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日蓮大聖人・池田大作

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民衆繁栄の大哲学 第24回本部総会

1962.5.3 「会長講演集」第7巻

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1  本日は、もったいなくも、総本山より日達上人猊下のご臨席をたまわり、また、多繁の時間をおさきくださって、多数の来賓のご出席をいただき、そしてまた、全国の学会員の同志を代表した幹部の皆さん方とともに、第二十四回総会を、真剣に、楽しく開催できましたことを、私は心より感謝申し上げるしだいでございます。
 一昨年の五月三日、この壇上において、日達上人猊下よりたまわったおことばの、その一節に「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、これを、あなたに、さしあげるものである」というおことばを、ちょうだいいたしましたが、本日、私は、そのおことばを、さらに胸にきざんで、王仏冥合をめざして、指揮をとっていく決心でございます。
 なにとぞ、愚かなる私ではございますけれども、大御本尊様を根本として、日本国の柱となって、個人の幸福のため、そして社会の繁栄のため、わが創価学会員が、鉄の団結をもって、堂々と前進をしていこうではありませんか。
 仏法を学すれば、まず法華経が最高の経典であるということは、常識になっております。墓番の宗教、企業の宗教等はいざしらず、まじめに仏法を学するならば、法華経が最高の哲学の経文であることが明白にわかります。
 それは、なぜか。法華経には、宇宙観においては、空仮中の三諦を説ききり、宇宙の本質を究明しきっております。また、生命観においては、三身常住、永遠の生命、すなわち生命の本体を明らかに説ききっております。
 しかし、ここで、もう一歩知らなければならないことは、釈尊の法華経は、法華経二十八品であり、天台大師の法華経は理の一念三千、摩訶止観であり、そして末法の御本仏・日蓮大聖人様の法華経は五字七字の南無妙法蓮華経、すなわち一幅の御本尊様になります。
 その法華経の種類を、時代に相応せず、間違えるところに、大きい仏法の混乱があり、人々が仏法に迷っている根本があるわけであります。
 日蓮大聖人様いわく「日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」この御本尊様こそが、日蓮大聖人様の、末法にかなった、成仏できる、功徳を受けられる源泉の仏法であります。日蓮大聖人様が、キツネを拝めとか、釈迦像を拝めとか、やれ竜神を拝めなどということは、けっしていっておりません。
 現実に末法における成仏の直道、生活のうえに大功徳を受けられる宗教は、三大秘法の大御本尊様であり、すなわち日蓮正宗の仏法のみが、末法における大仏法であり、その証拠として、二百六十万世帯の人が、現実に生活のうえで、大功徳を受けているということによって、証明できると、私は断ずるのです。
2  また、いずれの時代においても、正法を根底とした国は、必ず文化が栄え、民族がしあわせになっているという事実があります。釈尊在世においても、初めは大謗法を重ねていた阿闍世王も、最後に仏に信伏して、そして仏法を根底にして、善政をしき、民衆はひじょうに幸福になったということは、歴史上、厳然たる事実であります。
 くだって、アソカ大王の時代においては、同じく正法を根底にして、アソカ大王も、初めは戦争ばかりして侵略をしておりましたが、最後は仏法を根底にして、まれにみる文化国家、文化社会を建設しております。その証拠として、当時の建築物等が、現在までまだ残っていることによっても立証されます。
 また、くだって、釈尊滅後四百年ぐらいにおいても、同じくインドにおいて、カニシカ王は、ガンダーラ芸術で有名な、ガンダーラ文化を築いております。
 また、中国においては、すなわち現在の中共においては、陳隋の世に出現した天台大師が、南三北七という十宗の邪宗教をぜんぶ打ち破って、理の一念三千、摩訶止観の仏法根底の文化として、世界に類例がないとまでいわれた、かの最高の文化をほこった唐時代の文明を築ききっております。
 わが国においても、伝教大師の時代にはいって、桓武天皇の前において、六宗の邪宗教をぜんぶ打ち破り、法華経を中心にして、かのけんらんたる平安朝文化が築かれております。
 歴史上において、王仏冥合のすがたになったときには、どれほどに善政がしかれ、文化が栄え、人々が平和に暮らしてきたかということは、この先例によっても実証されます。
 今、末法今時においては、さらに深い大御本尊様を根本とした場合には、法華経二十八品、それから摩訶止観も、日蓮大聖人様出現の予言書であり、御本尊様の説明書になってしまいます。広宣流布の暁には、日本の仏法である、独一本門の大仏法を根底とした、大文化、大文明が築かれなければならないと、私は叫ぶものであります。
 これこそ歴史の流れであり、民族の要望であり、仏法の正統であると、私は確信するものなのであります。
3  日蓮大聖人様は「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」また、如説修行抄にいわく「万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨つちくれを砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり」とも申されております。
 今、日本国において、もっとも不幸なことは、日本民族の骨髄ともいうべき大理念、日本民族の大繁栄の源泉となるべきものを知らないということであります。それは何か。それは絶対に日蓮大聖人様の大生命哲学であり、日蓮正宗であると断言するものであります。
 静かに、日本の現状、日本の将来、そしてまた、世界の動乱の様相を考える人がいるでしょうか。絶対に日蓮正宗創価学会の行動、教義、すがた、また主義主張に対しては、だれびとたりとも大賛成をしなくてはならないし、大賛成をする時代にはいったと、私は訴えるものであります。
 しかし、広宣流布実現途上においては、まだまだ偏見、策謀、無認識による批判は、多々つづいてくることは覚悟のうえでございますが、私どもは、なにものも信ずることのできないこの世にあって、日蓮大聖人様のご金言だけは、絶対に信じきっていく、また、日蓮大聖人様のおんいのちである大御本尊様だけは、絶対に信じきっていくとの確信にたち、また私どもの信心の確信においては、権力にも、財力にも、あらゆる迫害にも屈服しない崇高なる信心を、われわれ創価学会員はもっているのだという、確信と勇気と襟度をもって、ふたたび無血平和革命にむかって前進していこうではありませんか。
 最後に皆さま方のいよいよのご健闘と、ご健康とを、心からお祈り申し上げまして、私の話とさせていただきます。

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