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日蓮大聖人・池田大作

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唯一の正義の団体 第1回青年部文化祭

1962.10.15 「会長講演集」第8巻

前後
1  もったいなくも、日達上人猊下をお迎え申し上げ、皆さん方と楽しい一夜を送れましたことを、私は、心より喜ぶものでございます。
 さきほどまで、美しい声、美しい顔、そして美しい調べがあって、皆さん方は、うっとりとしていたところ、今度は教学の顔、折伏の顔、指導の顔で、たいへん申しわけない思いでありますけれども、青年部長にも「これからの音楽祭、文化祭等においては最後のあいさつや、講演は、いっさいぬきにしなさい」と、こういうふうにいっておきましたから、これでいいでしょう。
 創価学会の前進は、日蓮正宗創価学会の歩みは、あらゆる角度から考えて、絶対に間違いのない、完ぺきな前進なのであります。
 私も東京から、この会場にくる途中、ちょうど山岡荘八さんが、聖教新聞に「高杉晋作」を連載してくれておりますけれども、今度の新聞で、ちょうど一節を読んで、なるほどなと、こう感じたことがあるのです。
 それは吉田松陰が、あの安政の大獄で、牢へはいって、最後に自分として一大悟りをしたと。それも、山岡荘八さん己心の吉田松陰の言語の一節であるわけでありますが「いかなる高遠なる識見といえども、それが現実に根をおろして、実行したところのものでなければ、一椀の汁にも劣るであろう」こういう意味なのです。
 「高遠なる識見をもつといえども」ということは「どんなにりっぱなことをいっても、どんなに偉そうなことをうんぬんしても」ということであります。
 それが、民衆のなかに根ざして、かつ、自分の理念、理想を、毎日毎夜、いのちを賭して実践しきっていく、そういう実践がないならば、それは、一椀の汁よりも劣ると、こういう意味なのであります。
2  過去において、終戦後、幾百人、幾千人の指導者が出、民衆の味方のような叫びをし、今日まできておりますが、なかなか現実は、安定しきっておりません。
 総理をはじめ、やれ「人造りだ」「国造りだ」それよりも、真剣にやっていることは、和泉先生ではないけれども「庭造りをやっている」と。
 総理が、人造り、それから国造りをすることは、とうぜんであります。責任があり、総理としての義務である。そういうことまでも、いわざるをえないような、日本の現状、どれほどか、はやく平和と幸福を建設しなくてはならない、一つのとうぜんの叫びの一面をうかがうことができます。
 いま、日蓮正宗創価学会は、あらゆる批判をされてまいりました。しかし、広宣流布という大目的、高遠なる目的があります。そして、日蓮大聖人様の、大生命哲学という、大理念をもっております。また、私を中心にしていただいて、全員が団結をして、朝な夕な、ある場合は、人々がバカにしきって、見向きもしないような、不幸の人の味方となり、ある場合は医者に見放され、死んでいく寸前、自殺の寸前の人々を友だちとして、大御本尊様のお力をもって、救いきってきているのがわが日蓮正宗創価学会なのであります。
 したがって、日蓮正宗創価学会こそが、高遠なる理想をもち、かつ、大理念をひっさげ、そして、民衆のなかに飛び込み、民衆のなかに生き、民衆の味方となって、全世界にただ一つ、ほんとうの、正義の団体であると私は断ずるのであります。
 他の指導者は、いうことはりっぱなことをいってきておりますけれども、また学会のことを批判してきておりますけれども、私は、ずるいと思うのです。あまりにもずるい指導者が多すぎる、こういう思いでいっぱいであります。
 その、民衆のなかに発生した、このように、文化祭が楽しくでき、私は、また来年の文化祭をめざして、皆さん方とともに、日蓮大聖人様の、大慈悲の光を受けきって、堂々と、強く、また前進していきたい念願でありますから、がんばりましょう。
 それで、皆さん方が一生懸命、演奏したり、歌ったりして、私たちは、壇上でゆっくり見せていただきましたもので、理事室を代表して、最後に私が学会歌の指揮をとって失礼させていただきます。
 以上をもってあいさつといたします。

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