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日蓮大聖人・池田大作

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参院戦への指針 東京第三本部幹部会

1962.5.6 「会長講演集」第7巻

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1  先日、理事長や副理事長といっしょに、ある地方の旅館に泊まりました。その旅館のおかみさんは学会人でした。そして、一生懸命、いままで学会活動をし、折伏をしてきたことを、そのおかみさんから、いろいろと聞きました。まるで、私が、お説教でもされているみたいなかっこうでした。
 十年前に信心して、当時は、ほとんどお客さんもなかったような状態だったそうです。また、折伏をして、何人かの人に御本尊様をもたせたり、まだ学会人が少ないときに、一生懸命に戦ってきたそうでありますが、そのときに、その奥さんに対して、信心に反対した人々、信心して退転した人々がいうことは「学会の会合に行くと、貧乏人と病人だらけで行きたくありません」また「あなただって旅館をやっているけれども、お客さんなんか、はいっていないではありませんか」ということを、いいつづけられてきたそうであります。
 今、十年目に、その人の功徳の報告は、十何万坪の土地ももっているそうでありますし、一日も欠かさず、毎日百何十人という客がはいっているそうであります。
 そして、からだもじょうぶになり、とても、私は功徳を受けましたという報告なのです。
 そのとき反対をしていた人々、それから退転をしていた人々も、今になって気がついてきたそうでありますが、いずれにせよ、私ども日蓮大聖人様の家来、使いは、永久に、不幸の人、貧乏人、そして病人の味方になって、学会精神をもって、すすんでいこうではありませんか。
2  往々にして、世の中の指導者、それから上層階級の人々は、口ではうまいことをいいますが、見えっぱりで、利己主義です。真心こめて、ひとりひとりの病人や、ひとりひとりの貧乏人を、恥ずかしい思いなどしないで、自分のことと思って指導しているかといえば、ほとんど、そうでないように私は感ずるのです。
 わが創価学会の幹部は、創価学会員の精神は、くどいようでありますけれども、いずれの時代になっても、その精神を忘れずに、不幸の人、貧乏人の真っただなかにはいって、莞爾として指導、折伏をしていこうではありませんか。
 また、私は皆さん方に相談をするのですが、その第一番目は、指導者、政治家というものは、どこまでも民衆の幸福を考えていくべきである。すなわち、だれびとたりとも幸福になっていく、平和な生活をしていくということに対しては、心から喜ぶのが指導者であり、政治家であると、私は思うのです。
 そうした場合に、今、日蓮正宗創価学会の活躍によって、初めは、だれも日蓮大聖人様の御本尊様をたもっていた人はおりませんが、大御本尊様の偉大なる仏法を知って、そして御本尊様を受持して、現実のうえに、生活のうえに、しあわせになっております。個人個人における功徳の浅深は別としても、いままでよりは絶対に幸福になっていると思いますけれども、どうでしょうか。一万何千人の人全員が拍手をしているように、私は見受けます。
 そうであるならば、一念三千という大法則というものを知らなければ生活のうえで大功徳が出た、病気がなおった、生命力がおう盛になったといっても、知らない人は「神がかりではないか。奇跡なんておかしい。非科学的だと思う」などというかもしれませんが、それは大御本尊様の本体を知らない、一念三千という大仏法の大哲理の裏づけを知らないでいて、それで論じている、それだけのことであります。
 したがって、どういう指導者であり、政治家であっても、現実に何十万人、何百万人の人が、それらの指導者が救えなかった人々が、この日蓮正宗の大仏法によって救われて歓喜ある生活をしているということを現実に認識し、まのあたり感じ取ったならば、創価学会のことを毛筋ほども批判すべきではないし、むしろ、もろ手をあげて、ほんとうに日本民族のためにも、われわれ指導者の責任のうえにおいても、うれしくてたまらないというのが、真実の指導者であると、私は思うのです。
3  第二番目に相談したいことは「創価学会は強引に折伏をして、大勢の人を会員に入れているから、勢力が進んでいるのだ」邪智謗法の世の中の場合には、いろいろな理屈をつけるものなのです。「猶多怨嫉」ですから、ヤキモチが多いのです。
 絶対に不幸の人を幸福にさせきるという場合には、たとえ、主義主張は別であっても、指導者には、それだけの強い信念がなくてはなりません。
 折伏は、あくまでも大御本尊様を根本とした慈悲の行為であります。けっして、めちゃくちゃな折伏をせよなどということは、学会では、ひとことも指導しておりません。しかし、自分が大御本尊様の功徳を感ずるがゆえに、一生懸命、真心こめて折伏をしていくことは、これはとうぜんでありますし、また道理であります。
 私が申し上げたいことは、世の指導者に、政治家に、自分たちがほんとうにひとりひとりの不幸の人々を救いきれるという信念があるならば、それこそ学会の折伏精神をマネすべきであると私は思うのですが、どうでしょうか。
