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諸君が評論家に育て 三多摩本部幹部会

1963.6.14 「会長講演集」第9巻

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1  このたび三多摩の本部長になられた小泉先生は、すでにご存知のとおり、学会第一の蒲田支部を率いてきた学会精神そのままの先生であります。また副本部長である星野理事ならびに大野理事は、ともに私が弟のごとくかわいがり、薫陶をしてまいりました同志であります。この三人の本部長・副本部長についていかれるならば、絶対に間違いありませんし、何年間ここでがんばっていただくか、まだそれはわかりませんが、この三人の先生方がいらっしゃるあいだに、皆さん方は絶対の信心確立をしきっていただきたいことを、まず念願するものであります。
 三人の大幹部の先生は不退転の見本であります。何千万の大敵がこようとも、いかなる三類の強敵があろうとも、微動だにもしない闘士であります。したがって、皆さん方も、どうかこの三人の大先輩のごとく、この一年、二年のあいだに、皆さん方のために、ぜんぶ皆さん方が生涯、永遠に安心立命し、楽しみきって、絶対に自分は人生の勝利者であるといいきれるために、がんばりきっていただきたいのであります。
 先日、長谷川伸先生がなくなられました。その先生がいわく「小説家は売るための小説を書いてはいけない。自分の良心の小説を書くようにならなくてはいけない」こう申されていたそうであります。私も尊敬をしていた方であります。
 いまの評論家は、まるっきり反対であります。きのうの毎日新聞を読みますと長谷川先生のことについて「長谷川伸さんは、あくまでも、事実を事実として再現していく方向に向かってきた人である」このように評されておりました。もっとも正しい姿でありますし、私どももそうであります。だが私どもは、もう一歩深い大仏法、日蓮大聖人様の永遠不滅の生命哲学を究明し、実践し、人のため、世のために進んできているわけでございます。
2  ただいま原島先生をはじめ、副理事長さん方の話でご存知のように、ものすごく強気なのです。理事室全員、大幹部全員がたいへんに元気なのです。くる途中も評論家のことに話がおよんで「なんだあんな評論家が、いままでだまっていればいい気になって、仏法のブの字も知らないくせに」と。私はひじょうにおとなしい人格者でありますから「まあ、まあそういうことはいうものではない」と、私はこの三年間、とめるのにたいへんなのです。百万の青年もいるでしょ。
 それでその評論家は、昨年の参議院議員の当選の学会の姿を見て「ご利益で釣ったな」こういう暴言を吐いたのです。なんと選挙民を冒した独善的なことばであるかなと、こう私は思いました。仏法のブの字も知らないではありませんか。それは自分の研究した範囲における評論は、評論屋なのですから、するのはとうぜんでしょう。それでは日蓮大聖人様の仏法を研究したかといえば、なにも研究しておりません。学会の会合にきたか、会合にもきておりません。それで評論するなどと、そんな不合理きわまりないことはないと思いますが、どうですか皆さん。
 第一、私は彼の評論などというものは、自分自身にどのような信念があるのかと問いたい。それをぜんぶタナに上げて、人のふんどしですもうをとって生活をしている「毒舌的落語家」にすぎないと思うのですが、どうですか。
 また文芸春秋等においても、今度、批判をしていた某評論家のことについては、原島先生や北条副理事長が「いや、あんなのは中学校の頭だな、あんなおっちょこちょいとは思わなかった」というのです。ですから、そんな人間にはいう必要がありませんからいいませんけれども、ぜんぶ生活のためです。
 そしてまた、真実の、事実の方向を見きわめていこう、三百四十万世帯、一千万人近い人がなんのためにこれだけ元気で生活をし、日本救済のために進んでいるのだろうか。一生涯かかってでも、まじめに研究しよう、そしてまた正しく把握しようという者こそ、一流の評論家ではないでしょうか。
3  まあ、そんなことにいちいち私たちはかまっていることはめんどうくさい。不幸の人をはやく救いたい。しかし私どもは打算でもなんでもない、正しい仏法を根本として、民衆のなかに生きた、ひとりひとりが真実の大評論家となっていこうではありませんか。
 今度の「第三文明」に早稲田大学の写真部の方々が創価学会の活動の写真をとり、そしてまた、ご自身が文を書いて載せておりましたが、ひじょうにまじめな態度に感じました。初めは、やはり軽べつの目で見ていたようでありますが、一日一日、先入観念が変わってきたというような意味合いのことばが載せられておりました。
 その一節に「創価学会ほど、いまだこれほど中傷と批判をされてきた団体はないであろう。それにもかかわらず今日の大発展が不死鳥のごとくうんぬん」と、このように論じておりますが、その根本はなにか。それは御本尊様です。また異体同心の団結であります。これだけの大発展があります。これをもって将来を推するならば、どれほどの学会の大前進があるかということは、明々白々ではないでしょうか。
 それで、評論家はいままで学会をバカにし、批判し、学会の発展することを望まないできた。とうぜんそれは、評論家は望みません。それはいままでも間違ってきてしまったからです。そしてまた、信心していないのですから魔物です。やきもちを焼いているのです。なかには正しい評論家もいると思います。またそういう人たちも出てくることは絶対に確信いたしますが、いままで学会を批判してきた評論家たちに「どうだ、ぜんぶ、おまえたちの評論は間違っていたではないか。この広宣流布の姿をみたまえ」といいきっていこうではありませんか。
4  最後に、皆さん方ご自身のために私は申し上げます。それは、一生涯、大御本尊様から離れないで、大御本尊様を受持しきっていく。それは途中において、苦しいこと、寂しいこと、しかられてくやしいことも、感情的になることも、さまざまなことがあると思います。だが一生涯、大御本尊様だけは放さない。そしてまた、もうひとつ創価学会から離れない、あとのことはぜんぶ自由でけっこうでありますから、この二点だけは、きょうお集まりになった幹部の皆さん方が、しっかり胸に刻んで前進していかれんことを心からお祈り申し上げまして、私の激励といたします。

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