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日蓮大聖人・池田大作

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「死身弘法」の大精神に 全国大幹部会

1962.10.28 「会長講演集」第8巻

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1  さきほどから、しかられたような、それから、しっかりがんばれというような、さまざまな忠告やら、激励やらがございまして、なにやかや、たいへんであると思いますが、ひとつ、しっかりがんばってください。
 だれも、創価学会から、ただの一銭ももらわず、忙しい仕事のあいまを、広宣流布のために、不幸な人のために、全力をあげていることも、よく存じておりますし、御本尊様がぜんぶ照覧しておられます。
 これだけ一生懸命やって、まだ激励をされ、責任をもたされ、しかられ、大幹部になることはたいへんだなと、私は思うのです。しかし、わが日蓮正宗創価学会は、全世界に、いずれにもない、日蓮大聖人様の直弟子である、末法救世主の大聖哲・日蓮大聖人様の子供である、信心根本の団体であります。
 したがって、いっさいの幸福への源泉と確信、ぜんぶ自分自身の行動は、一生成仏のためであり、永遠の幸福を築くためであり、かつ、日蓮大聖人様のご遺命である広宣流布成就のために、その先駆として、自分は働ききって、日蓮大聖人様に、ほんとうにあなたはよくやったといわれる信心の闘争をしていたきたいと思うのであります。
2  日蓮大聖人様が、わが子に、わが弟子に、一生懸命に働いた者に、また、働いた者をば不幸にさせるわけがありません。いくら要領よく立ち回って、幹部になったとしても、因果の理法はきびしいのです。絶対に私は、たとえたいへんな立ち場であったとしても、広宣流布達成のためへの創価学会の活動であり、一生成仏への信心活動だけの創価学会の活動であるゆえに、まじめに、真剣に活動しきった人が、最後は日蓮大聖人様からおほめのことばをいただき、色心ともに、大勝利をうるという、証拠をもっていける大幹部であっていただきたいと思うのであります。
 かつて戸田先生は「いま日本の国は、宗教の戦国時代である」と喝破されました。
 事実、全世界で、わが国ほど宗教法人の多い国はありません。何百、何千、何万といわれております。
 しかし、大御本尊様のご威光により、ご仏智測り難し、日蓮正宗の台頭によって、出現によって、また創価学会の、獅子奮迅の死身弘法の大活躍によって、だんだんと、宗教界は、思想界は統一されつつあります。
 その証拠は、先日の参議院選においても、厳然と立証されましたし、どこへいっても、日蓮正宗の信者、学会人の活躍の姿のなかにはっきりしております。
 ともに宗教革命は即人間革命、人間革命をしきるということは、宗教革命以外にありえない。その宗教革命がなされていくときに、自然に次になされていくのは、政治革命、教育革命であり、また経済革命に、一貫してなされていくものなのです。
 ある外国の評論家が、日本の政治に対して、一世紀遅れている、こういったといわれております。宗教は、二世紀も三世紀も遅れているわけですけれども。
 王仏冥合をめざしている日蓮正宗創価学会の前進にあって、まず第一歩として、宗教界の戦国時代を、日蓮正宗の大仏法によって、統一をしていきたい。これは、御本尊様のお力を根本として、学会員の団結でなされてきたわけであります。
 政界もいまは、戦国時代であります。同じく私は、王仏冥合をめざしている創価学会の団結、日蓮大聖人様のご遺命を、あくまでもひっさげて、前進している公明会、公政連、その根底は、われわれ創価学会の団結によってこそ、初めてこの政界の戦国時代を、統一していくことができると、私は確信したいのです。
 それは、歴史の流れです。自然の流れであります。したがって、来年の統一地方選挙においても、王仏冥合実現のために、またおほねをおっていただきますけれども、広宣流布のため、自分自身の一生成仏のためにも、仏道修行と確信し、ともに、ひとりでもふたりでも落としてしまえば、その方にも気の毒であるし、学会人の方々も、ひじょうに心配するし、自信を失ってしまいます。
 勝つことが折伏になり、勝つことが広宣流布に通ずるし、そういう確信をもって、第一にも、第二にも団結を根本として、私とともに、勝利への前進のコマを進めていただきたいと、かく切望申し上げます。
