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二百六十万世帯の団結 東京第二本部幹部会

1962.5.15 「会長講演集」第7巻

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1  第二本部の同志の皆さん、たいへんに、しばらくでございました。      
 私がなにか特別な話をするということはございません。会長が話をすることも、理事長、副理事長が話をすることも、また班長さん、班担さん方が話をすることも、ぜんぶわが日蓮正宗創価学会は、大御本尊様のことを根本とし、広宣流布を目的としての話以外には、なにものもないわけでございますから、その点はよろしくお願いします。
 昭和二十六年五月三日は、恩師戸田城聖先生が、会長になられた日であります。
 皆さん方は、小岩方面、それから向島方面の方々でありまして、多く常泉寺にご縁があったことと、私は思います。
 先日、常泉寺の復興完成入仏落慶法要がありまして、御法主上人猊下の御導師をいただいて盛大に終了しましたが、ちょうど、そのりっぱな常泉寺の本堂に、じつは天蓋を御供養申し上げたのです。
 というのは、本堂ができ上がりまして、高野重役さんに「でき上がった記念として、なにか御供養申し上げたい」といいましたら、ちょうど、むすこさんがいて「まだ天蓋のお金を払っていないので、できれば、それをしてくれませんか」というわけだったのです。
 そういうわけで、御供養申し上げたのですが、そのとき、即座に私に重役さんに申し上げたことは、昭和二十六年五月三日に、戸田先生の就任式があり、終わって宴会があって、先生をみんなで胴上げしたのです。そのとき、集まった人は約三千人でありましが、胴上げしたときに、まえの本堂のうす暗いところにあったのが天蓋です。みんなで、あそこに戸田先生の頭をぶつけてしまったのです。
 あくる日、先生にお会いしましたならば「ずいぶん傷だらけになってしまったよ」などと笑っておられましたが、そのときに、その当時は木の飾りでありまして、何本かこわれていたという記憶があるのです。
 そういう意味で、常泉寺は戸田先生の就任式をやったところであり、また、その当時、先生を胴上げして先生に傷をつけたり、あるいは天蓋をこわした、そういう歴史のある、由緒のある常泉寺であり天蓋でありますから、おわびかたがた御供養申し上げますと、こういうわけで御供養したのです。
2  私が申し上げたいことは、当時は、戸田先生を広宣流布の大指揮者として、大将軍として、つどうた同志は三千人でありました。教学もまだまだ力がなく、組織もまだまだ弱体でありました。それが、火の玉となって、広宣流布に前進を開始しました。
 私も、その式場において、一介の会員としておりましたけれども、当時はこのような大部隊ではありませんから、今日までの闘争、前進においては、あらゆる迫害、あらゆる妨害は、ひじょうに会員を動揺させてきました。
 しかも、ただのいっぺんもほめられず、悪口雑言されてきた創価学会、ある場合には「暴力宗教」と宣伝され、「仏壇を焼く、香典をもっていく、位ハイを焼く」そういうデマの宣伝ばかりされてきました。創価学会には、そういうことは、ただのいっぺんもありませんけれども、そのように、あくまでもあらゆる方面から妨害、ざん言をされながらも、十一年目の今日、二百六十万世帯の人が、御本尊様を受持し、そして日蓮大聖人様の仏法を実践し、世の中のため、自分自身のために活躍をしているという、この厳粛なる事実は、あくまでも日蓮大聖人様の大御本尊様は絶対のお力があり、わが日蓮正宗創価学会の使命、活動が、民衆の要望にこたえた、かなった証拠であると、私は断言するのです。
 これからも、広宣流布にむかって、さまざまな妨害や策謀があると思いますけれども、もう二百六十万世帯の人が、鉄の団結をしていくならば、なにもこわいものはありません。三千世帯の人が、十一年間で、それも、アラシのなかをすすんで、二百六十万世帯になったのです。いわんや、これから十年、二十年先は、日蓮大聖人様のご金言のなかにも「剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」とおおせであります。
