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日蓮大聖人・池田大作

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民衆のなかの指導者へ 1月度婦人部幹部会

1963.1.7 「会長講演集」第9巻

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1  皆さん、明けましておめでとうございます。信心して、ことしの正月、いままでいちばん功徳に満ちあふれた正月が迎えられたといえる人は、遠慮しないで手を上げていただきたいと思います。
 どうか本年も、自分自身の幸福のために、信心強盛に来年のお正月は何十倍も、家庭内も明るく、大功徳に燃えて、こんなにもまたしあわせになったかという、お正月を迎えていただきたいと切望するものであります。
 日蓮大聖人様は「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」とおおせになっておりますし、「六波羅蜜自然に在前す」ともおおせになっております。どういうことかといえば、釈尊が五十年説法したその大哲学は、ぜんぶ妙法蓮華経、すなわち大御本尊様のなかに含まれております。釈尊の仏法によって、修行して仏になった、しあわせになったというその長い長い修行も、大御本尊様にただひとこと題目を上げることによって、いっさいの功徳を湧現するのであります。それほど日蓮大聖人様の大仏法は、三大秘法の御本尊様は偉大であります。無限の功徳があるわけであります。
 学会活動、やれ教学、やれ折伏と、ひじょうに多繁であると思いますが、ぜんぶ自分自身の幸福のため、なんじ自身の宿命転換のための信心であり、行動であると確言していただきたいと思います。
 そして皆さん方はとうぜんのこと、後輩の婦人部の方々も、この一年間におおいなる成長を遂げ、また、この一年間なんの事故もなく、楽しい明るい前進の仏道修行であられんことを、心からお祈り申し上げるしだいであります。
2  話は変わりますけれども、五日の日に「少年少女のつどい」を共立講堂でいたしました。狭いもので、こられなかったお子さん方もあることは、ひじょうに申しわけないと思っております。私は出席しませんでしたが、見終わったあと、ひじょうに喜んでいたとうけたまわりました。そのとき、柏原先生がおもしろい話をしました。というのは、石田副婦人部長がお子さんをふたり連れて、電車に乗ったのです。
 石田副婦人部長はひじょうに落ち着いていた。教学のほうは先日の教授試験で九十何点かをとり、婦人部第一位でありまいた。それはそれでいいのですが、ふたりの子供を乗せたと思ったのに、ひとりだけは乗っていて、ひとりが乗っていなかった。後ろの車を捜してもいない。前を捜してもいない。ああ、これは、たいへんなことになってしまったというので、次の駅で降りて、大急ぎでまた駅に戻ったがいない。家へ電話をかけたところ、ベソをかいて帰っていた。それからまた連れて共立講堂に行ったそうです。
 子供がいたし、ちゃんと目的を達成したから、私はよかったと思いましたが、まあ落ち着くのもいいけれど、そのようにあまり落ち着きすぎてはなりません。水のような信心というのは、まあ、そういうことではないのです。たえまなく前進することです。火の信心はいけません。
 生涯たえまなく前進する信心でなくてはなりません。石田さんは、水の信心です。
 私は、そのことを聞いて、思ったのです。そういう小さなことで、また結果として子供がいたからなんでもないことです。ほほえましい話です。だが人生航路にあって、長い生涯の活動にあって、同じようなことはたくさんあります。自分自身の行動は正しいと思っても不幸になります。一家がしあわせになろうと努力しても、一家が悲惨な場合があります。どうしようもない宿命があり、運命があります。どうしようもない場合があります。また大きくいうならば、為政者は、民衆をぜんぶ幸福の車に乗せるべきであるのに、民衆をぜんぶおいてきぼりにして、自分だけが栄耀栄華の生活をしています。そういう間違いが、われわれ凡眼ですから見えませんけれども、世の中には、たくさんあると私は思うのです。
 「三千羅列、きびしき身なり」(御義口伝714㌻)日蓮大聖人様のきびしい生命観です。ぜんぶ因果の理法であり、それを間違えた場合には、どういう努力をしても、個人も、それから為政者、指導者も、民衆のしあわせを達成することはできない。いずれにせよ「三世を知るを聖人と云う」日蓮大聖人様の仏法、日蓮大聖人様の御金言だけば、個人にとっても、また日本全体にとっても、全世界の平和にとっても、絶対に間違いのない大哲理であるということを訴えていこうではありませんか。
3  戸田先生はよく「日本の国にりっぱな指導者がいなくなってしまった。嘆かわしいことである。日本の国を見渡して、ほんとうに、かつて日本のために活躍をしたような国士がいなくなってしまった。どうしても日蓮大聖人様の仏法によって、それを源泉として、社会の大指導者をつくる以外にない」と叫んでこられました。皆さん方は婦人ですけれども、しっかりと成長して、民衆のなかの婦人の指導者に育っていただきたいことを、お願いするわけであります。
 これだけ、乱れきった世の中に、りっぱな指導者がいるわけはありませんが、かげに何人かの、まだ日本の将来をじっと見守り、次の大勃興をしていくべき創価学会のありかたを静かに凝視している、りっぱな人もなきにしもあらずであります。
 さきほども、そういう方のひとりである方が、池田総理も人づくりうんぬんというけれども、人づくりといっても、今度、人づくりの懇談会をやった人々は、それは人づくりに失敗した人々の集まりではないかと、池田総理も、人づくりというまえに、自民党づくりをすべきではないかと、こう、もらしておりましたが、そのとおりであると思います。
 私どもは、だれに認められなくとも、日蓮大聖人様に、そしてまた、三世十方の仏菩薩に認められればいい。また不幸の人々に、民衆に対して「たしかに創価学会は正しい。創価学会でなければほんとうの日本民衆の幸福はない」ということを胸の奥にたたきこんでいこうではありませんか。
 たいへん、私もはにかみやで、婦人部の皆さん方と、直接お目にかかることは少ないわけでありますが、柏原婦人部長を中心として、気にくわないかもしれませんが、私も元気いっぱい、広宣流布のために、皆さん方のためにことしも陣頭指揮をとってまいりますから、皆さん方もどうか力の弱い私に対して応援をして、個人も、学会も、また大勝利の歴史をつくったといわれる一年を築き上げていこうではありませんか。

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