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日蓮大聖人・池田大作

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自己即公政連の自覚で 全国政治部員会

1963.5.4 「会長講演集」第9巻

前後
1  この一か月間の激戦、大勝利に導いてくださって、たいへんにご苦労さまでございました。
 昨日以来、政治部員の皆さん方には原島理事長をはじめ、副理事長ならびに理事室のきびしい将来に対する自覚への指導があったことと思いますが、私は願わくは、このたび当選した議員の皆さん方が、一生涯、特別な事情のないかぎり、たとえば老人になって、からだのつごうで立候補ができなくなったとか、大所高所が価値的にみて、後輩に道をゆずったほうがむしろ本人のためにもなる等々の例はべつにして、ほかの議員の方々は、二選、三選、四選と一生涯、王仏冥合の先駆をきっていける、その議員さんになっていただきたいことを、心から念願するものであります。
 日蓮大聖人様も、どれほどが喜んでくださっているかと、深く痛感するものでありますが、恩師戸田先生も、どれほどか私どもの団結の闘争に、かっさいをしてくださっているかということも信じております。このたびの、この団結の勝利を一生涯忘れないで、きょう集まった政治部員が、王仏冥合の先駆者と自覚して、断じて、きょう集まったこれだけのメンバーが立ち上がれば、王仏冥合を実現してみせるという第一歩を踏み出していこうではありませんか。
 市議会、区議会、都議会いずれの政界においても、泥沼の政界であることはとうぜんのことであります。皆さん方が泥沼のなかにはいって、当分のあいだはどれほど苦しいか、いやな思いをするかということも明らかであります。しかし、蓮華の花は泥沼が深ければ深いほどきれいな蓮華の花となって現われます。この乱れきった政界のなかにあって、心だけは、精神だけは蓮華のごとく、信心第一に、あとは大衆の苦悩を苦悩として、われわれの進む道にあって、はばむ者とは火の玉となって戦い、粉砕し、ほんとうの幸福を願っている善良な市民のためには最大の力を出して、そして進んでいただきたいと思いますけれども、どうでしょうか。
 最後に、創価学会といい、また公政連といい、公明会といい、建て物が学会であり、公政連であり公明会ではありません。バッジが学会であり、公政連であり、公明会でもありません。しょせん、ぜんぶ人であります。「人材の城をもって築け」との恩師のことばを、ここでもう一回かみしめて、たとえ北海道の果ての議員さんであっても、九州の果て、または奄美大島の果ての議員さんであっても、その議員ひとりが創価学会であり、その人が公政連であり、その人が公明会自身であるということを忘れてはならないと思うのです。
 公政連において、委員長ならびに幹事がぜんぶ運営をしているのだから、自分は末端のほうの一連盟員なのだから、そんな責任はないのだ、自分は公明会であるけれども、公明会の幹事長や副幹事長は責任があって、自分は、たいしてそんな自覚をする必要はない。ただついていけばいいのだ、そういう考えは、あくまでも間違いであります。人法一箇になりません。議会即人、公政連即議員というふうに、学会即幹部、その人法一箇の自覚をもっていくことが、日蓮大聖人様の信心をまじめに貫き通していった幹部の姿であり、王仏冥合を実現していくところの、自覚ある議員の姿であると私は思いますゆえに、自分自身が、学会の幹部である、学会自身である、自分自身が公政連自身である、公明会自身である、という自信と確信をもって、また名誉とをもって、一生涯仲良くまた鉄の団結をもって、進んでいこうではありませんか。

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