 にもかかわらず、策謀と策動と陰謀の多い世の中であります。私どもは、正々堂々と大仏法をかざして、ひとりひとりの人を現実に救っております。結果として、どれだけの人が、その主義・主張についたか、どれだけの人が、現実のうえで歓喜に燃えて人間革命しきっていったか、これが、私は厳然たる大衆の声であり、大衆が支持すべきものであるという、一つの証拠ができるゆえんだと思うのですが、どうでしょうか。
 そうなれば「創価学会は強引にやった云々」といっても、現実に二百六十万世帯の人が喜び勇んで功徳に燃えた生活をしているという事実を、日蓮大聖人様の仏法に力がある、また日蓮正宗創価学会の活動は、民衆の要望にこたえた活動であるという証拠であると、私は思うのです。
4  第三番目に相談したいこは「宗教団体であって政治に出ることはけしからん」そういうふうに、批判することがなくなると、どういうことでもとらえて、批判をするのが人の常です。まず王法のうえでのべれば、憲法で、信者は、また信仰をもっている者は選挙に立ってはいけないとか、選挙に立った人に投票してはいけないとか、そういう規則がございますか、ないでしょう。
 民主憲法です。だれびとが選挙に立とうが、だれびとに投票しようが、あくまでも主権在民ですから、そういうことは自由です。おのおのの自由であるべきはずです。政党の人たちのなかに、「日蓮正宗創価学会は宗教団体だから、政界に出るのはまぎらわしい」などという人があります。
 であるならば、政党人は、今度は、絶対に信仰してはいけないことになるでしょう。信仰してはいけないという理由にもなるのです。宗教団体の者は選挙に立ってはいけないというのなら、では政党人は宗教をぜんぶやめよといいたい。どんな宗教もやめますか。こういう理屈が成り立つのです。
 もう一つ、政治家の人たちが、宗教団体であるわが日蓮正宗創価学会のことを、こちらは、なにも悪口をいっていないのに、なんだかんだと批判してきております。
 それならば、反対に、今度は宗教団体が政治に立ってはいけないというのだったならば、理屈をいえば、ひとことなりとも、政党の人たちは教団に対しては批判をいうべき資格がないということになります。そういう理屈になるわけでしょう。
 しかし、憲法のうえ、王法のうえでも、だれびとも立ててもいいし、選挙もできる。いわんや、わが日蓮正宗の仏法においては、日蓮大聖人様の王仏冥合のご命令があるのです。弘法や親鸞や、それから善無畏三蔵や、そういう教祖やなにかが王仏冥合の予言をしていますか。ただひとり、日蓮大聖人様が大仏法を根底として慈悲ある政治をとらなければ絶対に救えない、末法の衆生は救われない、このように三大秘法抄に厳然とおおせになっていらっしゃるのですから、私どもの選挙戦は、仏法のうえでも、王法のうえでも、とうぜんやるべき選挙戦であると思うのです。
 ですから、いろいろなことに惑わされないで、あくまでも私どもが信心第一に、そしてスクラムを組んで、ひとりひとり世の中の不幸な人、無認識な人々をわからせてあげようと、真心こめてがんばりましょう。くやしいことも、きっと、これからもあると思いますが、強盛なる信心で、一生成仏と、それから、だれびとにもできない広宣流布という大目的のために立った人生観をもって、勇躍歓喜して仏道修行に励んでいこうではありませんか。
5  最後に日蓮大聖人様から、おほめのことばをいただけばいいではありませんか。
 人々が、なにやかや、ほめたからといって、それはおせじです。自分が生きていくことが楽しくて楽しくてたまらない、こういう自分を築けばいいのですから。あとはご仏智です。
 それで、和泉先生と北条しゅん八先生が、きょうはおいでになられましたが、おふたりのことについては、先輩の方からいろいろと、その功績、功労等においては、お話があったと思いますから、よく皆さん方もおわかりくださっていると信じますゆえに、なにも私は申し上げません。
 ただ、和泉先生は二十何貫で、えらく太って、それで「和泉先生!」といっても、三分ぐらいたってから「なんだい」などという、ひじょうに、からだの重い人ですから、その点、皆さん方が、ひとつ身を軽くして動いてあげていただきたいと思うのです。
 それから、北条しゅん八先生も、自分は一生、青年として、青年の気持ちでがんばると、けなげにおおせくださっておりますが、なかなか「年はあらそえない」ということわざもありますように、七十歳の老齢です。なにやかや、たいへんであると思います。貴族の生まれで、口のききかたも、ひじょうにお上品で、雄弁というほどでもありませんから、皆さん方が北条さんの口にかわって、雄弁なる訴えをしてあげていただきたいと、こう切望します。
 どうか落ち着いた行動をとっていただきたいことと、それから事故を起こさないようにお願いいたします。礼儀正しく、喜びに燃えて、支部員に対して、それから折伏にいっても、相手が納得のいくように、理解できるように、ひとつ、じっくりと、静かに話をしていけるような指導者になっていただきたいと、以上申し上げまして、私の話といたします。

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