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日蓮大聖人・池田大作

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保守・革新ともに指導 第25回本部総会

1963.5.3 「会長講演集」第9巻

前後
1  本日は、もったいなくも総本山より日達上人猊下をお迎えしたてまつり、また多繁のなか多数の来賓の方々を迎え、また全国の同志を代表して、幹部の皆さん方と勝利の前進のさなかに第二十五回総会が開催できえましたことを、私は心から御礼申し上げるものであります。
 日蓮大聖人様の「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」との御金言を、未熟な私を厳然と原島先生をはじめ、理事室、そしてまた幹部の皆さん方が守ってくださったゆえに、身口意の三業をもって前進し、王仏冥合達成の順序なるスケジュールを、コマを進めてこられましたことに対して、深く私は敬意を表するものであります。
 会長就任の日、この壇上において、もったいなくも日達上人猊下より、日蓮大聖人様の開目抄の御金言の一節を賜わりました。「“詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん”これをあなたに贈るものである」この壇上に立つたびごとに、私はその自覚をあらたにするものでありますが、この御金言をさらに決意して皆さん方のご協力を得ながら、来年四月二日の恩師の七回忌をめざし、そしてまた五月の三日の第六の鐘を打つべき第五回の総会をめざして、ふたたび一歩前進の陣頭指揮をとっていく決意であります。
 創価学会のことについては、ほめられたことは一遍もなく、批判されどうしであることは、皆さん方がよくおわかりのことと思います。ある場合は、あまりにも統制がとれすぎているから「軍国主義になるのではないか」「旗を持っているから軍隊調である」それから今回は公政連が東支持をしたから「自民党の別動隊ではないか」または、ある人々は「学会は新社会主義を旗印としているがゆえに、社会党の別動隊になるのではないか」と。
 ある方面では、あまりにも民衆のなかに根ざして日夜闘争をしている姿を見て「法華共産党である」ある評論家は「中世紀の日蓮大聖人の仏法が根本だから保守だろう」また一面、ある自民党のほうの政治家のなかでは「どうもあの調子だと青年が多すぎるし共産党か社会党へ、みんな最後は引っ張っていくだろう」というふうに、さまざまに批判されております。ぜんぶ誤りであります。
 「やれ保守だ、革新だ」このように世間では、つねに論じられますが「学会もどちらかに決めたい。なかなか決めるわけにはいかない。年配者のほうは保守らしい。若いほうはどうも革新らしい」そういうふうにいろいろと、ご苦労にも考えて悩んでいらっしゃるのです。保守だ、革新だといっていることそれ自体が、私はもうすでに保守であると思うのですが、どうでしょうか。
 あくまでも創価学会は「無量義は一法より生ず」また「随縁真如の智」すなわち大御本尊様を根本としてまいります。保守も革新もみんな人間として、幸福と平和を願っているのです。ぜんぶの日本人を、日蓮大聖人様の大生命哲学を根底に、大御本尊様を根本として、私どもの信心によって、いっさい平等に幸福にしきっていく、保守も革新も指導しきっていくというのが、わが学会精神であります。
 やれ保守だ革新だ、そんな相対的な、狭苦しい幅の狭い学会精神ではないし、日蓮大聖人様の仏法は永遠不滅であり、全衆生皆成仏道の仏法であり、大御本尊様のお智慧、大御本尊様のお力は宇宙大であります。いかなる批判、いかなる悪口があっても馬耳東風に「三世を知るを聖人と申す」日蓮大聖人様のおおせには間違いない、現実に私どもがしあわせになっている、この確信を強くもって、楽しみきって前進していこうではありませんか。
 また、ここで、私どもが選挙戦に大勝利を得て反省をしなくてはならないことがあります。それも、さきほどからお話があって、また幹部会等でも何回もお話をしておりますゆえに、くどくなりますが、第一にも第二にも、信心第一にいかねばならないということであります。
 自分自身がさほどやらずして、これだけの強い団結のもとに勝ち、さも偉くなったように便乗主義になっていく人もこれから出てくると思います。警戒しなくてはなりません。
 日蓮大聖人様は「皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が・中程は信心もよはく僧をも恭敬せず供養をもなさず・自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし、始より終りまでいよいよ信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん」との戒めの御金言がございます。
 「此の経」とは法本尊であります。「僧」とは人本尊であります。そしてまた日達上人猊下様であられます。また「自慢して悪見をなす」とは御本尊様を忘れることであります。増上慢であります。学会利用であります。そういう信心、そういう行動があることに対して日蓮大聖人様は、それは恐ろしいことだ、地獄へ落ちる、破和合僧になる、そのようなおことばを私どもはひとりひとりがふたたびわが心に反省して、生涯、変わらない、水のような信心をもって自分自身の人間成長、人間革命、一家和楽、そしてまた不幸な人々の救済、そしてまた総本山に対して私を代表として真剣にご奉公申し上げる、その精神だけを永久につづけていきましょう。
 そして「ああ、学会の人はりっぱだ、あの方々があのように変わっていくのだから、ああいう人が信心しているのだから、私どももぜひとも話を聞いてみたい、会合に行ってみたい」こういうようなふんいきをつくっていきましょう。
 しょせんは財力よりも権力よりも、もっとも強く、もっとも尊い人生の歩み方は、有意義な前進の仕方は、日蓮大聖人様の弟子となり日蓮大聖人様の子供となり、日蓮大聖人様の使いとして、信心根本に、不幸の人々の味方となって生きていくこと自体であるということを最高の誇りとして、私どもは前進していきたいと思うのであります。

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