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日蓮大聖人・池田大作

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難来たるをもって安楽と心得よ 兵庫本部結成幹部会

1963.5.31 「会長講演集」第9巻

前後
1  四月度の闘争は、まことにご苦労さまでございました。
 さきほどから、すでにご紹介がありましたが、このたび兵庫本部の本部長になった渡部城克君は、私が弟のごとく愛し、かわいがっているひとりでございます。信心も間違いございません、そしてまた、東大出身で頭のほうの切れ方も、それはたいしたものであります。
 さきほども白木本部長から話がありましたごとく、また理事長からも話がありましたごとく、ひじょうにエネルギッシュで、ある時にはこわい人だなと感ずるときもあると思います。しかし、根本は純粋であり、皆さん方を心から激励し、思ってくれる本部長であるということは、絶対に間違いありませんゆえに、私と思って、生涯いっしょにがんばっていっていただきたいのであります、
 まず、わが学会のことについては、過去においてもたくさんの、さまざまな見当違いの批判をされてまいりました。しかし、現在のような大陣容が厳然と成り立っております。未来も、今日を推してみるならば、絶対大発展することは間違いありませんが、大正法をたもった仏の軍が魔軍に負けたためしはありえないのです。
 釈迦の時代しかり。また天台大師の時代しかり。そしてまた聖徳太子の時代しかり、伝教大師の時代もしかり。いわんや末法における日蓮大聖人様を根本とし、大御本尊様を根幹として、つどえるわが創価学会が、いかなる弾圧を受けようが、いかなる誹謗、批判を受けようとも、この御本尊様に、そしてまた創価学会の団結、民衆の滔々たる流れには、なにものもどうしょうもないし、最後は創価学会が大勝利をえる、仏の軍が大勝利をえるということを、確信をもっていただきたいのであります。会場の外にも、たくさんの同志がおられます。いずこの会場へ行きましても、私はなんとか外の人にも接して、少しでも激励をしたい気持ちでいっぱいであります。しかし、あまりにも大勢であり、ひとりひとりと握手もしたいし、語りたいしと思うのですが、そうしていたならば、三千塵点劫から五百塵点劫かかってしまいましてあと見ておられる人や、待っておられる人にひじょうに迷惑をかけますので、私もいつもはやく帰ります。べつにえらぶって帰るわけではないのですけれども、そのほうがむしろ価値的であるし、心の中では申しわけないという心でいっぱいであります。私は朝な夕な、ただ皆さん方の会長として、なにもできないけれども、大御本尊様に「どうか三百三十万世帯の人が、一千万人の日蓮大聖人様の子供が、無事故で大御本尊様をはなさず、絶対に幸福生活ができえますように」ということだけを祈りきっております。かつて、恩師戸田先生が牢獄の中におられたときに、まだ小学生であられたご子息に与えた手紙に「大御本尊様に南無妙法蓮華経を唱えれば、無線電信のようなものである。したがって、ふたりで時間を決めてお題目をあげて、お話をしようではないか」という意味のはがきがあるのを拝見したことがございます。 私たちは南無妙法蓮華経を唱えれば、とうぜん霊鷲山会にも、諸天善神にも、もったいなくも日蓮大聖人様にも、また釈迦、多宝にも、子孫にも、いっさいのところに無線電信と同じようにつうずるのです。これが仏法の原理であり、日蓮大聖人様の仏法の偉大さです。これは絶対であります。
 したがって、たくさんの同志の人々と私も手をにぎり、だきかかえて「しっかりがんばりなさい」と激励したいと思いますけれども、いまの原理のごとく、南無妙法蓮華経を唱えているならば、おたがいに唱えているならば、ぜんぶあい対して、一生涯、永遠に話し合っているのであるということを自覚して、楽しく前進しきっていこうではありませんか。
 昨日は、京都本部の幹部会がありまして、それはそれは、ひじょうに暑い会場でありました。蒸しぶろ以上です。だが京都の同志の方々もひじょうに元気でありまして、私たちは終わってから、本部や分室に迷惑をかけてはいけないと思いまして、私は、秋谷君や、渡部君たちといっしょに、あまりにもびしょぬれでありますもので、ふろ屋に行ったのです。なかなかふろ屋がみつからないので、行き過ぎたり、戻ったりして、そしてはいったわけなのですが、ひじょうにさっぱりして、帰りにアイスクリームを食べながら……なつかしい思い出をつくったわけなのであります。
 難があったあと、三障四魔があったあとは、かならずさっぱりするのです。日蓮大聖人様は「難来るを以て安楽と意得可きなり」罰即利益、変毒為薬と申されております。宿命転換のために、罪障消滅のために、おのおのの宿命が違うごとく、ひとりひとり、いろいろな苦しい場合もあるでしょうし、また宿命転換しきって、もう楽しみきって、一生を終わる人もあるでしょうし、しょせん、どんな三障四魔があっても、題目をしっかり上げて「変毒為薬はかならずできるのだ。罰即利益なのだ。ちょうど暑いあとに、さっぱりとおふろにはいって、冷たい水でふいたような、次の生活が、次の時代がかならずくるのだ」ということを強く強く確信して信心する人が、私は真の大信者であると思うのです。
 信心さえあれば、安心立命です。そしてまた師子王のごとく、一生涯がゆうゆうと、なにも恐れず、楽しみきって生きていけるわけであります。これをつかむ、これを確信する、これを確立することが人間革命であり、これが一生成仏の原理でありますから、はやくこの確信だけは、おつかみになっていただきたいことをお願い申し上げ、私の話といたします。

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