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日蓮大聖人・池田大作

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わが身は王宮に 第1回関西音楽祭

1962.10.6 「会長講演集」第8巻

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1  皆さんこんばんは、最初の音楽祭でありますが、ひじょうによくできました。かつて、八年前か九年前であったと思いますが、第一回の体育大会を日大のグラウンドでいたしました。そのときも、私ども青年部は、全魂を打ち込んで、その運営の任にあたったわけなのです。「戸田先生をお迎えするのだ、元気いっぱいに、りっぱにやろう」と。そして、第一回としては、ひじょうによくできたわけなのです。
 今回の全国大会からみれば、月とスッポンのようなわけでありますけれども、最後に戸田先生が「自分が教えないことはよくやるな」と、「一生懸命、教学を教えているが、そちらのほうはあまりやらないな」と、こういう先生のおことばが最後の講演なのです。どうか、青年部の皆さん方も、演奏ならびに合唱はよくできましたけれども、それにもまして、教学のほうも、りっぱに成長していただきたいと、このように切望するのです。
 これは、私は仏法の指導者でありますゆえに、その肝心かなめをいわないで帰ってしまいますと、謗法になってしまいますが、ほんとうはいいたくないのです。ですけれども、一生成仏のために、また広宣流布のために、信心そして行学だけは根幹にしていってもらわなければならない。そのうえにたった文化の響き、第三文明の花こそが、全民衆が心から望み、心から楽しみきっていける社会であると、私は思うのであります。
2  それで、きょうはひじょうに楽しい一夜でありましたゆえに、ここまで青年部を育て上げた、その先頭をきってきた田代君のことについて提案するわけでありますが、この次の三年先の大阪地方区の参議院議員の選挙には、田代君を推薦したならばどうかと思うのです。来年のことをいうと鬼が笑うのですから、三年先のことをいったならば、鬼が笑いように困ってしまうわけなのですが、他の政党では、来年の地方選挙でも、まだ、だれを府知事にたてようか、県知事にたてようかと困っているところを、学会はもう、ゆうゆうと三年先が決まっているのです。
 また、その田代参謀のもとに、いっしょに苦難の道を歩んできた矢追参謀を、来年の一月のヨーロッパ方面の指導に、私といっしょに行かせたいと思うのです。また、アメリカ方面の指導には、ちょっとみると、外人以上に背の高い本部長を同伴したいと思うのです。
 それで来年の一月は、そういうわけで、だんだんと、東京だけでなくして、関西の幹部の皆さん方も、全国に回ってもらうようにしたいと思いますから、ゆうゆうと世界一周できるぐらいの体力と、それから旅費ぐらいは大功徳を受けていただいてくださいよ、いいですね。
3  なにも学会の指導で行かなくても、新婚旅行ではなくして、金婚旅行か、銀婚旅行に行っても謗法ではありません。いくら行ってもかまわないのです。世界は縮まってきております。大御本尊様から照らしてみるならば、ほんとうに、もう隣のうちへ行くようなものです。したがって日蓮大聖人様のご予言どおり、ご確信どおりの世界の広宣流布も、絶対に創価学会の団結の歩みがあるならば、かならずいつかはやってくると私は信ずるのです。
 その第一歩として、私ども大御本尊様に題目を唱える者は「宮殿にはいるなり」というおことばあるのです。自分自身が王宮であり、宮殿であるというおことばなのです。したがって自分自身が、最高の物心とものしあわせを獲得できるのである、生活のうえで、そういう確信ある生活をすべきである、このような日蓮大聖人様のおことばであります。
 したがって、わが身も王宮です。わが身が王宮であるならば、宮殿であるならば、あらゆる自分が活動する世界は、宮殿の庭です。常寂光土です。したがって家庭も常寂光土にし、また、おのおのの境遇、それから、勤めに行っている会社も、ぜんぶ常寂光土にし、そして日本の国も楽土日本に、常寂光土に築き、そしてまた、もっとも理想的な全世界を、常寂光土の世界に築くまで、仲良く、楽しく、堂々と、私とともに前進をしていっていただきたいのであります。以上あいさつにかえます。

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