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日蓮大聖人・池田大作

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参院選の目的 北海道総支部幹部会

1962.4.15 「会長講演集」第6巻

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1  皆さん、こんにちは。元気いっぱいの皆さん方のごようすを拝見いたしまして、私はこれ以上の喜びはございません。
 聞くところによりますと、来月あたり、この会場で、ひとり二百円の切符を売って、生長の家の会合があるそうです。また、立正佼成会あたりでも、やっきとなって道場をつくって、勢力の拡張に励んでいるということも聞きました。
 いずれにせよ、彼らがどんな会合をしようとも、まず彼らは、大御本尊様を持っておりません。ゆえに幸福になる会合ではありません。反対に、わが創価学会のごとく、いずれの会合にあっても、団結と確信と歓喜に満ち満ちた会合は、いずれの教団、政党にもないと、私は断ずるのです。
 今、広宣流布に向かって、日蓮正宗創価学会は、日蓮大聖人様のおおせどおりに、ばく進をしております。この先頭に私が立っておりますが、力よわい私が、いくら騒いでも、励んでもひとりではどうしようもございません。創価学会員は、等しく大御本尊様を奉持し、ともに日蓮大聖人様の弟子であり、仏の使いであります。
 位の上下によって信心が決まるのでは、けっしてありません。功徳が決定されるものでもございません。
 私は学会の中心者として、ひたすらに同志の皆さん方、全学会人の方々が大御本尊様の功徳に浴し、一生涯、大御本尊様と離れず、いかなる闘争においても、ひとりも事故なく、歓喜に満ちた生活ができうるように、物心ともに、絶対的幸福生活ができますようにということだけを、朝な夕な祈っているものでございます。
 先日、理事長から聞いた話のなかに、理事長が、ある指導者と話をした。そのときに、理事長に対して、その指導者がいわく「創価学会は仏壇を焼き、香典を持っていく宗教ではないのですか」と。理事長は「なにを今ごろ、そんなことをいっているのですか。無認識もはなはだしい。仏壇を焼かせたり、香典を持っていったことは、ただの一度もない」といいましたところが、その人はびっくりして、「そうですか。それは、ずいぶん無認識でございました」といったそうであります。
 世の指導者ですら、そういう考えをもっている。いわんや、世間一般の人々が、学会に対して、どのように間違った先入観念をもっているかということは、推して知るべしであります。
 創価学会で「仏壇を焼け」と指導したことは、一度もありません。皆さん方は、そういう指導を聞いたことがございますか。ありませんね。
2  なぜ、そういうことが、世の中にひろまっているか。経文のうえにおいては「一切世間の人は怨多くして信じ難し」または「猶多怨嫉」すなわち法華経を信ずると、怨嫉する者が必ずでる。創価学会を批判しようと思っても、批判するところがないのです。まず、日蓮正宗創価学会には、絶対の功徳のある、幸福になる御本尊様があります。信心した人は、みな功徳を受け、歓喜に燃え、宿命転換をしております。また整然とし、統一がとれ、団結が堅いのです。どこからみても批判のしようがない。それで、なんとか信心をさせまいとして工作し、陰険なる策謀のひとつとして「創価学会は仏壇を焼く暴力宗教だ。香典を持っていってしまう」という以外に道がないので、世間に、こういう流言飛語をとばしていると私は思うのでございますが、どうでしょうか。
 日本の国は仏教国です。仏教のことを知る知らないはともかく、先祖を大事にします。仏教に対しては、いちおうの先入観念をもっている大乗の国であります。その仏教の国民に対して「仏壇を焼け」などといって、なんで法がひろまりますか。
 邪宗の本体は、本人が自分で焼く場合はありますけれども、そういう、暴言や方法をとってこれだけの学会人が、入信者がふえるわけもないし、そういう指導をしたならば、学会の今日はありえようはずがありません。
 したがって、創価学会の指導に対して、陰険なる邪宗の坊主が、どのようなことをいうかもしれませんけれども、私どもは忍耐強く、堂々と、しっかりと折伏行に励んで、この流言飛語を、この世から一掃していこうではありませんか。
3  また、その次に、われわれの同志がなくなったときに、「香典を持っていってしまう」という悪口があります。大御本尊様を根本として追善供養し、ていちょうにも、私どもが、その同志をお送りし、真心こめて私どもが香典をさしあげる場合こそありますけれども、その香典を、学会幹部や学会本部が持っていくなどということは、ただの一度もありません。民衆を救い、朝な夕な不幸の人々の味方となって、いささかの利益も考えないで、自分自身のおカネを使って戦ってきているのはわれわれであり、皆さん方ではありませんか。
 皆さん方のなかで、学会が香典を持ってきてしまったという人がありますか。そういう事実でもないことが、世の中には、いかにも、まことしやかに伝わっているのです。
 私は申し上げたい。もしも、そういう、事実でもないことをいって学会を悪口し、世の人々をまどわすような連中があったならば、最後の最後まで、それこそ追及をしていきたいと思うのであります。このようなことは、とうぜん名誉棄損であり、冒であります。皆さん方も、そのつもりで、この問題については、堂々と追及しきる戦いを展開していただきたいと切望するものでございます。
4  また、その次に学会に対していうことは、「宗教団体であるのに、なぜ選挙をするのか」ということです。これが最後に残った、ただ一つの問題になるのです。
 この問題について申します。大御本尊様を奉じたわれわれは宗教家ではなく、信者であり、学会はその団体です。御本尊様をたもった者が、自分だけの幸福を考え、安閑と利己主義で暮らしていいか。そういうことはいえません。真実に民衆のことを考える、今のこの民主主義の時代においては、真実に民衆のことを考える、そういう自覚をもった人であるならば、宗教家でも、信者でも、堂々と政界に立つことこそが正しいと、私は訴えるのですが、いかがでしょうか。
 日蓮大聖人様の王仏冥合という大理想の実現を図らんとするのが、わが創価学会の選挙の目的であります。なんだかんだといっても、立正佼成会でも、学会のマネをしたのか、参議院に立てております。天理教でもひとりかふたり、念仏のほうでもひとりかふたり、参議院に立てております。なにも学会だけが立てているのではありません。彼らの目的は名誉のため、打算のため、かつは宗派を守るためであります。
 わが創価学会の参議院選挙は、全民衆のために立ち上がった選挙でしょう。根本的に、立つ目的も違うのです。
 ここで私はおもしろいことがあると思うのです。立正佼成会は公称二百万人といっております。天理教は三百万人といっております。念仏あたりは数百万人もおったならば、十人で十五人でも、自分の宗派のなかから参議院へ送ったらどうかと思うのです。
 ぜんぶハッタリであり、それから、自分の宗派の力を誇張しようとする虚栄にすぎません。また、三百万人、数百万人といっても、現実には、どんどんどんどん日蓮正宗創価学会にはいってきてしまっていることを知らない“夢物語り”であると私は思うのですが、どうでしょうか。
 わが日蓮正宗創価学会は、今回だけでも九人、現議員をいれれば十五人、現実にどれだけの力があるかという証拠が、今度は選挙の票になると私は思うのです。
 三百万人、数百万人と彼らはいうけれども、学会は二百五十四万世帯、あくまでも真実の世帯数を内外に宣言しております。この得票数というものは、厳然たる事実です。支持です。この支持票を楽しみに、今回の選挙もゆうゆうと戦っていこうではありませんか!                            
 どうか、題目を声高らかに唱え、ひとりひとりが喜びに満ち満ちた、楽しい生活をしつつ、この選挙戦にのぞんでいただきたい。以上、切望申し上げまして、私の話といたします。ご健闘をお祈りいたします。

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