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日本一の勝利者に 東京第四本部幹部会

1963.6.11 「会長講演集」第9巻

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1  本日は、たいへんにおめでとうございました。
 第四本部といえば、私もやはり、かつての文京支部を思い出すのであります。当時は十二支部で、戸田先生のもとで折伏の闘争をしておりました。文京支部は、当時は第十一位か十二位でありました。それで戸田先生の命を受けまして、私が文京支部長代理として当地へまいったわけであります。ちょっとこれは、いばるようなかっこうの話になりますけれども、がまんしてください。
 それで二か月、三か月、四か月たち、文京支部は第二位、第三位のA級支部になりました。その時の合いことばは「前進」ということでありました。当時は、学会全体が折伏の旋風を巻き起こしており、それが、とくに強いときでありましたゆえに「折伏の前進」でありました。
 いま私が第四本部の同志の皆さん方に申し上げたいことは、同じく「前進」という合いことばをもっていただきたい。ただし、その「前進」という意味は、内容はあくまでも「一生成仏のための前進」「家庭幸福への前進」そしてまた「社会にあって大勝利者になるための強い前進」の合いことばをもって、進んでいっていただきたいのであります。
 第四本部は、本部長には秋谷青年部長です。したがって男子部のほうは、ぜんぶこれで網羅されます。副本部長の田中さんは、ブロックの象徴みたいで、ブロックのほうもだいたいこれで完備されるでありましょうし、隣の神尾先生のほうはタテ線のほうです。それから女子部長がみえております。女子部のほうはぜんぶこれでつうずるし、もっとも模範的な、すべてが完備しきった本部になることを、私は祈ってやまないしだいであります。
2  とくに本部長は、学会全体の本部長のなかでいちばん若い本部長であります。さきほどから決意発表を承っておりまして、どの人もこの人も、ひじょうに雄弁家であります。すなわち獅子吼であります。南無妙法蓮華経のことを獅子吼と申します。師子王の「師」は日蓮大聖人即御本尊様のおんことであります。また師子王の「子」とは弟子のことであり、私ども学会員のことであります。
 すなわち大御本尊様を受持して、そして、もったいなくも大御本尊様と境智冥合した事の一念三千の私どもの生命体は、総じていえば師子王であります。別していえば日蓮大聖人様おんひとりであります。その大御本尊様を根本として「人々を救おう」「広宣流布を成し遂げていこう」「指導しきっていこう」「講義をしていこう」との言々句々を獅子吼というのであります。
 したがって、ある人は雄弁で獅子吼の人もあるでしょう。ある人は訥弁であるけれども、りっぱな獅子吼の人もあるわけであります。ある人は静かな声であるけれども、それもりっぱな獅子吼であります。ぜんぶ大法則にのっとった声なのです。
 大御本尊様の威力を、そのまま受けた言々句々なのです。したがって、おのおの雄弁の人、また話し方が訥弁な人、静かな人、さまざまあっていいわけでございます。
 大御本尊様の使いとして、不幸の民衆のため先駆をきって救わんと立ち上がった私どもの言々句々は、偉大なる大宇宙の法則にかなっているという確信をもって進んでいこうではありませんか。
 いまの評論家の学会批評は、たしかにそうなると獅子吼ではないのであります。
 学会のことを、大御本尊様を拝まずして、大御本尊様を知らずして、大聖人様の大生命哲学を認識せずしてなんで学会のことを批判できるかといいたいのです。ぜんぶ見当違いであります。皮相的な批判にすぎないのであります。
 それは言論の自由でありますから、なるほどそれは正しい意見であり、批判であるというならば、私どもは傾聴しなくてはなりません。正は正、邪は邪としてみるべきが道理であります。しかし、ほとんどが、ぜんぶといっていいぐらい間違った批判が多いのであります。学会の本質を知ろうともしないし、知りもしないし、そういう傾向が現在の評論家等の批判の現状であります。
