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「我此土安穏」の歓喜の生活 6月度女子部幹部会

1963.5.28 「会長講演集」第9巻

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1  皆さん、こんばんは。たいへんおそいし、ひとことだけ申し上げます。それは、きのう和泉先生から指導を受けたことなのです。和泉先生の顔を見ると、皆さん方も、いつも明るくなるでしょう。諸法実相です。
 皆さん方が後輩の人々をめんどうみる場合にも、鬼ばばあのような顔をしないで、あくまでも明るく、そして清らかに、相手の人が後輩の人が安心し、自信をもち、勇気をもって一生成仏のために信心をしきっていこう、このような心を呼び起こしていけるような指導者に、幹部になってください。
 それで、和泉先生いわく「子供がいなくて悩んでいる人もいる。だが反対に、子供がいて苦しみ悩んでいる人もいる」という。たしかにそうです、うまいことをいうなと思いました。それから「主人が死んで悲しみ悩んでいる人もいる。反対にぐうたらな主人をもって苦しみ悲しんでいる奥さんもいる」というのです。そう思いませんか。まだ、皆さんは関係ありませんが、きのう婦人部幹部会での話であります。
 それから、財産をたくさん持って苦しんでいる人もいるというのです。財産がなくて苦しんでいる人もいるけれども、反対に財産がありすぎて、むしろそれを擁護するために、守るために苦しんでいる人もたくさんいるというのです。
 というぐあいに、そうなると、頭がよすぎて悪いことをして、不幸になった人もいるかもしれない。頭が悪くて苦しんでいる人もいるかもしれない。そういうふうに相対的に考えれば無限です。そのような相対的な幸福は限りがない。あくまでも絶対的な幸福をつかむ以外にないというような意味の指導なのです。それはもっともな話です。
2  では絶対的な幸福とは何か。それは、申すまでもなく大御本尊様を受持することです。信心することです。末法において絶対的な幸福を確立する道は、御本尊様を拝む以外に、絶対にそういうことはありえないのです。あると思ったら大きい間違いです。どこまでも捜してみてくださればけっこうなのです。
 ありようはずがないと、釈迦も天台大師も伝教大師も、そしてまた末法の御本仏である日蓮大聖人様も断言していらっしゃる大御本尊様でありますから、それでいいわけでしょう。
 仏さまがウソをつくわけは断じてありません。その証拠として一千万人近い人がしあわせになっております。その御本尊様をたもってしあわせになっている人をなにやかや批判し、怨嫉をしている人が、では、しあわせであるか、人々を救っているか、ひとりでも救っているか。それは救っておりません。かわいそうな人々であります。
 それで、私どもは大御本尊様をたもって南無するときに、本有常住、常寂光土に変わるのです。いずれの境遇、いずれの立ち場にいても、皆さん方は、ぜんぶ性格が違い、ぜんぶ境涯が違いますけれども、すべての事の一念三千の当体であり、ひとたび南無妙法蓮華経と大御本尊様に唱えるならば、なんじ自身がもう仏の働きに変わるのです。それは大御本尊様の功力であります。したがって、本有常住、常寂光土、我此土安穏、この経文をば自分自身が獲得し、証得しきって、この人生を楽しみきっていける、人間革命をしていこうではありませんか。
3  それが信心の神髄です。そして過去における革命は、政治革命にしろ、経済革命にしろ、ぜんぶ武力、暴力、流血の惨事をおよぼしております。そしてまた、どちらかといえば、個人を犠牲にし、かつまた家庭をそおっと離れて、革命をしきっているのが現在までの歩みであります。
 したがって、制度の改革、機構の改革、それがいままでの革命でありました。だが、制度の改革、機構の改革といっても、究極はなにをめざすか、せんじつめれば、やはり人間ひとりひとりのしあわせです。また家庭の繁栄、家庭の幸福生活というものが結びつかなければなにもなりません。実際問題、いままでの革命はそこまでいっておりません。大きい錯覚があるのです。
 それに反して、いま、宗教革命を成さんとする私どもの革命は、無血革命であり、ひとりの犠牲者もいないのです。しかし私どもが信心すると、かならず一家のうちに問題が起きてきます。ということは、やれ、おとうさんが信心しない、やれ、おかあさんが反対した、やれ弟が反対したというふうに、かならず一家のなかに、最初は摩擦の現象が起きます。それは必然であります。
 だが、その一波を越えてしまって一家の広宣流布をしてしまえば、個人個人の人間革命をしてしまえば、もう個人も、そしてまた一家も喜びにひたって、歓喜の生活をし、物心ともの幸福確立をしきって、安泰そのものではありませんか。
 したがって、いままでの革命は、大きい姿をして大勢の人を犠牲にしたけれども、わが宗教革命は創価学会の無血革命は、個人の人間革命であり、家庭のなかに問題が起こるけれどもかならず家庭が革命されて我此土安穏になり、常寂光土になっていくのです。もっとも身近な、もっとも基本的な、もっとも私どもが切実に願っている家庭革命こそが、真実の大革命であると思うのですけれどもどうでしょうか。
4  どうか、学会の前進に対して、さまざまの批判をする人がおりますけれども、遠くは王仏冥合、広宣流布達成であることはとうぜんであります。しかし、その達成ができないから、またはできたから幸福になる、そういう問題ではなくして、きょうの瞬間、きょう一日、自分自身の福運を積み、人間革命をし、喜び勇んだ一日を送っていく、そしてまた家庭においても一家和楽の、絶対に世界第一の家庭生活を確立しきっていけるという、もっとも身近に幸福があるということを自覚して、題目を声高らかに上げきって、一日一日を喜び勇んだ革命をしていこうではありませんか。

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