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第三勢力に発展 東京第一本部幹部会

1962.5.11 「会長講演集」第7巻

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1  第一本部の皆さん、たいへんに、しばらくでございました。         
 元気いっぱいの姿を拝見しまして、私までが元気になったような気がします。ありがとうございました。
 いちばん最後になると、話をすることが、なにもなくなってしまうのです。いままでの先生方の話でいっさい尽きてしまいますが、このままおじぎをして席を戻ると、退転したのではないかと思われますので、がまんをして少し話をさせていただきます。
 先日、会合が終わって理事長や副理事長がひじょうにおなかをすかせて、疲れているようなようすでありましたもので、いっしょに中華料理を食べに行ったのです。
 そんなことをいうとちょうどハラがへった時間で、この忙しいのに会長なにごとかと、おっしゃる方もいるかもしれませんが、私だって人間ですから、たまには中華料理を食べさせてもらいたいです。
 それで四、五人の同志といっしょに、その店にはいって注文をしました。そうすると、女の店員さんがなんとなくキョロキョロ、女探偵みたいに、私どもをにらみつけているのです。だが、ハラがへっているもので、一生懸命にみんな食べました。
 お金を払うのは、たいてい、いつも私なのです。私はそういうわけで、あまり食べないで、払ってばかりいて、太らないで、理事長や副理事長は、いつもごちそうになって、太ってばかりいるのです。
 そこで、食べ終わったころに、その店員さんが「先生ではありませんか」というわけなのです。「そうです」というと「私も学会員なのです。このあいだ、お山へひさしぶりに行きまして、ほんとうに功徳を受けて喜んでいるのです」そういうのだったら、もう少し早くいってくれればよかったのです。食べ終わった時分、監視をされたあとで、いわれたわけです。
 そのときにいうのには「はじめて会長さんとも会いました。学会の大幹部の方々とも間近に会いました」と。それで私のことに対して「ずいぶん若いのですね」というのです。オーバーないいかたですけれども「私は会長さんといえば、もっと年輩で神さまみたいな顔をしていると思っていました」というわけなのです。
 ということは、裏を返せば「なんだ、おかしい顔をした、よく笑ったり食べたりする会長だな」という意味らしいのです。どうもがっかりしたらしいようなのです。
 しかし、どうかひとつ、会長がこんな顔つきで気にくわないことがたくさんあるかもしれませんが、皆さん方は、あくまでも日蓮正宗創価学会の根本義は、精神は、大御本尊様を信心して、そして日蓮大聖人の御書をそのとおりに、一分もたがえず実践していく、これが学会精神であり、それを教えていくのが会長の使命なのですから、それでいいでしょう。
 ですから、怨嫉をしますと、おたがいに罰を受けますから、私のことについては、あまり文句をいわないでほしいと思います。
2  それで、われわれが選挙戦に対しても、けっして創価学会が発明して行う選挙戦ではないのです。日蓮大聖人の御書を眼を開いて見るならば、立正安国論(御書全集17㌻)においても、守護国家論(御書全集36㌻)を拝しても、三大秘法抄(御書全集1021㌻)を拝しても、あらゆる御書を拝しても「王仏冥合を実現せよ、広宣流布をせよ」という日蓮大聖人様のご金言がございます。
 したがって、世のため、令法久住のため、また広宣流布のために、日蓮大聖人様のおおせどおりに、日蓮大聖人様のおおせの広宣流布の段階のひとつは、現在においては選挙戦になります。折伏そして選挙戦です。その選挙戦、広宣流布の活動をしているわれわれに、日蓮大聖人様が、そして諸天善神が、また三世十方の仏・菩薩が、われわれの生活を、われわれ自身に功徳を与えないわけもないし、守護しないわけも絶対にないと、私は確信するのです。
 本来、参議院の本質は、政党化すべきではないのです。今の誤れる政治のひとつのコブとして、参議院までがその本質を間違えて、政党色に染まっております。衆議院のほうは政党政治で、これはけっこうです。
 しかし、参議院はそうであってはならないでしょう。これは、皆さん方もよくおわかりであると思いますし、どんな識者もそれは考えている、憂えている実情です。
 したがって、創価学会が無所属として立ち上がっていることは、あくまでも、参議院の本質に、また民衆の意思にかなったありかたであると、私は信ずるのです。
 自民党、社会党という政党色に染まっているのが参議院であります。そこに「第三勢力」として、清風を投じてきつつあったのが過去の緑風会――現在の同志会です。それも、だんだん衰微してしまった。もう参議院に大きい警告を、そして清風を送り込んでいくような人、団体はなくなってきている現状です。
 今、創価学会は、けっして第三勢力とか、そういう政党色の考えは微塵もありませんけれども、民衆の要望、時代の要求に応じて、どうしても自民党、社会党、二つの政党の真ん中を、その政党をも反省させるべく「第三勢力」として立ち上がっていかなければならない運命にはいったことを、喜んでいこうではありませんか。
3  創価学会に対しては、過去における批判は、あらゆる批判は、創価学会をバカにしたうえの批判でありました。今日における批判は、けっして、そうではありません。創価学会に対して、その力をば知ってきた批判であり「その実力は恐ろしい」という、そういうふうな批判に変わってきております。
 また「どういうふうに創価学会は大発展をしていくであろう」という好奇心をもった批判になってきております。もう一歩、もう二歩、われわれが団結をして進むならば、ちょうど上げ潮の場合には、どんなさえぎるもの、どんなゴミも、ぜんぶ岸辺にグーンと押し上げていくがごとく、われわれの団結と前進によっては、いっさいの批判する人々が変わって、今度は賛成してくるべき時代に、私は、はいりつつあると思うのであります。
 その原動力はあくまでも御本尊様の威力であることはとうぜんでありますが、たゆまない折伏、そしてまた選挙であると、私は思います。どうか、さきほどから、いろいろ指導もございました。そして理事長からも、こまごまと大事な指導をしていただきましたが、おのおのの分野にあって、なぜ創価学会は選挙をするか、創価学会の崇高なる目的は何か、使命はこれなのだということを、皆さん方が、どうか、腹の底からよくわかっていただいて、私どもがいちいち支部員の方々、それから第三者の方々に話していく機会もありませんゆえに、私に、また大幹部に代わって、たいへんではありましょうけれども、柔和忍辱の衣を着、また忍耐強く教えきっていっていただきたいことを、心からお願い申し上げるしだいでございます。
 最後に、理事長からもお話がありましたが、信心第一に、楽しく、のびのびと、そして、からだにご注意なされて、楽しい闘争をしていただきたいことをお祈り申し上げ、私の話とさせていただきます。たいへん、ご苦労さまでございました。

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