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日蓮大聖人・池田大作

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大仏法に国境なし 第5回学生部総会

1962.7.22 「会長講演集」第8巻

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1  暑いなかを、長時間、たいへんご苦労さまでございます。あと、私ひとりで話が終わりますから、もうしばらくがまんしてください。
 ただいま理事長からも真心こめて、皆さん方への期待を、縷々と訴えられましたが、私もいつも同じ心でいっぱいであります。きょうもここへまいりまして、ただいま理事長からお話があったように「これから青年部、なかんずく学生部の会合に出る」ということをいわれてしまったのですが「もうそういう必要はないのではないかな、むしろ学生部の幹部会や総会においては、私がいろいろな話を聞いて、元気をつけていったほうがいいのではないか」と、こういうように思ったのです。
 まあ、ひとつ「学生部の成長は、即、創価学会の成長に通ずるし、学生部の前進は広宣流布の前進であるし、日本民族の幸福と平和と直結している」という絶対の確信をもって、進んでいっていただきたいと、お願い申し上げます。
 未熟な、そして皆さん方の期待にそえないような私であるかもしれませんが、会長という最高責任者という立ち場に立っても、どうしても皆さん方を見守って、大指導者になってもらわなければならないという自覚をもっておりますし、恩師戸田先生が結成された最後の部も学生部でありました。
 本来ならば戸田先生が親しく皆さん方の将来に対して、日夜、心をくだいて薫陶をくださるはずであったと思いますが、偉大なる恩師はおりませんし、その跡を継いで私が、こういう未熟でございますけれども、できるかぎり、皆さん方が大指導者に育つまで、いっしょに勉強していくつもりでありますから、そういう心をもって、ぶつかってきていただきたいと思うのであります。
2  先日、青年部長と懇談をしたその一つとして、恩師戸田先生の七回忌がすぎて、まだ、いつとは、はっきり申し上げられませんが、神宮外苑広場を借りて、青年部五十万名の結集をする予定をしたわけなのです。まあ、五十万名ははいらないのではないかということにもなっておるのですが、たいていメーデーのときには、六十万か八十万ははいっているのですから、計算上でいえば、はいれるわけなのです。
 そして、日本の柱とし、全日本民衆が安心して「これだけのまじめな、大仏法を奉持している若き指導者が集まってくれたか」といわれるような会合をしておきたいと思うのですが、どうでしょうか。
 日本民族の幸福を考え、平和を願い、広宣流布という、そしてまた、信心という、ひとつの心の一致をみた、そういう青年五十万名の会合というものは、世界始まって以来ない事実となるのではないかと、私は思うのですが、どうでしょうか。
 私が願いたいことは、その五十万名の、青年部員の代表五十万名の先駆として、その先頭に学生部旗をかかげて、学生部員が参列をしてもらいたいということです。
 これだけお約束をしておきたいと思うのですが、いいですね。
3  これで、もうあと話をすることはないのですが、これでさがったのでは、講演というわけにはいきませんもので、もうひとつだけ申し上げておきます。それは、創価学会のことについて、深く認識をせず、さまざまな批判もされておりますが……。
 こんなことは三障四魔、三類の強敵でとうぜんのことでありますが、私の願いとしては、ひとりでもふたりでも、日蓮正宗創価学会の本質、目的というものをわからせたいし、また、わかってもらいたいということが念願なのです。
 御書を拝読し、恩師戸田先生の講演集、または巻頭言集を読み、富士宗学要集を読み、その他さまざまな新聞や大白蓮華等が出ておりますけれども、冷静に、各階層の指導者や知識階級がそれを読んでいけば、だれびとたりとも納得ができるのですけれども、一端の現象を見て批判したり、新聞一枚を読んで批判したり、または、いままでのジャーナリストのいったことを先入観念として、無認識の評価、ただ批判したりしているのは、まことに残念なことです。
