヨーロッパ方面に会合がありますから一班つくるかもしれませんけれども、そのように、だんだん世界広布へのコマを進めております。
4  いま世界が動乱期であって、ひじょうにやりづらい点はやむをえませんけれども、十年先、二十年先、三十年先、百年先、二百年先のためには、日蓮大聖人様のご予言を達成するクサビを打っております。皆さん方も、かつては鹿児島の人々は、薩摩隼人として日本の国を救った人々であります。もう日本の国は狭い。どこへ行っても学会人でうずまっている現状であります。ですから、たくさん功徳をいだき、銀婚旅行、金婚旅行を兼ねながら、世界広布をめざして、いっしょに働いていただきたいと思うのです。
 さきほどから、男はみんな鹿児島の土地を離れてどこかへ行ってしまうという話がありましたが、私は今度、そのどこかへ行ってしまうということは、ぜんぶ海外へ世界広布のために行っているのだと、こういうふうに誓っていただきたいと思うのです。
 最後に、ただいま理事長からもじつは話があったのですが、大御本尊様は「根本尊敬」と申し上げ、その根本の「本」と、尊敬の「尊」をもって本尊と名称されております。この三大秘法の大御本尊が、宇宙の根本の力なのです。宇宙の力、宇宙の生命をそのまま縮図したものが御本尊様です。また日蓮大聖人様のおいのちそのままが御本尊様です。したがって人法一個の大御本尊、この大御本尊様のお力によって、釈迦も天台も伝教も、そしてまた三世十方の仏も、ぜんぶ成仏をしたのです。
 したがって、その大御本尊即じつは日蓮大聖人様はもったいなくも「わが肉団にその本尊があるのである」とおおせなのであります。したがって、御本尊様に南無妙法蓮華経を唱えることによって、私どもの肉団にある御本尊が湧現するのです。
 仏界が湧現するのです。御本尊様から罰を受けるものでも、そしてまた功徳を受けるものでもないのです。自分自身の生命、自分自身の肉団のなかから功徳は湧現するのです。そしてまた知恵も出てくるのです。その根本原理は大御本尊様に南無妙法蓮華経と唱える以外にないのです。
 したがって、私どもは日蓮大聖人様のおおせどおり「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」一生涯、大御本尊様をたもちきって、どんなに功徳があろうが、どんなに罰の現証があろうが、どんなに批判されようが、どんなに悪口いわれようが、死ぬ瞬間まで大御本尊様を受持する、それが信心であり、それ自体が仏なのです。それ自身が成仏の姿なのです。
 また日蓮大聖人様は願いの「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」このようにおおせであります。「願いがかなうか、かなわないかは、おのおのの信心、すなわち信力、行力である。御本尊のせいではないよ」とこのようにおおせであります。したがって私どもは、宇宙にただ一つしかない宇宙の根本法則、宇宙の根本の力、すなわち大御本尊様をたもったということは、内閣総理大臣よりも、大統領よりも、また世界第一の財閥よりも、世界第一の有名人よりも、百千万億倍、幸福者であることは絶対なのですから、その覚悟をもって進んでいってください。
5  この大御本尊様をたもって、絶対にしあわせになった姿は、これはたくさんあります。皆さん方もそれは功徳を受けております。だが、まだまだ小さい功徳です。
 よく戸田先生は「わたしの功徳からみれば、あなた方の功徳はお椀一杯ぐらいの功徳だな。わたしの功徳は公会堂いっぱいである」そのように申されておりましたが、私は初めはずいぶん大きいことを申されるなと感じておりましたが、そばにずっとお仕えして、事実、戸田先生の大功徳、大境涯は私どもが足もとにおよばないご境涯であるということ、そしてまた大功徳を感受しきっておられるということは私は知りました。
 また戸田先生のことは別として、原島先生の姿、柏原先生の姿、十年、十五年、二十年と忍耐強く、まっすぐに信心を貫き通した先輩の姿を冷静に見ていっていただきたいのであります。この方々は皆さん方よりも、もっともっとひどい生活であったことも聞いております。私も知っております。だが、いまの幸福の姿、大功徳の姿、この姿は皆さん方の何十倍、何百倍、何千倍であります。科学的に私はよく先輩の姿を見、そしてまた話すのです。あまりの私のことをいうと、少しウソをついたように思われるといけません。まだ私は若いですから、なるべく先輩の話を正面にするのです。私も大功徳は受けています。測り知れない大功徳を受けております。
 どうか、文証、理証より現証にしかずです。先輩の信心、先輩のりっぱな闘争の歴史、そしてまた先輩の功徳を皆さん方が手本として、皆さん方こそ先輩以上の信心になっていただき、先輩以上に幸福者になっていただきたいことを心からお祈り申し上げるしだいであります。
 ぜんぶ等しい大御本尊様であります。大御本尊様の功徳は、中天に輝く太陽の姿であります。私は「黄金時代」にはいったと、このように申します。これからの十年、二十年は創価学会の黄金時代であります。大御本尊様の功徳がさんさんと輝いている姿を確信し、覚知するからであります。そのリズムに、皆さん方もしっかりのっとって、有意義な一生を、私とともに大御本尊様に照らされて生きていただきたいことを最後に切望して、私の激励のことばといたします。ご苦労さまでございました。

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