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日蓮大聖人・池田大作

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永遠に若々しく お年寄りのつどい

1963.5.14 「会長講演集」第9巻

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1  皆さん方が、ひじょうに元気に、そしてまた喜んでくださっている姿を拝見しまして、私はひじょうに感激いたしました。ありがとうございました。
 私は、皆さん方からみれば子供のような年齢の会長であります。しかし、戸田先生の跡を継いで、この悪い世の中、泥沼のような世界にあって、大御本尊様をだきしめて、不幸な人々のために折伏行に励んでいる同志のことを考え、また、その同志が折伏できるように陰になって原動力となって守ってくださる方々のことを考え、ただ一生懸命に同志のために、会員のために真心を尽くしていきたい、私はこういう思いでいっぱいなのであります。
 政治家になれるわけでもないし、なる考えもないし、偉くなろうとか、有名人になろうとか、野心をもとうとか、そんな卑しい、小さい考えではありません。ぜんぶ日蓮大聖人様のおおせどおり、戸田先生のご構想どおりに、その近道として、私は皆さん方のメッセンジャーとして、一生懸命に生涯尽くしていきますから、どうかよろしくお願いいたします。
 それで、皆さん方が大いばりに信心しきっていっていただきたいし、世間の方々からずいぶん悪口され、バカにされましたけれども、「ああ、学会の人々はたいしたものだ。あらゆる点で大勝利者だ。あの人たちを見習っていこう。ああいう人生を生きていけば間違いないのだ」そのようにいけるように、若さのかぎり外護の任をまっとうしてまいりますから、いいでしょ。
2  それで、まず最初におわび申し上げなくてはならないことは「老人のつどい」「老人慰安のつどい」ということを最初私が申し上げましたところ、あるおじいさん、おばあさんから苦情が出まして「信心している人に老人がおりますか」というのです。
 「われわれは青年部、女子部のような気持ちで一生懸命信心しているのに、会長は自分が若いからそのようにいわれるのですか」と。
 それで「老人のつどい」ということが、今度は「お年寄りのつどい」というふうに看板が変わったわけなのです。それでも私は看板を見て、ひじょうに胸が痛いのです。
 日蓮大聖人様の御書に「不老不死」ということばがあります。これはかんたんに申し上げれば永遠の生命ということなのです。その「不老不死」の「老いず」それから「死せず」というその「不老」の「老」をとって「老人のつどい」といったのだよと、まあ、こういうわけですから、それならば、いいでしょ。
 ほかの団体や社会で、うまく老人を喜ばせて、野心を遂げようというような、そんな老人のつどいではありません。不老不死の大御本尊様に照らされて、永遠に若々しく、永遠にくずれない幸福をつかんでいくための「お年寄りのつどい」であると、こうしたいと思うのです。
3  それで、日蓮大聖人様はこのような意味のおことばわ申されております。それは「一日でも長生きして、題目を上げていくことは、もっとも尊いことである。大事なことである。なぜかならば、三千大千世界の宝をもって計っても、人の一日生きる寿命のほうが大事である。尊いのである。いわんや南無妙法蓮華経を唱えて、福運を積んでいき、一日一日を生きながらえていくことは、もっとも永遠の生命のうえから論じても『三世各別あるべからず』の今世のうえから論じても、人生にとって根本問題なのである」と、このような意味のおことばがございますが、どうか、広宣流布は、また王仏冥合への先駆の戦いは、私どもがいたします。かならず達成させます。その守りとして、私どもの戦いを見守っていただいて、余生を楽しみきって、私どもの前進がしやすいように、どうかご後援していただきつつ、全員がかならず成仏できるのであるという確信をもって、また来年お目にかかりたいと思います。たいへんご苦労さまでございました。

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