Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

社会に信念の人を 年頭のことば

1963.1.1 「会長講演集」第9巻

前後
1  立宗七百十一年の新春を、皆さまとともに、心よりお喜び申し上げます。  
 わが日蓮正宗創価学会の目的は、いうもでもなく、三大秘法の広宣流布完遂にある。
 すなわち、日蓮正宗を強大にするとか、創価学会を発展させるとかというような、小さな目的ではない。
 あくまでも、不幸をまねく邪宗、邪義を粉砕し、大正法によって、日本国家の安泰と、日本民衆の幸福を確立することと、そとて世界の平和を願っているのである。
 三大秘法の大仏法を護持した私どもは、その第一歩として、社会にあって立派に人間革命の姿を示しきり、社会の勝利者になっていくべき使命ありと思うのである。
 恩師戸田先生は、論文「社会に信念の人を」のなかで、次のようにおおせである。
 「私は、いまの日本国をみて、なんなく、ものたりなさを感じている。日本はこれでよいのかと思うのである。経済界にしても、その組織というものは、きっちりとでき上がっている。また、そのむかうべき道も、だいたいにおいて指向されている。かし、なんとなく、ものたりない。
 官庁もきちんと整頓された組織をもっている。しこうして上官の命はかたく実行されているようで、しかし、私にとっては、なんとなく、ものたりない。
 政界にしても、一応は、まとまっているとみれば、みられる。しかしなんとなく、これもものたりないではないか。(中略)生産の面も順調であるし、順調のようにみえる。輸出にも努力のあとがみえるが、これで安心だとは思えない。
 人心も、一応安定した形はとっているが、なんとなく底が浅いように思われる。
 いったい。どこから、こんな感じを受けるのであろうか。私は、よくよく、これを考えてみたが、その空虚さを思わせるものは、“人”にあると思う。個々の職責にいる人が、生き生きとして、はちきれるような生命力のないところからくるのだと思う。(中略)すなわち、言いかえれば信念の人がほしいのである。
 しからば、この信念の人々を作るにはどうしたらよいか。それには、いろいろな考案も出るであろうが、私は正しい宗教によって生命力を強める以外にはないと主張する」
 思うに、創価学会には、会社員、学生、主婦、教員、商人、官吏、外交員から代議士等々とあらゆる階層の人々がはいっているのである。
 このように、膨大な階層の人々を包含する大組織の教団が、たくましく、明るく、世界の平和、社会の繁栄、民衆の幸福のために前進している姿は、まことに前古未曾有の快挙というほかはない。
 恩師は「愚人にほめらるるは第一の恥であり、大聖はほめらるるをこいねがっていくべきである」とおおせであった。
 いずれにしても、だれびとから、なんといわれようと、わが創価学会会員は、日蓮大聖人様の大仏法を実践して、おのおのの宿命と戦いつつ、立派に成長し、不幸な人々の味方となって、この一年、また、お互いに勇ましく、楽しく、幸福へ前進をなしきっていこうではありませんか。

1
1