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広宣流布の使命 埼玉総支部幹部会

1962.5.10 「会長講演集」第7巻

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1  埼玉の同志の皆さん、たいへんにしばらくでございました。         
 さきほどお話がありましたなかに、「会長の雄姿に接して」というような話がございましたが、私から見ますと、皆さんのほうがずっと元気で、雄姿をあおいでいるような姿でありまして、反対でございますから、よろしくお願いします。
 会長は「きょうは仙台だ、あしたは浜松だ、大阪だ、九州だ」と、「あっちへ行け、こっちへ行け」というようにいわれて、ほんとうは、ふらふらで「雄姿」どころの騒ぎではないのです。会長はひとりでそういうふうに暴れ回っていて、ふらふらでございますから、皆さん方同志が、あくまでも、私も皆さん方も同じ大御本尊様を拝み、同じ広宣流布に向かっての闘争でありますゆえに、私は、ただ皆さん方に大きな期待をかけておりますから、かさねてお願いいたします。
 わが日蓮正宗創価学会の根本義は何か。それは申すまでもなく、日蓮大聖人様の出世のご本懐である三大秘法の御本尊様を拝みなさい、御本尊様を拝するならば、願いとしてかなわざるなし、この大御本尊様をわが身も拝し、不幸の人々に教えていくことが学会精神であります。
 したがっで、大御本尊様を日蓮大聖人様のおおせどおりに信心するならば、だれびとたりとも功徳に燃えた生活ができないわけは断じてないと、私は確信するのです。
 ここで、皆さん方は拍手をしておりますけれども、自分の信心のいかんは自分がいちばんよく知っているのですから、皆さん方自身がわが胸に手を当てて考えて下さい。その信心の強弱によって功徳が違いますけれども、信心強盛ならば、それだけの功徳は必ず受けられます。信心が弱ければ功徳は少ないのです。これは厳然たる因果の理法です。大御本尊様のなかには法力・仏力が厳存しております。あとは私どもの信力・行力いかんによって、功徳が決定するのです。
2  りっぱなテレビを買っても、スイッチを入れなければ映像は出ません。また、きちんとダイヤルを合わせなければ、こちらが見たいような映像にはなりません。ラジオも同じです。自動車だって、免許証を取っても運転しなければ、いつまでたっても運転はできません。人は乗せられません。道理は、ぜんぶ同じです。
 したがって、大御本尊様を拝するならば、信心が強盛ならば、その強盛なる信心に相応した功徳が出るのは、とうぜんです。また、その道程で三障四魔は出ます。
 しかし、最後はよいに決まっています。したがって、せっかく私どもは大御本尊様を奉持したのですから、こんなにも大御本尊様に功徳があるのかということを、ひとりひとりが、りっぱな人間革命と体験とを通して、証明しきっていこうではありませんか。
 大御本尊様は絶対であります。会長をはじめ理事室は、凡夫ですから、絶対ではありません。皆さん方も絶対ではないのです。さきほども「会長の慈悲」とか「池田先生」などといわれて、おせじを使われても、私はいい気になんかなっていません。じつは、もう胸が痛くてしようがないのです。そういうようなことで、いい気になるような私ども大幹部ではございません。あくまでも「大御本尊様は絶対である。大御本尊様の大慈悲は絶対である」ということを教えきっていくのが会長であり、大幹部なのです。
 それでいいでしょう。学会は、べつに一銭も会費をとるわけではありませんし、学会でどんなに会場を使っても、会場費を会員からとるわけでもありませんし、学会はおたがいになにも文句のいいあいがないようになっているのです。あくまでも、御本尊様が根本です。そして、わが身も、全民衆も、日蓮大聖人様のおんまえに、頭をたれて、信伏随従すべきです。日蓮大聖人様のおんまえだったら、どんな偉い人でも頭を下げるのがあたりまえです。われわれのような貧乏人の前だと、体裁を思ったり、見えがあって頭を下げられませんけれども、日蓮大聖人様のおんまえに頭を下げて、そして、わが身も家庭も社会も、日本の国も、世界のぜんぶの民衆も、いっさいをしあわせにできるという日蓮大聖人様の仏法を知らせていく先駆が、われわれ学会人なのでしょう。
3  次に申し上げたいことは、学会が選挙をやることについて、なかには信心の弱い人は、疑問を起こす人がいるかもしれません。しかし、このことについては日蓮大聖人様がおおせになっているのです。「勅宣並に御教書を申し下して」「御教書」というのは、今でいえば国会の議決、選挙なのです。日蓮大聖人様がおおせになっているのです。広宣流布ということも、日蓮大聖人様の御書を拝すれば、各所におしたためなのです。また、恩師戸田城聖先生も「どうしても広宣流布をするためには、選挙をしなくてはならない」とおおせなのです。やりたくないと思っても、日蓮大聖人様のご命令ですから、どうしようもないのです。
 信心が弱い人などは、選挙によってはっきりするのです。ぐっと強くなるか、あるいは、おかしくなっていくか、仏道修行における大きい節とも考えられます。いずれにせよ、ぜんぶ、日蓮大聖人様のおおせなのでありますから、一生懸命やっていただきたいと思います。
 日蓮大聖人様がおおせなのです。われわれは日蓮大聖人様の弟子であり、日蓮大聖人様の仏法を奉持して功徳をいただいていっているのですから、これ以上の仏法がないことは、はっきりしているのです。
 北条しゅん八先生は、さきほどからもご紹介がありましたが、日蓮大聖人様ご在世においての北条時宗の末孫でおられるのです。あの当時は、日蓮大聖人様にも師敵対して、日蓮大聖人様に、ずいぶん、おこられた人なのです。
 良観房など邪宗のやからのざん言を受け入れて、北条幕府は日蓮大聖人様を佐渡の国へ流したのです。日蓮大聖人様は「日蓮の弟子が火つけをした」というざん言で島流しにされたのです。御本仏様でもそういうふうに批判されるのですから、末代のわれわれが、あちこちから批判されることは、これは、やむをえません。しかし、日蓮大聖人様を佐渡の国から許したのも北条時宗なのです。
4  そのときは、信心しませんでしたけれども、七百年たって、北条一家が信心したわけです。これは、ずいぶん長い折伏です。また七百年もたって、信心したご一家ですから、その日蓮大聖人様に対するご恩返しと、いままで強情をはったぶんを、国会や、それから広宣流布のために、爆発させていくということも、とうぜん考えられると、私は思うのです。
 北条先生も、べつに自分から立ちたいと思って、立ったわけではないのです。私とて、自分から会長になりたいと思って、会長になったわけではありません。だれか、確信あれば、なりたい人がいれば、いつでも代わります。そのかわり大罰を受けないようにしてもらいたいと思います。北条先生も同じです。
 しかし、広宣流布のために、おのおのの役目があるのです。使命があるのです。
 信心をきちんとすれば、それが証明されてくるし、わかってくるし、そういう意味から、学会の人事については、どうか信頼していただいて、このご年輩で、朝な夕な駆けずり回って、広宣流布のために立ち上がってすすんでいる北条先生を、くれぐれもご後援していただきたいと、心から念願するものでございます。
 最後に、皆さん方が、どうか、この選挙をとおしても、また一日一日の仏道修行をとおしても、お会いするたびに、はつらつと、生活のうえでも、こんな功徳が出た、病気もなおった、女学生、中学生のような気持ちで元気だというふうに、大見えをきって、私どもと会えるようになっていただきたいと、このことを心からお祈り申し上げまして、私の話とさせていただきます。長いあいだ、ご苦労さまでございました。

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