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一家の和楽築く婦人に 5月度婦人部幹部会

1963.5.27 「会長講演集」第9巻

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1  こんにちわ。まず、四月の戦いにおいては、皆さん方が、あくまでも陰の力となり、忍耐強く大勝利の導きをし、源泉となってくださったことに対しまして深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
 先日の本部総会において、柏原先生が、そうとう大きい話をしました。ということは、「わが創価学会の大半は婦人部である。折伏の戦いも大半は婦人部でやっているではないか。男性はなにをしているか!」とはいわなかったですけれども、それをいわんとする意味は含まれていた気がするのです。
 そのとおりであります。戸田先生も「広宣流布は婦人部の手で」このように申されておりました。けっしておせじをもって申し上げるのではありません。きょうも、原島先生が話をしようと思ったことを私も話そうと思っていたのです。婦人は信心強盛で、または信心を、もしかしていないと仮定しても、りっぱであるならば子供も決定されます。主人も決定されます。一家も決定されることは、それは、信心しようがしまいが同じです。いわんや信心を根本とした世界においてをやです。
2  よく、闘争中においても話を聞くのでありますが、ブロック長さんに、理事や支部長が行って現状を聞くと、かならずブロック担さんのほうを見ながら「どうでしょうかね?」と、こういうふうに聞くらしいですね。十人のうち八人か九人ぐらいまではそうらしいのです。そういう学会内で地道に戦っている最先端の人々の姿を見てもうなずけることは、やむをえない証拠です。
 したがって私は、どうか一家の革命の源泉も、また学会の前進の源泉も――男もそれはしっかりしますよ。ほんとうは、私はしっかりしているのですが――いたしますけれども、陰の力になって学会を守り、それから一家を守る根本の原動力は、婦人部の皆さん方が引き受けたと、立ち上がっていただきたいのであります。
 さきほど原島先生からも話があったのですが、私は、ある婦人の人があまり会合かなにかでタクシーばかり乗ってしまって、生活費のほうがひじょうに困って生活が紊乱してきたというような意味の話を聞きまして、それはいけないなと感じました。私もいまから十一年前に結婚したのですが、もう子供が三人もいるのです、私もたいへんなのです。
 その結婚式のときに戸田先生がどういう深い意味からかは知りませんけれども、戸田先生の会長就任式のあくる年の、五月の三日を選んで結婚式をさせてくれたのです。そのときにいわれたことは、どんなに偉くなっても、中流以上の生活をしてはいけない、どんなに落ちぶれても中流階級の自覚を失ったり、または卑屈になりさがっていってもいけない、そういうきびしい指導を夫婦とも受けました。
 そして「生涯、生活をきちっとリズム正しくいきなさい。生活費等における家計簿は厳格にきちっとつけていきなさい」このように指導を受けたものであります。
 そのとおり私の家はやっております。戸田先生の指導をバカみたいに今日まで受けきってきました、実践してまいりました、その結果が今日の勝利です。
 と同じように、皆さん方も一家の主婦とし、母として、幹部になった、見えを張ろう、幹部になった、なんとか御本尊様がしてくれるであろう、学会がなんとかしてくれるであろうというような安直な考えではなくして、信心即生活、信心もきびしく、そしてまた生活面においてもきびしく、地道に楽しい一家の繁栄、和楽を築いていく、その経済面においては、どうかひとつ、間違いのないように、しっかりとしていっていただきたいことをお願いするのです。
3  またもう一つは、やはり原島先生から話がありましたが、それはお子さんに対しては、よき友だちであれ、友だちになっていきなさいということが戸田先生の指導でありました。しかしある私の知っている婦人のなかには、自分の子供さえよければ、あとの子供なんかかまわないという鬼子母神の姿を如実にあらわしている人がおります。
 それは母として、とうぜんのことでありましょうし、親としてとうぜんの理であります。否定する必要はありません。しかし、どんなに自分の子供が正しい、自分の子供が大事だといっても、あとで子供に裏切られて、子供が不良になったり、ある人は子供がはやく死んでしまったりというのが人生であります。諸行無常です。
 どうしても根本は大御本尊様が必要なのです。仏法においては親子一体です、父子一体です。親の信心の姿が子供の反映になるのです。
 したがって大御本尊様のもとに、不幸の人のために、皆さん方は働いているのです。それだけの大功徳が家庭のなかにあらわれないわけがありません。子供に、子孫に伝わらないわけはありません。それを根本として、そして夜おそくなって、お子さんと会えなくなってしまったり、朝また元気よく子供を出していけないようなことがあってはならないと思いますが、よきお子さん方の友として、そしてまた不幸の人々を救うことを忘れないで、わが家が、わが親子は世界でもっともしあわせな親子であるということをいいきっていける学会幹部陣になっていこうではありませんか。
4  また昨日は園遊会がありまして、猊下のおことばを原島先生からお伝えくださいました。そのときにもう一つ、皆さん方の代表として、私が総本山へ全魂を打ち込んでご奉公を申し上げておりますが、土地のほうだけでも約四十万坪になったというお話がございました。
 すなわち、終戦後において、宗門のなかにおいては、仏教界においては、宗教界においてはそうとうの土地を持っていた総本山が、ほとんど農地解放でなくなってしまいましたけれども、その当時以上になりましたという、猊下のお喜びになられたご報告がありましたもので、お伝え申し上げておきます。
 まだまだ、たくさん買えるように御供養はしてありますから、それは心配ありません。いろいろとお考えがあって着々と購入をしていらっしゃるごようすであります。
 また話は違いますけれども、本部の落成式が九月の二日と決定されました。それを記念して七月の末あたりに班長・班担さん全員に「常楽」と私が書いて、英語ばかりやっていたもので、ひじょうに字がうまくありませんけれども、金色の布に「常楽」と書いたふくさを贈呈させていただきます。
 ということは、布は金、これは黄金時代をあらわしたい。「常楽」はここまで信心強盛に折伏に励んで人々からは笑われたり批判されたりしたけれども、これからは一生涯大御本尊様に照らされて、瞬間瞬間、日々月々年々楽しみきっていける人生を皆さん方のために、私は御本尊様に祈りたいと、そういう意味を含めて「常楽」つねに楽しい人生であっていただきたい、こういう意味の心でありますからいいでしょう。
 だからといって、雨の日も風の日も、また雪の日もあると思いますが、水のような信心を貫きとおして、大御本尊様をたもったということは、世界最高のしあわせであり、不幸の人々を救いきれるということも、世界最高の人生の姿であるということを名誉とし、襟度として、私とともに、一生涯、和合僧をガッチリ固めて、全衆生の幸福の、そしてまた名誉の、最高であるという証拠を示しつつ、進んでいっていただきたいことを心からお願い申し上げまして、私の激励といたします。

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