3  それで、第一番目に、私どもが、どんな悩みがあっても、大御本尊様に題目を上げる以外にない、これは、とうぜんの原理であります。もっとも簡単な方法なのです。また、自分の頭でどんなに考えても、解決ができない。われわれは凡夫です。
 解決ができない場合がたくさんあります。
 御本尊様に題目を上げる、いっさいが解決する。または煩悩、業、苦の三道を転じて、法身般若、解脱となる。変毒為薬、罰即利益、または仏智を感ずる。いっさい御本尊様に題目を唱える以外にない。いっさいの源泉であります。
 と同じ方程式に、支部員の方から、いろいろな相談や、いろいろな悩みやらを、大幹部の皆さん方は、日夜受けねばなりません。そういう複雑な、いろいろなことを受けたからといって、自分の頭でいくら解決しようと思っても、解決できない場合もあります。根本は信心の指導です。題目を上げさせることしかありません。
 ともに、いろいろなそういう悩みの指導があったからといって、自分がそれに、縁に紛動されてしまって、自分の頭のほうが複雑になって、せっかくその人が聞きたいことまで納得をさせることができないようになってしまったならば、大幹部の資格はありません。
 もっと簡単に、もっとも自信をもたせ、安心させていけるのが、大幹部の大幹部としての指導のありかたなのです。
 どんな指導があろうが、どんな事件があろうが、絶対、御本尊様第一に、信心第一で、すっきりと、微動だもせず、ゆうゆうと安心させきってあげる、自信をもたせて信心を立たせてあげる、こういう指導をしてあげていただきたい。お願いします。
4  第二番目には、皆さん方は、あくまでも本部の任命で大幹部になった方であります。年を取り、それからからだが悪くなったり、または仕事が忙しくなったりして、どうしても大幹部としてお気の毒であるような場合には、更迭をする場合があるかもしれませんけれども、任命を受けたからには、絶対に確信をもって「自分は学会の大幹部である。地涌の菩薩の先輩である。先覚者である」こういう自信と確信をもって、いちいち本部の指示がどうだろう、あの人に遠慮しなけばならない、この人に遠慮しなければならない、そういうよけいなことは考えずに、与えられた任務、与えられた責任、使命に対しては、会長と同じ気持ちで、同じ責任と自信をもって、思う存分に私は、指揮の任をとっていただきたい。お願いします。
5  第三番目には、幹部になると、どうしても身近に、おせじをつかってくる人がでてきます。したがって、われわれは凡夫でありますから、なにやかや、ちやほやされてくると、その人のほうを、どうしても信用したり、人情になって、信心が別問題になって、世法で、その人のいうこと聞かなくてはならなくなってしまったり、そうなった場合に、ほかの人々が、まじめな人や、信心純真な人たちが、納得ができなくて、心のなかで「どうしても大幹部のあの方は、ああいう考え方ばかりしてしまうのだろう」というふうに、しらずしらずのうちに、支部員の人たちの、大きい心のなかに悩みをつくらせていくような場合もあります。
 本部の指導どおり、そして御書のとおりに、信心第一に、全支部員が、なるほどと安心しきって、支部長さんに、または婦人部長さんに、副支部長さんに、副婦人部長さんについていける、信頼と尊敬しきっていける、そういうふうに心を配りつつ、おせじをつかってきたからといって、それに紛動されないように気をつけていただきたいのです。
6  ぜんぶの支部員に平等に、それは適材適所もありますし、功労者もありますし、その点の配慮は、それはとうぜん、段階はありますけれども、そういうおせじやなにかに紛動されて、せっかくの全民衆の味方であり、その指導者の立ち場というものを、不信されないように、これは老婆心でありますけれども、気をつけていただきたいと思うのです。
 私は、任命を申し上げた皆さん方に対しては、全力をあげて応援をしますし、信頼しきっております。どんなことがあっても、守りきっていく決心でありますけれども、どうか、これからも、いくつもいくつもの闘争もあると思いますけれども、歩調を合わせて、みんなで戦って、みんなで喜び、みんなで苦労し、みんなでまた楽しんでいくという、新社会主義の、世界にただ一つの、また歴史上ただ一つであるという、仏国土の縮図である、そういう創価学会を、いっしょにつくっていこうではありませんか。

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