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日蓮大聖人・池田大作

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昭倫寺落成に 中野昭倫寺入仏落慶法要

1962.2.17 「会長講演集」第6巻

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1  本日は、たいへんに、おめでとうございました。皆さま方とともに、心からお喜び申し上げます。
 話が重複してしまいますけれども、なんといっても、創価学会にとっては、この中野教会は、もっとも縁の深い寺院の一つでございました。だが、私たちが信心する当時、中野教会というと、ひじょうにりっぱな、近代建築のキリスト教の、あのぜいたくな建物を連想しておりました。しかし、やっとの思いで中野駅を降りて、当寺へきてみると、あまりに小さくて、質素なお寺でびっくりしたしだいでございます。
 「歓喜寮、歓喜寮」とひじょうに愛称されまして、友だちなどを折伏して「これから歓喜寮へ行くのだ」というと「歓喜寮というのは、いったい、なんだ。お坊さんの寮があるのか。お坊さんにされたのではないか」と、こういうような笑い話があったことがありますが、今、御法主上人猊下より「昭倫寺」というお名前をいただき、この因縁深い寺院を、また大きい法城として、皆さんとともに、立正佼成会攻撃に、真剣に取り組んでいきたいと思うものでございます。しっかり、がんばりましょう。
 また、さきほどもお話がありましたが、私も十五年前に、この昭倫寺で、日淳上人より御授戒をうけたものでございます。したがって、私個人にとって、一生涯忘れることのできない寺院であります。
 ちょうど十五年前に、小平教学部長と、それから矢島尊師に連れられて、ちょうど日淳上人様の勤行ご導師をいただいて、たった三人だけの御授戒でした。それで私は、真ん中にすわらされてしまって、勤行がはじまったけれども、またひじょうに長い勤行で、びっくりしてしまいました。それで、日淳上人より御本尊様をお下げ渡しいただくときに、もう足がしびれて、このまま一生涯信心するのでは、もうたまったものではないと、もったいない話ではございますが、そのときは「信心はけっこうでございますから、きょうは御本尊様はいただかないようにします」と、その場所で、そういうように申し上げたのです。
 すると、日淳上人は「まあ、そういわないで、きょうは御本尊様をもっていきなさい」と、何回も何回も押し問答になりまして、とうとう日淳上人様は、ひじょうにがん固な方であって、私は負けまして、そして、ちょうだいして今日にいたったわけであります。
 私もはじめの動機をみれば、みっともない状態なのです。だが、むりやりに、日淳猊下が強引にといっていいぐらいに、御本尊様をお下げ渡しくださったおかげで、私は十九歳で日淳猊下の弟子となることができました。そのことに対しましては、心から感謝しているしだいなのでございます。
 その日淳上人が、おなくなりになる一日前、日淳上人よりお呼びがありまして、前理事長とともに参上し、柿沼総監が日淳上人の前でご証人のかっこうになられて、日淳上人が「きのう日達上人にいっさいの相伝を終わった。あとは日達上人にしっかりご奉公せよ」とご遺言をたまわったわけでございます。
 その日淳上人様のご報恩謝徳のためにも、ご恩返しのためにも、創価学会としても、また私としても、力のあらんかぎり、御法主人猊下に、日達上人猊下にお仕え申し上げて、そして日蓮大聖人様よりおほめのことばをいただき、また恩師戸田先生よりおほめのことばをいただくまで、私も全魂をうちこんで、今後また戦っていきますゆえに、皆さんも私とともに前進をしていっていただきたいと思います。以上をもって、ごあいさつといたします。

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