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堂々と使命果たせ 9月度学生部幹部会

1962.9.7 「会長講演集」第8巻

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1  皆さん、こんばんは。                          
 私の話は、むずかしいことはいわないで、簡単にすることを、この前の総会で約束してありますから、それでいいですね。むしろ、皆さん方の成長の姿を私に見せていただきたいのであります。きょうは初めてですから、少し話をさせていただきます。
 釈尊の十大弟子に舎利弗がおります。舎利弗は智慧第一の弟子であります。智慧第一であるということは、当時のインドの社会において、学者のなかの大学者、知識階級の最高峰であるという意味であります。
 したがって、現代の学者、知識階級の、観念論的にいく学者ではなくして、当時の民衆のなかにはいって、あらゆる点で民衆を指導しきったのが、釈尊第一の弟子である舎利弗であります。
 いま、私が、学生部の諸君に願いたいことは、学生部こそ、そしてまた学生部出身者こそ創価学会の舎利弗であり、全世界の舎利弗であっていただきたいということであります。
 また、ご存知のように、広宣流布に向かう創価学会の前途にはおおいなる檜舞台が待っております。私は諸君のために、その道を少しでも大きく、はやく切り開いていきたい念願だけで陣頭指揮をとっておりますが、政治部門においても、現在の公明会、公政連の何倍、何十倍になることはとうぜんであるし、そしてまた、教育界においても、大学等をつくっていくことは必然であります。言論界、また東洋学術研究所、あらゆる点で現在の千倍、万倍の力を発揮しなければ広宣流布は成就できないことはとうぜんであります。
 したがって、諸君こそ、どうかひとつ、私を守っていただき、私に代わって、りっぱに広宣流布の仕上げをしていただきたいことを望むものであります。
2  私はこれだけの人間です。尊大ぶったり、利口げにふるまったり、そういうこともできませんし、する必要もありません、これだけの人間でありますから。ただし、大御本尊様は絶対です。日蓮大聖人様の生命哲学は、いかなる思想、いかなる哲学に相対しても最高の哲学であります。大仏法であり、大宗教であります。それだけは私はいいきっていけますから、安心して日蓮大聖人様の弟子となり、大御本尊様を根本として、全民衆救済のために、わが学生部が、私とともに、また学生部長を先頭として、無血革命の導火線となっていただきたいのであります。
 その第一歩として、その一つの実践として、いま、皆さん方の推薦をいただけるならば、学生部長を参議院に立てたいと思うのです。
 また、私がこの会場にまいりまして、車の中でも思っておりました。それは、恩師戸田先生は、青年部初期の建設期においては、たまたま私どもともご懇談の機会がありましたが、してくださいましたが、青年部の幹部会には、ほとんど出席をしてくださらなかった。ぜんぶ私どもに任せてしまっておられたし、また、青年の自主的な行き方を尊重してくださったのです。
3  しかし戸田先生が青年部に出席をしました最後の会場は、この品川公会堂なのです。それも部隊が拡大され、昭和三十二年、私が無理に先生のご出席をお願いしたのです。「そんなにいうならば出席しよう」と、ひじょうにおからだも衰弱しておられて、少しのあいだ出席なさって、すぐお帰りになったわけですが、そのとき、この会場における青年部の幹部に対する指導の一つには、わかりやすくポパイの例をとって「ポパイはホウレン草を食べれば、すごい力が出る、ということは、ポパイ自身が、ホウレン草を信じきって、絶対にこれだけの力が出るのだという、そういう信心をしているのだ」と。
 さらに、「青年はひじょうに心が移りやすい。それが心配だ。絶対に御本尊様を受持していけば、しあわせになれることは間違いない。最高の人生を生きていかれるのだ。信心の芯を入れなくてはいけない。信心の芯を入れるようにしなさいよ」
 このようにおおせになってお帰りになったのです。
 したがって、さきほどお話ししましたごとく、舎利弗たりとも、最後は信心です。
 どうか、強い強い信心に立ってがんばっていっていただきたい。
 それで、学業がたいへんだ、アルバイトがたいへんだ、やれ、学会活動がたいへんだ……とよくわかります。よくわかって、私が同情的にいくら理解しても、どうしようもないのです。
 私が願いたいことは、題目をしっかり上げきって、学業もアルバイトも、そしてまた学会活動も、自分に与えられた使命、責任はぜんぶ、きょうよりは、堂々とやりきってみせるという学生部のひとりひとりになっていただきたい。いいでしょう、これで。
4  また戸田先生がよく私ども青年部、弟子にお話しくださった一つに「わが青年部は昭和の高杉晋作であり久坂玄瑞である。宗教家ではない。国士である」国士ということは、いまでいえば日本の指導者という意味であります。
 そして、明治維新の、近代革命の導火線であって、吉田松陰を中心とした双璧といわれたのが、高杉晋作であり久坂玄瑞です。わが無血革命には犠牲はありませんが、ふたりとも若くして犠牲になって死んでしまいました。けれども先生は、そのふたりの志士のことを、よくおおせになられました。その一つとしては「高杉晋作は実践型、久坂玄瑞はどちらかといえば理論型、学者のほうである。だが、このふたりは、吉田松陰を、松陰先生を中心として、ひじょうに尊敬し合っておった。自分にないところは、その相手に見出し、また相手にないところは同志のいいところを見出して、おたがいに尊敬し合い、団結し、補い合ってきた」そういうお話をよくしくださったのであります。この学生部のなかにも、ある人は、実践型で育っていく人もいるでしょうし、ある人は理論型、学者型で進んでいかねばならない性質の人、個性の人もいると思います。いずれにしても、大御本尊様に照らされ、広宣流布という大目的のうえに立って、おたがい、いかなる性格であっても尊重し合い、尊敬し合い、守り合って、最後の最後まで見事なる青春時代と人生を生きていこうではありませんか。

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