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大思想家に育て 6月度学生部幹部会

1963.6.10 「会長講演集」第9巻

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1  こんばんは。
 先日ある作家が「創価学会は青年をおだてているから、青年がたくさん集まるのである」と、このような意味のことをいっていたことを読んだことがありますが、おだてて青年が集まるものであったならば、ずいぶんやさしいし、そんなことがあるならば、自民党の総裁でも、社会党の党首でも、共産党や民社党の党首でも、とっくにやってぜんぶが成功して、革新派だってとっくに天下をとっていると思いますけれども、どうでしょうか。
 そんなおかしな理論が成り立ちますか。その人は有名な作家でありますが、私はその一節を読んで、なんてバカな、ずるいおとなであることかと思ったのです。信心をしているおとなの人はこれは根本的に別でありますが、私もいろいろとおとなの人と付き合いますが、まったくそれはずるいし、信用できません。野心か利害か、おとしいれようとするのか、これからもっとも伸ばしていくべき青年を、なんら愛している人などは、いまの日本の指導者のなかにはいないのではないかと思うのです。
 戸田先生だけが、私どもを心から愛し、日本の将来を思い、広宣流布を頼んで、青年に託してこられました。いま私は、皆さん方を激励し、また心から愛してもおります。しかし、私が皆さん方を愛したり激励するといっても、私自身が同じ青年です。願わくは、青年会長である私とともに、敢然として王仏冥合達成まで、あらゆるアラシを真っ向に受けつつ、私とともに進軍をしていただきたいのであります。
2  さきほどから、たくさんの評論家に対する批判をしておりますが、じっさい、おかしな評論家ばかりで、私もあきれているひとりであります。しかし私は、これほどまじめな、これほど真剣な創価学会に対して、無責任な、なんら研究もせず、調べもせず批判をしている一流評論家に対して、軽べつの念をおぼえるだけであって、情けない思いであります。
 私は、いま挑戦しようなどという考えはありません。どんな批判でも莞爾として受けていく決心であります。ただ願うことは、いまの一流の評論家といっても、こういう乱世の中に、真実の一流人物は表面に出るわけがないのです。ぜんぶ二流か三流なのです。三年、五年、十年、二十年先を私は夢見ております。それは諸君のなかから、民衆から要望された、真実の民衆の味方となった正しい一流の評論家が、ぞくぞくと出ていただきたいことを私は確信してやまないのであります。
 いまの二流、三流の評論家のいうことなどになんら紛動されたり、おこったりしてはならないのであります。どうか、明治時代の思想を指導しきった、かの高山樗牛や、または宮沢賢治や姉崎風の百倍、千倍の力ある思想家になっていただきたいことを、心から念願するしだいであります。
3  また、ただいま原島先生からも話がありましたが、同じような話になりますが、アラビア石油の社長は、会社に大学卒業生を入れると「免状を捨てろ」というそうです。ずいぶん極端といえば極端でありますが「実力主義でいけ」これが、会社のモットーだそうであります。ただし真偽の点は知りません。
 私も皆さん方に、実力をもっていただきたいのであります。免状だけにとらわれるような、弱い、そして形式的な人材であってはならないと思うのであります。よく戸田先生も、長崎港に蘭学の思想がはいってきた時に、一生懸命勉強をしていたある学者が、コウリいっぱいノートをとって、その知識を蓄積した。ところがちょうどアラシがあって、そのコウリが流されてしまい、あとはなんにも残らなくなってしまったと。これは極端な例でありますけれども、こういう話をしてくださいました。
 いま皆さん方「知恵プラス知識」であります。「知識プラス知恵」なのです。これが理想なのであります。したがって、あくまでも信心強盛に、いくら知識だけ蓄積しても、精神病になっている人はたくさんおります。ノイローゼになっている人も、たくさん見ております。健康を害して敗残者になった人もたくさんおります。
 色心ともに健在に、そしてまた学んだ知識が自分のことはとうぜん、全社会に大きく貢献しきれる、しきっていけるという、そのような信心根幹の吸収であるということを忘れないで、ぜんぶそれを社会に貢献しきっていく、生かしていく、そういう自分自身を、人間革命をしきるということを大前提として、強い強い信心を奮い起こしていっていだきたい。このように念願するのであります。
4  最後に、有名なフランス革命は不平分子の集まりの革命であり、結集でありました。ナチ・ドイツの勃興は野心の結集であります。「なんとか自国だけを興隆させよう。自分の民族だけは優秀である。他の民族は、とくにユダヤ民族は殺してしまえ」などという野心の結集であります。
 またロシア革命では「労働者よ団結せよ」と叫びました。私は不思議に思うのです。たしかに団結をしたともいえます。ですが団結をした労働者が全員、マルクス主義を、唯物主義を勉強してから結集したかというのです。そんなことはないのです。ぜんぶウソです。いままでのロシア革命にしろ、またフランス革命にしろ、かつはドイツのナチスの勃興にしろ、その底流となる哲学はなかったといっても過言ではないのです。
 いま、わが創価学会の結集は、ひとりひとりが御本尊様を奉持しているのです。
 ひとりひとりが自分らしく成長していくことです。大生命哲学を奉持して、人間革命しきって幸福になっていこうという結集であります。したがって、もっともまじめな団体であります。正法を求めきって自分もしあわせになり、そしてまた自分がしあわせになると同時に、不幸の人をしあわせにしていこうという、この結集が創価学会の結集であります。
 したがって、過去においてたくさんの革命の結集がありましたけれども、ぜんぶ偏狭であり、偏頗であり、犠牲がありました。いま創価学会の結集は、古今未曾有の、全民衆が心から安心し、渇仰している結集であると私は断言するのであります。理想的な結集の団体なのであります。過去の実例をもって学会の結集をみるがゆえに、どうしても真実の姿はみられないのです。そこの世の人々の、また評論家たちの不幸があるのです、邪見がるのです。
5  しょせん、仏法は勝負であります。皆さん方も、そしてまた創価学会も、これからも真実の学会の本質をわからせるためには、三年、五年、十年と戦わねばならないと思います。絶対に勝たねばならないいくさであります。創価学会が縁に紛動され、皆さん方が縁に紛動されて、もしも退転してしまったならば、永久に日本民族の救済はありえないのです。世界の光明は、もうありえないのです。どんなことがあっても、大聖人様のおおせどおり、私どもは団結を強くして、絶対に勝って勝って勝ち抜ききって、そして蒙昧なる人々に、現証のうえで、この真実の姿をみせしめていこうではありませんか。
 私も先頭をきって、十年、二十年がんばってまいります。「身を挙ぐれば慢ずと想い身を下せば経を蔑どる」ひじょうに進退きわまるのでありますが、皆さん方を信頼して、皆さん方をたよって、そして私が先頭になってまいります。ひじょうに複雑ないいかたをしますけれど、私はいつも謙虚な気持ちでおります。ところが謙虚になると、少しバカではないかと思われるし、力がないように思われますが、また少し力を出すと、ヒットラーになるのではないかと、政治のほうへ少しいけば、自民党でも社会党でも共産党でもワッとみてくるし、宗教団体のほうへ行っていれば、安心して少しなめてくるし、いずれにしても王仏冥合をめざして、十年、二十年、勇ましく、そしてまた地道に戦ってまいりますから、よろしくお願いいたします。

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