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日蓮大聖人・池田大作

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参議院は党より人 東京第四本部幹部会

1962.5.24 「会長講演集」第7巻

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1  たいへんにしばらくでございました。                   
 さきほど、北条しゅん八先生は七十歳で「青二才」といわれました。今、理事長はそうすると五十三歳で「自分は青一才」といわれましたが、そうなると、私はどうしていいのかわからないのです。私は三十四歳ですから、〇・三才ぐらいです。
 したがって、北条しゅん八先生よりも、理事長よりも、はるかに若いのですから、これから、いくらでも広宣流布のために活躍して、皆さん方のご期待にそいたいと思っております。
 ちょうど、もうじき日本全国の幹部会が、終了するわけなのですが、それを終わりましてからも、もう一回、公示になってから、皆さん方がこちらで活躍をしていることをしのびつつ、全国を回って激励をしてくるつもりでございます。
 それで、衆議院の性格、それから参議院の性格について、世間では、ひとくちに「衆議院は政党、参議院は人なり」といってきております。
 そうすると、日蓮大聖人様のあの有名なる「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」というおことばが思い出されるのです。
 簡単明瞭なることばでありますけれども、甚深の方程式がふくまれております。
2  すなわち、大御本尊様を受持し、大生命哲学、大思想、大理念をもった人が活躍するところに、ほんとうの、正しい政治観や、社会観、国家観が、現実に具現されていくわけであります。そういう政治家がいる国会は「法妙なるが故に人貴く」して「所は尊く」なるのですから「暴力国会」とか、国民の不信をかうような代表決議機関ではなくして、だれがみても、さすがに国民の代表たる、りっぱな国会であるという方程式になると、私は思うのです。
 そうすると、どう考えても、わが日蓮正宗創価学会出身の議員こそが参議院議員とて、世のため、日本のために活躍すべき資格があると、私は断言するのです。
 北条しゅん八先生は、もう七十歳をこされて、大事な広宣流布のために、どうしても、長く生きていただかなければならないことは、私の願いであり、皆さん方もそう思っていると思いますが、とくに和泉先生については、この方面から推薦されて、どこからみても、力道山の弟子になっても心配ないようなボリュームの持ち主です。いままで長い学会き訓練を通じ、その力をたくわえ、民衆が、みんなが要望している政治家として、これから立っていただくわけでありますけれども、私どもは和泉先生に、とくに、これはまた学会出身の議員はとうぜん、ぜんぶそうでありますし、若い議員は、またとくにそうでありますけれども、国会議事堂にいったならば、われわれの要望にこたえて、働いて、働いて、働ききっていただこうではありませんか。
 他の議員さん方は、どんなにわれわれが依存しても、思うように活躍してくれません。選挙に立つときは、おじぎをするけれども、もう当選してしまうと、特権意識をもって、まるで自分ほど偉いものはないという、日本人の偏狭な、まずい、そういう性格をあらわしていく人が多いのです。
 われわれ同志から出た議員に対しては、いくらでも、シリをたたけるし、いくらでも無理はいえるし、国会議事堂で、それから視察中に、それから民衆のなかで、死んでいってもらおうではありませんか。
 ただ一つ、われわれの希望として、送れるのは、それしかありません。そういう意味で、学会出身の、われわれ同志の議員をば、もろ手をあげて、日本民族のために推薦していこうではありませんか。
3  さきほどから、たびたびお話がありましたが、学会がこれだけの力を発揮してきますと、さまざまな批判をされてくることは、とうぜんであります。ご金言に照らして、日蓮大聖人様は開目抄の中に「朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」大事な時になると、縁に紛動されて退転してしまう。したがって地獄に落ちる。せっかく宿命を転換して、大功徳を受けられるのに、朝晩いつも教えているではないか。まことの時こそ、しっかり信心していきなさいよと、このようにいましめても、いらっしゃいます。
 それから、常忍抄には「彼等程の蚊虻の者が日蓮程の師子王を聞かず見ずしてうはのそらに・そしる程のをこじん嗚呼人なり」というおことばがあるのです。
 どういうことかといえば、日蓮大聖人様に対し奉ったとき、やはり悪口雑言、日蓮大聖人様をあらゆるところから批判をしてきた、今でいえば評論家のようなものであるし、それから同じ宗教家、教団、そういう教祖や、日蓮大聖人様の弟子でありながら、退転して敵側にまわったとか、そういう連中に対する日蓮大聖人様の破折です。
 「彼等程の蚊虻の者が」蚊虻というのは蚊や虻です。騒いでいることは、そういうようなものです。「日蓮程の師子王」今でいえば御本尊様です。また、日蓮が弟子壇那の立ち場である創価学会のことです。「聞かず見ずして」ほんとうに大仏法を聞かないで、この厳粛なる、歓喜に燃えた団結の姿も見ずして「うはのそらに・そしる程のをこじんなり」をこじんというのは正邪を判別できない人、今でいえば、バカ者、おろか者ということです。
 したがって、日蓮大聖人様ご在世、また今日においても、その方程式は同じでありますけれども、私どもは日蓮大聖人様のご遺命達成のために、つた日興上人様の二十六箇条のご金言実践のために、三世十方の仏菩薩から「さすが人生として最高の道を歩んだ」とおほめのことばをいただくために、前進していこうではありませんか。
4  どうか、本部長を中心にして、いっさいの活動が信心からほとばしる活動であり、それが広宣流布に通ずることも確信し、日本民衆の幸福になることを確信し、自分自身の人間革命に、絶対に直結していることを確信しての活動であっていただきたいことを切望して、私のごあいさつとさせていただきます。たいへんに、ご苦労さまでございました。
 とくに、会場でお目にかかった方には、これでよろしいのですけれども、場外にいる同志の方々も、どうか「信心第一」に、しっかりがんばって、大勝利を博していただきたいと、以上申し上げまして、失礼をさせていただきます。

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