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日蓮大聖人・池田大作

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ジャンヌ・ダークのごとく 5月度女子部幹部会

1963.5.10 「会長講演集」第9巻

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1  こんばんは。いままでの原島先生をはじめ、理事ならびに幹部の方々のお話で、ぜんぶ尽きてしまったわけですけれども、これで帰るわけにいきませんもので、同じような話になりますけれども、ちょっと我慢してください。
 まず四月度の戦いにおいては、りっぱに大勝利にすすめていただきまして、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
 さきほどから何回もお話がありましたが、渡部さん、そして湊さんのことについては、ふたりとも戸田先生のもとで、戸田先生に薫陶を受けてこられました。戸田先生がなくなった直後、今日まで、私も女子部の先駆として、また婦人部に行っても、そのリーダーとして恥ずかしくないようにしておきたいという気持ちで、五年間のきびしい訓練をしてきたふたりでりますゆえに、とくに今回、女子部長になった渡部女子部長は、皆さん方のリーダーになりますけれども、安心してついていっていい方でありますから、しっかり部長を中心として、楽しく前進をしていってください。
 それで、また結婚して女子部から婦人部へ行った場合には、前女子部長さんの湊さんがおりますから、そこでまた、いっしょに戦っていけばいいのですから、二重、三重の先手を女子部に打っておきました。これで、いいでしょう。
 私もまだ皆さんと同じように若いですから、とうぶん心配はありません。ともにがんばりましょう。
2  昨晩は、女子部の幹部といっしょに、三重秘伝抄の勉強をしました。ちょうど、きのう勉強したところは「本迹相対して一念三千を明かす」という文のところなのです。
 そのなかに「本無今有」ということばが、たまたま出てきます。皆さんもご存知であると思いますが、あくまでも迹門の一念三千は、本門の一念三千に相対するならば本無今有であり、天月、池月のうちで、池月のほうの姿であります。いわんや爾前経は、一念三千は説いてない。生命の本源、幸福になる根本原理は説いてないという意味なのです。
 文底あらわれて、日蓮大聖人様の一念三千は真の一念三千であり、大御本尊様のことであります。すなわち迹門の一念三千は諸法実相、本門の一念三千は本因・本果・本国土を説いて、理論のうえでは完璧な一念三千になるけれども、南無妙法蓮華経即御本尊の一念三千を拝したときに、初めて現実のうえに、生活のうえに、活動のうえに力となり、功徳となって現われるのです。
 したがって、迹門の、そしてまた本門の一念三千といっても、ぜんぶ日蓮大聖人様の一念三千、独一本門、文底秘沈の一念三千に比べれば、いっさいが説明書にすぎないのです。したがって、その本無今有ということは、現実にわれわれの生活に約せばどうなるか、この問題の話をしたのです。
 「本無今有」――それは人生の目的を知らないという意味なのです。また生命の根本を知らない、幸福になる源泉を知らないという意味なのです。いま私どもは、大御本尊様を受持しているがゆえに本有今有になるのです。それは根本の教えです。いっさいの生活活動も、しあわせの生活をしていく現実の、その確信をみていく、こうなるわけなのです。
3  それで皆さん方に申し上げたいことは、信心がない、南無妙法蓮華経を知らない、大御本尊様を知らないという人生は本無今有であります。したがって、真実の幸福生活はできえない。日蓮大聖人様の御書を拝しても「どんな、世間でいわれる、幸福といっても、それは夢のなかの栄えである。まぼろしの喜びである」とおおせです。そして「すみやかに法華経をたもちたてまつり仏になるべし」と、このように申されておりますが、私ども大御本尊様をたもったものは、絶対に日蓮大聖人様のおおせどおりに、物心ともに、生活のうえに、功徳としてあらわれるという確信をもって、強い強い信心を貫き通していっていただきたいのであります。
 あの人は幸福そうに見える、あの人はしあわせそうに見える、あの人はあまり忙しくないから、らくに見えるというような目先だけの現象にとらわれ、また批判をしたり、やきもちを焼いたり、ちょっとした感情で御本尊様を失って、大事な一生をだいなしにしないようにしていただきたい。
 ただいま理事長からお話がありましたが、私は、その話をきょうはしようと思っていたのです。先輩の姿を冷静に見ていただきたいのです。一年や二年の姿ではわからない場合があります。なぜならば、日蓮大聖人様の仏法は冥益ですから、宿命転換し、福運を積み、罪障消滅をしつつ、一生成仏ができるのです。ですから、一年、二年の目先で信心をはかることなくして、十年間という信心を「絶対どんなことがあっても自分はやってみせる、それも指導どおりにきちんと実践してみせる」と、その途中において信心が弱まり、疲れたときには、十年以上信心しきって、ゆうゆうと人生を生きている先輩の姿を思い浮かべて、また力強く前進しようという信心を、していっていただきたいと思うのです。
4  最後に、とうぜん大御本尊様を根本として、皆さん方がさまざまな境遇にあることはわかります。またひとりひとり性格が違い、性質が違うこともよくわかります。環境も違うこと、そしてまた家庭も違うこと、そしてまた社会も違うこともよくわかります。したがって、自体顕照で自分らしくのびのびと、そして福運を積んでいく強い強い一日一日の信心であることはとうぜんでありますが、私はひとたび王仏冥合という戦いにたちいった場合に、また信心ということにたちいった場合には、女子部の幹部は、かの祖国フランスを救ったジャンヌ・ダークのごとくであっていただきたいのであります。
 以上申し上げまして、私のあいさつといたします。

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