 仏さまのご金言です。虚妄であるわけがありません。
 十年、二十年先に、どれだけの大勢の人が救われるかということを楽しみに、また、そのときに、自分自身が「ああ、戦ってよかった。御本尊様を受持してきてよかった。自分は活躍して、こんなにも幸福になった。悔いがない」といいきれるひとりひとりになっていっていただきたいと、私は切望するのです。
3  さきほどは、理事長はじめ先輩の方々から、推薦のお話がございましたが、和泉先生も、北条しゅん八先生も、まあ家庭のことをいうべきではありませんけれども、ともにお子さんがいらっしゃらない。したがって、とても子供が好きでありますし、いろいろな点で、何十年間も奥さまとふたりで、ずいぶんさびしいこともあったらしいのです。そのぶんは、今度は、選挙民のためにも、支部員のためにも、同志のためにも、いくらでも活躍をしていかれる原動力をもっていると、私は確信するのです。それで、和泉先生の顔をみますと、よく戸田先生が「どこから国境になっているのだろう。どこから頭のほうで、どこまでが額のほうだろうか」とよくおっしゃっていました。これは戸田先生がおっしゃったのです。そのたびに和泉先生は、冬であっても、われわれが寒いときでも、ハンカチを出して頭をぐるぐるとふくのです。とても愛くるしい。
 さきほど柏原先生が「デン助うんぬん」といっておりましたけれども、和泉先生の顔を見ると、どうみても色相円満で、和泉先生のような方が国会へいくならば、きっとどんな議案でも円満解決するのではないかと思うのです。
 それから、北条先生も、じつは七十歳とおっしゃっていますけれども、私はよくお付き合いさせていただいて知っているのですが、いつも流行歌を歌って、まるで二十二、三歳だと思っているのです。それで、学会のことに関しては、第三者の人は、なんとなく元気で、極端にいえば、いろいろ悪口のひとつとして暴力宗教だ、暴力的だといわれてきましたけれども、もうどこからみても、北条先生は紳士のなかの紳士です。
 国会も乱闘国会ばかりで、いままでずいぶん国民のひんしゅくを買いましたけれども、北条先生のような紳士の方がいかれるならば、乱闘国会も少しは遠慮するのではないかと想像するのです。
 それから、なんだかんだと学会のことをいろいろ批判する人に対しても、北条先生もわれわれの同志です。「ずいぶん学会が暴力的だといわれたけれども、北条先生をみたまえ。皆さん以上に紳士のなかの紳士ではないか」といっていきましょう。どれほど学会が礼儀正しく、紳士的であるかという縮図を代表していらっしゃるのです。
 きょうの新聞を見ますと、第三勢力、第三政党になるかならないかという立ち場
 の民社党が「火ダルマになって今度の参院選を戦い抜こう」という、そういう大き
 い書き物を出すなどということがありました。「火ダルマ」では少し熱すぎますか
 ら、わが学会は火の玉となって、ゆうゆうと大勝利をしていこうではありませんか。
 それで、どうしても学会が、もう第三勢力にならざるをえない宿命にはいっているという証拠です。まず私が皆さん方にその一歩としましてお願い申し上げたいことは、皆さん方自身が、信心、それから人生、行動に、確信と自信とをおもち願いたいのです。それから、後輩の支部員の方々にも、確信と自信とをもたせていただきたいのです。
 いずれにしても、大御本尊様をたもった私どもであ.、同志です。小さなことで、それをつつきあったり、神経質になって、なんだかんだ批判しあったり、そういうことは絶対にあってはなりません。自分も自信をもち、それから会員にもぜんぶ自信をもたせて、愉快に、楽しく、仏道修行をいっしょにして「自分自身も幸福になり、一家もしあわせにし、そして社会も、日本民族も、しあわせにしていこう」という大きい心をもって、すすんでいこうではありませんか。

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