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日蓮大聖人・池田大作

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法戦場・座談会を盛り上げよう 関東本部幹部会

1963.6.7 「会長講演集」第9巻

前後
1  たいへんにお元気な姿を拝見しまして、私はひじょうにうれしい思いでいっぱいであります。おめでとうございました。
 また四月度の戦いにおいては、ひじょうに苦戦もありましたが、りっばに戦いきりましたことに対しまして、深く敬意を表するものであります。ご苦労さまでございました。
 関東本部の本部長は、皆さん方がすでに接近し、親しく指導を受けられている、ご存知の鈴木本部長であります。きょうはバカに元気で、東京ぜんぶの本部を束にしてかかてこいなどという。それにしては、少しからだがやせすぎているのではないかというので心配なのですが鈴木さんは私と親友であり、秀才なのです。
 青年部再建当時より、いっしょに同志として今日まで戦ってきた人であります。ひじょうにやかましい場合もあるでしょうけれども、真心こめて皆さん方のために働いてくださることだけは絶対に間違いありませんゆえに、仲良くがんばっていっていただきたいと思うのであります。
 また、さきほど紹介がありましたごとく、多田副本部長も、やはり私が弟のごとくかわいがっている、また育ててきた同志であります。東北大学を出て、やはり大秀才であります。
 鈴木さんはやせて、今度は多田君が太っていれば、ちょうどこれで「中道法相」で、関東本部も広宣流布は間違いないであろうと、そういう考えなのです。
 関東、関東というと、なんとなく茫洋として、また、いままでの関東の人々を見ましても、田畑で一生懸命働いている姿を連想して、あまりのびのびできない、ぎごちないような、そういう印象がありましたが、御本尊様を受持している人々は、とうぜん別問題になりますが、国土世間というものはきびしいものでありまして、多少その影響もいままでは関東本部の学会の同志の方々にもあったような気もするのです。
 これは私がいうよりか、このまえ理事長がいっていたのです。私は悪口いいませんから、あまり。理事長がどちらかというと、関東の氷川の山奥におりましたものですから「どうも関東の人は私と似ているのだよ」と、そういうふうに笑い話でいっていたことがあるのです。
 私は「関東、関東」という、この名称は、即、今度は自分自信の生活を絶対に勝ち取るため、魔と戦いきるため、不幸の人を救いきるための敢闘精神の敢闘という名称の意味であっていただきたいのであります。
 どうか、自分自身が人生の勝利者である、自分自身が、生活の、社会の勝利者であるという、その敢闘精神をもって戦っていただきたい。そして自分自身が関東の平野における勝利者ということは、全関東平野の、関東本部の勝利者の原動力になるのだ、つうずるのであるという「ひとり立つ」決心の敢闘精神でいっていただきたいのであります。
2  それで、二つのことについて、私はこの席を借りて申し上げたいのであります。
 その第一番目は、さきほどからも「草創期にかえれ」というさまざまの指導がありました。事実、私も草創期の精神をもって次の七年、十年を目標に進んでいく決心でありますが、第一番目には、座談会を充実していただきたいことであります。
 創価学会の今日の勝利は、せんぶ、座談会場が法戦場であります。戸田先生を先頭にして今日まで、先輩がせんぶ座談会場を激戦場として不幸の人を救う道場として、また自分自身が信心を向上させていく根本道場として、いっさいの広宣流布の縮図の座談会として、伝統として今日までまいりました。
 願わくは、第一にも第二にも座談会を盛り上げて、模範的な法戦場にして、楽しい、かつまた力強い座談会をとおして、広宣流布の原動力にふたたびしていこうではありませんか。
 ともに申し上げたいことは、農村ならびに漁村に対して、もう一歩、創価学会は折伏の手が伸び、組織が完備するならば、これで完ぺきなのであります。いかなる政党も、いかなる団体も、農村漁村の世界を、どのように手中に収めるか、これに奔走してきて、これを焦点としているのであります。