 したがって、それこそ獅子吼でなくして「イヌ吼」や「ピーチ吼」です。そんな縁に紛動されず、ただいま理事長からもお話がありましたとおり、絶対に生命の問題、人生の正しい幸福になっていく源泉の問題、生活の根本原理のこの重大問題においては、遠慮会釈なく折伏しきっていこうではありませんか。
3  たくさんの新聞社、そしてまた雑誌記者等が何回となくインタビューや記事をとりに、じつはきているのであります。初めのうちはあまり忙しかったから関係せず、選挙の少しまえにはどうしようもなくして、約束をどうしても実行せざるをえなくなって少し出ました。また選挙が終わってから、もう何社からもじつはきているのであります。だが私はいちいち会わないのです。どうせ利用であるし、だいたい、もう先入観念で書いていこうという人が多いのです。
 それで私はこういう時間があったならば、少しでも同志の人を激励したい。広宣流布への作戦を練りたい。じつはこういう気持ちでいるのであります。私が会わずしても、私がいうことも、同志が会うことも、いうことも、ぜんぶうちは同じなのです。たまたまどうしようもなくなって「原島先生、ひとつ頼みますよ」というと「弱ったな、またきたな」などと。それからまたあるときは「秋谷君頼むよ」「藤原君頼むよ」「政治部長頼むよ」と、こういうふうに、じつはやっているのです。
 それでもずいぶん断わっているのです。
 普通は、有名人になりたがったり、そういう新聞記者がくれば飛びついて、なんとか宣伝しよう。それが普通の人であるし、普通の団体であると思います。わが創価学会は、それは大事な会合、大事な面接等においては、出ることはとうぜんでありますが、いちいちPRしたり、軽率な、軽薄なそういう行動は、私はとらないように気をつけておりますし、そうでなくても三百六十五日、全会員の同志のかたがたが毎日毎夜認識させようと努力しきっているこの姿で、私はよろしいと思うのであります。したがって、ひとつも私は有名人などというように見せることは考えておりません。学会が大をなせばなすほど、皆さん方の成長だけを祈ります。個人プレーなどということは考えません。同志のよくなること、偉くなることを願ってまいります。したがって、このあいだも聖教新聞社別館で、いろいろ仕事が終わって、原島先生や理事の方々と別館に泰山木という、東京でもあまりない木がりっぱに花を咲かせている姿をみまして「私や理事長は泰山木の根になり、幹になっていればいいよ」と。「あと、枝やそれから葉や花は、それは会員の人たちになってもらおうではないか。政治部員の人や、そしてまた信心を根底にして、あらゆる文化活動の世界で、咲ききそっている皆さん方にやってもらおうではないか」どうしたって、見れば、これは泰山木だということは、葉を見たり花を見て認識するのです。幹や根を見て、泰山木という人は百人のうち、ひとりかふたりしかいない。そういうような気持ちで、私は今後いきたいと思うのです。
4  ということは、会長就任の時には「学会の屋根になる」今度は広宣流布の機熟した時には、私は根になり、幹になり、そういう気持ちなのです。私が短気を起こしたり、野心をもったり、そして野望があるとするならば、現在でも百万人の青年がおります。いま日本の自民党の党員は何万人、社会党の党員は数万人です。
 他の国々を見ても、革命を起こした党員は、それは二十万人か三十万人か、百万か二百万でみんなやっております。私がほんとうに革命を起こして、なんとかしようとすれば、あしたでもできるのがとうぜんであります。だが、そんな偏頗な、犠牲を出すような、野蛮な暴力の革命は絶対いたしません。あくまでも恒久的にこわれない、民衆の心が本源的に安心し、だれびとも平和を願い、幸福を願っております。その要望にこたえて、ただ信心根本に、大聖人様のご慈悲を根底にして、永久にこわれない、永久に栄えていく宗教革命を、忍耐強くしていこうというのが学会精神なのであります。
 どうか王仏冥合実現まで、そしてまた皆さん方が「自分は日本一の勝利者である。幸福者である」と名実ともに宣言しきるまで、私とともどもがんばっていっていただきたいと思います。

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