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日蓮大聖人・池田大作

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民衆は御本尊を待つ 第3回北海道総支部幹部会

1962.1.14 「会長講演集」第6巻

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1  皆さん、あけましておめでとうございます。本年もまた、大功徳を受けんがために、勇敢に仏道修行をしていくことを、私とともに、お誓いしあいたいものでございます。
 昨日、千歳の飛行場へ着きまして、お忙しいゆえ何回も出迎えを断わってきたのでありますが、ちょうど辻先生が、千歳方面のブロックの指導にきておられて、それが終わったところだといわれて、何十人か何百人かの同志が、わざわざ飛行場へきて下さいました。
 過去十年間、飛行場へ着いたときに、必ずといっていいぐらいに、多少にかかわらず、千歳方面の同志と飛行場で会ってまいりました。お会いして理事長と懇談をしたのでありますが、会うたびに、飛行場へ降りて感ずることは、同志の方々の身なりが一段と年々よくなっていること、顔色が正気に満ちていること、とくに、昨日あたりは、ほとんどの人が、いままでにみられない、裕福そうな、りっぱな姿であったということに対して、大御本尊様の冥益厳然たることを、理事長と喜んだものでございます。
 はじめのうちは、私どももそうでありましたが、髪の毛はクシャクシャ、夫婦げんかをしたあとみたいな顔をして、無産階級の代表なようなのが、わが学会人でありました。
 他の指導者は学会人に対して、心のなかでは、どれほどか軽べつの念をもっていたことであるかということも知っております。
 ほんとうの民主主義の指導者であるならば、学会人たりとも、ぜんぶ民衆の一員であります。にもかかわらず、心のなかでは軽べつをしていた。しかし、軽べつをしていた人々が、一日一日、一年一年、没落の道をたどり、反対に民衆のなかの最低の存在と軽べつされた学会人が、一年一年向上し、大きく大御本尊様に照らされて、時代が変遷しているという事実を、私どもは、たがいに喜び合っていきたいのであります。
 申すまでもなく、仏の出現は、なんのためにあるか。それは一切衆生の救済にあります。
 末法の御本仏、日蓮大聖人様の出現は、ひとりひとりの人間苦、悩みの解決、そしてまた、社会、一国の、一閻浮提の、すなわち全世界の人類の救済にあります。
 もちろん、商売のために出現したわけでもありませんし、口だけでじょうずなことを叫んでおられる方が仏さまでもありません。それは今の政治家であります。慈悲を根幹となされて、ぜんぶの人々を根本的に、永遠にお救いくださる、そのお方が仏さまであります。その日蓮大聖人様のご生命それ自体が、今度は御本尊様として残されております。
 おうおうにして、世間の人々は、「御本尊を拝めば病気がなおる、金がもうかる、悩みが解決するなどというこは非科学的である。どうも信じられない」というふうに、最初、私どもも、いってまいりましたが、そのようにいっております。
 しかし、どういう批判をするにせよ、事実、私どもは、大御本尊様をいただき、題目を唱えて、現実に悩みが解決しているというこの事実は、私は、なによりも絶対なる証拠であると思うのであります。
 日蓮大聖人様の仏法の奥底が、実践もせず、研究もせず、わかるわけがありません。そのような世間の人々の、蒙昧を開くために、柔和忍辱の衣を着て、私どもは、勇敢に、また本年一年を戦っていこうではありませんか。
 日蓮大聖人様即御本尊様を私どもが受持し、日蓮大聖人様のおおせどおりに実践をしているがゆえに、悩みも解決する、また宿命も転換されるのです。抜苦与楽、苦しみを奪い、楽しみを与えてくださることは、仏法の原理にもとづいて、とうぜんであります。
 だれがなんといおうとも、大御本尊様は日蓮大聖人様であり、日蓮大聖人様は、私どもを救うために出現くださっているお方であり、仏さまであり、その仏さまのいうとおりに実践するならば、どんなことでも解決することがとうぜんであるという信心に、奪い立っていこうではありませんか。
 また、日蓮大聖人様のおおせに対し、戸田先生は、よく申されておりました。それは、「鎌倉時代であれば、ヨロイは必要であった。また、太平洋戦争中であるならば、モンペが必要であった。しかし、今日では、ヨロイもモンペも必要ではない。時代が違うのである。暑いときには炭を売ろうとしても炭は売れない。ひじょうに寒い時に氷を売ろうとしても、売れるものではない。仏法もまた同じである。末法今時においては、ただ一つ、釈尊も天台・伝教も、そしてまた日蓮大聖人様が、三大秘宝の仏法のみが、末法万年尽未来際の衆生を救う仏法である。そのうえに立っての政治であり、文化でなくてはならない。そうでない政治や文化は、砂上の楼閣である」と断言されております。
 したがって、末法の民衆は、全世界の人々は、いわんや、もっとも大仏法に縁の深い日本民族は、心の奥では大御本尊様を渇仰しているのです。大御本尊を信ずる以外には、悩みを解決する道はないのであります。どんな人でも悩みのない人はおりません。末法今時において、大御本尊様を流布していくならば、どんどんひろまっていることは、日蓮大聖人様のおおせどおりであります。
 私どもは「折伏ができない。なかなか聞いてくれない」などという、そういうグチっぽい、弱々しい仏道修行や実践ではなく、「だれ人も心のなかでは大御本尊様を持っている。それ以外に、末法において、悩みを解決する直道は絶対にない。皆、御本尊様を待っているのだ」という大前提にたって、勇ましく折伏行に励んでいこうではありませんか。
 なにとぞ、おからだを大事になされ、おおいなる功徳を受けんがために、題目を声高らかにあげて、この一年間、喜び勇んで、私とともにいこうではありませんか。

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