 まあ、これは皆さん方が、これから一生懸命にわからせていっていただきたいことを願うわけなのでありますが、そのひとつとして「日蓮正宗を国教にするのではないか」と、このようにすぐ憶測をするのです。このことについては、四年ぐらいまえであったと思いますが、男子部の総会のときに、私は、はっきりと宣言しておいたわけなのです。
4  日蓮正宗は日蓮大聖人様の大御本尊様を奉持している宗教団体である。日蓮大聖人様の教えは一閻浮提の大仏法です。御書にも「一閻浮提第一の本尊」このようにおおせです。一閻浮提ということは全世界という意味です。日蓮大聖人様は仏さまですから三世を通観していらっしゃいます。
 いま、宇宙開発時代という時代に、一国だけにとらわれた宗教などを、日蓮大聖人様がのこすわけがないです。また、個人の幸福、それから日本の国の平和という、足元を固めていくことはとうぜんでありますけれども、あくまでも日蓮大聖人様の仏法は全世界の仏法です。したがって「国教にしなさい」などということは書いてありません。そういう批判は的はずれです。
 宗教は、真の宗教は生活に直結して、民衆のなかにひろまり民衆のなかから発展していくものです。過去の宗教観というものは、大なるあやまりです。逆コースです。いっさいが低級宗教であり、邪教であったから、そうなってしまったのです。
 国の法律で日蓮正宗を国教にしたとしたら法を下げてしまいます。仏法のほうは永久のものです。永遠不変の大真理であり、大法則です。憲法は時に変わるときがあるのです。そういう憲法で永遠不変の大法則を規定していくなどということは、大きな間違いです。また、そんなことで、日蓮正宗を法律や、それから権力で国教にしてしまったならば、それでは、もっとも楽しい人間革命、それから成仏の直道である折伏ができなくなってしまうでしょう。
 末法万年尽未来際の仏法です。折伏は永久につづくのです。日蓮大聖人様の仏法は民衆の仏法なのです。そしてまた、われわれがいつでも折伏行に励める、そういうふうになっていくのが正しいのです。なかんずく、日本一国に日蓮正宗の大仏法がひろまり、他の邪宗教や低級宗教が負けて滅びていくことは、これは仏法の流れであるし、時代の姿です。そうなれば、日本民族がぜんぶ御本尊様をたもってしまったならば、なにも国教などという形式などは必要ないでしょう。そういう道理になってくるでしょう。
 したがって、日蓮正宗、そして創価学会の目的は、日本一国の国教にするのだとか、政権を獲得するのだとか、そんな小さなものではなくして、末法の救世主、日蓮大聖人様の大精神を精神として、全人類ひとりももれなく、妙法をたもたせてあげるという大前進をしていこうではありませんか。それが日蓮大聖人様の大精神であり、日蓮正宗、そして創価学会の精神であります。そういう大きい目的にたって、ゆうゆうと、楽しく団結をして前進していきましょう。
5  最後に日蓮大聖人様は「浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」このようにおおせになっておられます。また、妙法を根本として、他の経々、三世十方のいっさいの経々、思想、哲学は、序分であり流通分である、このようにおおせになっておられます。願わくは、学生部の諸君は、現実にはもう大御本尊様をたもっておられますけれども、弱い信心の人もいるかもしれません。
 また、お友だちに信心をすすめておって、信心ができない人がいるかもしれませんが、ぜんぶ含めて、大胆に、そして冷静に、我見や感情をぬきにして、皆さん方が学生らしく、識者らしく育つためにも、願いたいことは「日蓮正宗の大哲理」と「実存主義」と「マルクス主義」とどちらが高いか低いか、どちらが現実の生活のうえに、生命活動のうえに、教義の面から、それから哲理の面から、現証の面から、偉大であるかということを堂々と究明しきっていただきたいと念願するものなのであります。
 そしてこの確信、その信念をもって「自分はこれしかない。たしかにこれは世界最高の哲学である」ということを自得したならば、確信したならば、一生涯、その大信念を失わず、その大哲理を根底として、民衆の味方となり、不幸の人を救うために、一生涯りっぱに、有意義に私は進んでいっていただきたいと、かく念願いたしまして、私の話とさせていただきます。

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