 そういう政策的、方法的に私は考えることは、ひじょうにいやな思いでありますが、日本民衆の救済、王仏英合の実現のために、もっとも全国の農村・漁村の、その確立をする模範として、関東本部が、農村漁村の広宣流布をしていただくならば、これがただ一つ残された学会の一歩前進の勝利を意味するものであります。
 あとは農村。漁村が完備するならば、私は組織のうえにおいても、百年、二百年、三百年までの創価学会の完ぺきな基盤が間違いないと断言するのであります。
3  第二番目に申し上げたいことは、職場と学会活動とは、まったく別であるということであります。ある人が「きょうは三十分間、題目を上げてきたから出勤時間に遅れてきた」と、さも誇りをもっているようないいかたで所長にいっていたそうであります、またある人は「きのうは学会活動がひじょうにおそくまであったから寝坊した」それが遅刻の理由でありました。また、ある人は学会活動を理由にして早引きをします。そういうことは学会は関係ありません。
 また今度は事業主のほうからいうと、事業主のほうのことを論ずると「うちの事業がよくなることは広宣流布につうずるのだから、少しぐらい月給が安くてもがんばってくれ」と。または女中さんが学会員の家へきます。すると「とうせん信心根本できたのだろうから、少しぐらい夜おそくなってもいいだろう。給料は安くてもいいだろう」というふうに利用する根性があるのです。
 私どもは、あくまでも信心指導であります。生活の根本が創価学会の指導であり、信心であります。したがって、学会の指導には、絶対どこから見ても、どこからいわれても道理にかなって、だれびとたりとも、全員が、全民衆が賛同し、感謝するのが、納得するのが学会の指導であると思いますけれども、どうでしょうか。
 したがって、皆さん方の地区ならびに班においても、身近なそういう問題が出ると思いますが、あくまでも学会活動は仏道修行であります。自分自身の幸福の原理であり、活動であり、両者とも、せんぶ学会を利用した根性です。もっとも憎むべき謗法の姿であります。
 それを一般社会ならびに自分の職場に利用して、自分がいい子になろうというふうに、学会利用をするような人があったならば、私どもはきびしく戒めて、日蓮大聖人様から、あくまでもおほめのことばをいただけるような、広宣流布を成し遂げていく純粋な学会を守りきっていこうではありませんか。
4  最後に、私は皆さん方の会長として、ほんとうに申しわけない心でいっぱいでありますが、私は私なりに真剣に戦っております。皆さん方の激励もしているわけなのです。しかし、いかんせん日本全国、全世界にまたがってきた状態でありまして、個人個人の指導をすることができない場合もあるし、できなくなってきていることも、どうかその点だけはご了承願いたいと思うのであります。
 ただし、いかなる政党、団体、教団においても、ほとんどが四十代、五十代、六十代の人々が総裁であり、会長であり、社長であり、そういう責任者の年齢でありますが、わが創価学会だけは、根本は絶対にカのある、宇宙にただ一つの大御本尊様がおわします。また皆さん方も、純粋なる気持ちをもって私を守ってくださっておりますが、私は、まだ三十代であります。これから私の働き盛りでございます。
 したがって、いかなる戦いにおいても、いかなる三障四魔と戦っても、絶対に十年、二十年、勝って勝って勝ちまくっていける自信と、そしてまた確信とがありますから、これでいいでしょう。
 どうか、本部長のもとで、折伏は少なくてもけっこうです。こういうと、おこられるかもしれないけれども、第一にも第二にも仲良く、団結をして、自分自身が人生を楽しみきり、そしてまた家庭を絶対確立しきり、ともに不幸の人々をひとりでもふたりでも救ってあげよう、救っていこうという、たった三十年か五十年の人生であります。有意義に暮らしていっていただきたいことをお祈り申し上げ、私の激励といたします。

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