Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

学会の指導どおり前進 三多摩本部地区部長会

1962.11.22 「会長講演集」第8巻

前後
1  少しも形式ばる必要もありませんし、同じ御本尊様のもとに集まった、結合した、そのなかでも幹部として縁深く戦っていくべき同志ですから、仲良く、楽しく、がんばっていきましょう。
 人間ですから、つらいことや、苦しいことや、寂しいこともあると思いますが、これだけ大勢の友だちがいればいいではないですか。創価学会員になって、幹部になって活躍していること自体が、もう最高のしあわせであると確信しましょう。
 生身ですから、カゼをひく場合も、調子の悪い場合もありますけれども、それはだれでもあるのです。自動車にぶつかったとか、そういうことだってあります。御書にだって、聖人、賢人なりとも、難をまぬかれることはできないともあります。
 そういうことで、いちいち神経質になって、私はダメなのかしら、私の信心はおかしいのかしら、そういう卑下をしてはいけません。どこまでもどこまでも、広宣流布をめざし、人間革命をめざして、福運を積んでいることを確信して、前へ前へ進んでいっていただきたいと思うのです。
2  信心の世界は、あの人はこうだ、この人はこういうふうに自分を思っているのだろうなどと、余計なことを考える必要はありません。あくまでも、御本尊と直結で、学会の指導どおりの前進をしていけば間違いないのです。その証拠には功徳が出ているのですから。
 そういうわけで、おのおのの身近に、一つ二つの悩みはあると思うのです。これは末法であり、それから凡夫であるがゆえにとうぜんのことなのです。日蓮大聖人は悩みがなかったかというと、やはりありました。どういう悩みか。それは一切衆生を救いたいという悩みです。私どもには考えられないお悩みであると拝します。
 われわれの悩みは、自分の兄弟が信心しない、あの人がなかなかいうことをきかない、商売がどうという悩みでしょう。せんじつめれば、自分の個人的な悩みみたいなものでしょう。
 「境智の二法」といって、悩みはかならずあるものだと御書にもあるのです。
 したがって、その悩みがあるゆえに題目を上げ、成仏ができるのです。釈尊の場合は、提婆達多がちゃんといました。日蓮大聖人の場合は平左衛門。大なり小なりそういう姿が仏法の縮図なのです。悩みがあるから功徳がないのだとか、悩みがあるから信心が弱いのだとか、そういうことはもう一歩立ち入って考えるのです。
 悩みがあるから宿命転換できるのです。そういうふうに目を開いて、また来年もなにやかや、たいへんなこともあると思いますが、大きく境涯を開いて戦い、それが、自分自身の、また仏道修行の、法戦の、大功徳を受けきる、人間革命をしきれる舞台なのだ、こう喜び勇んだ晴れ姿で、皆さん方の指揮の任にあたっていただきたいと思うのです。
3  どんな世界だって、何百人、何千人の人が、やれ地区部長さん、やれ支部長さん、やれ大ブロック長さんといってくれる世界などはありはしません。たいてい心のなかでは、「なんだ」というのが普通です。それをわれわれはなんの努力もせず、ほんとうにもう貧しい不幸な人生であったのに、御本尊様のお力によって、そういうふうにいわれるような、まためんどうをみていけるような資格ができてしまったのです。これ自体がおおいなる誉れと思い名誉と思わなくてはいけないと思います。
 へたをすると、むすこさん、娘さんでも、おやじさんを尊敬しません。「なんだ、うちのおやじは古くさい」などと、そういう世の中です。
 では、これで失礼させていただきます。皆さんお元気で。

1
1