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日蓮大聖人・池田大作

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師子に吠える犬、言論界 女子部幹部会

1961.12.5 「会長講演集」第5巻

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1  十一月の総会は、たいへんにご苦労さまでございました。
 日蓮大聖人様の御書のなかに『悪世末法』また『猶多怨嫉』と、たびたび申されております。たしかに『悪世末法』であり『猶多怨嫉』であるなということを、最近、またしみじみと感じたことがあるのです。
 そのひとつとして、先日ある有名な、まじめな方から聞いた話なのですが、創価学会のことについては、昭和三十年ごろより、創価学会のいいことは放送界等において発表するのはやめよう、悪いことはどんどん報道しようではないかという申し合わせになっていたそうなのです。
 それを聞きまして、まったくあきれた民主主義の国であるなと、おこるまえに、私はおかしくなってきたのです。これほどまで世の中がゆがみ、そして利害にからみ、日本民衆の幸福を、日本民衆の正しいありかたを指導すべき使命を忘れている公器・放送界というものに対して、なさけなく思いました。
 それは、なかにはりっぱな人もいると、私は思います。だが時代に流され、大勢の人に巻かれてどうしようもないであろうと思いますが、りっぱな指導的立場である放送界に『具眼の士がいないのかな』と私はさびしい思いになっております。
 しかし、必ずや広宣流布途上において、広宣流布を成就するためにおいては、戸田先生もよく申されましたが『言論界、放送界の協力が当然なくてはならない。また、協力をしてもらわなければ広宣流布はできない』と申されておりましたが、絶対に今後において、真実の民衆の声、幸福になりきっている何十万、何百万の大衆の声が放送界、言論界に反映しないわけは絶対にないと、私は思うのです。   
 また、心ある人は、日蓮正宗創価学会の正しいことを、はっきりと認識して、早くそれを全日本に、全世界に知らしめていきたいという人も出ていることも確信いたしますし、時がくれば、セキを切って潮のごとく日蓮正宗の、創価学会の姿が、正義が、正しさが報道されることも、私は確信するのです。          
 いいことも悪いことも、両方をそのまま報道するのが正しいわけです。悪いことだけを報道する、そんなバカなことはない。現実の社会の姿というものを、そのまま報道するのが報道人の役目であり、かんたんに考えても、道理のうえから考えても、当然であります。
 皆さん方、二十何万名の女子部のなかにおいても、どうか、おのおのの立場において折伏することは、それは真実の言論戦になりますが、五年先、十年先、二十年先に、りっぱな報道陣営のなかにはいって活動される人も、私は期待するわけなのであります。
 また、いま日蓮正宗創価学会に対して、どこから見ても悪口のいいようがない邪宗教の坊主等は、今度は『創価学会は宗教の仮面をかぶった政治団体である』このように各方面でいっております。 
 しからば、いまの坊主たち、邪宗教の連中の姿はどうか。ひとりの人を救っているか。大衆のなかにはいって、ひとりひとりの人を心から思い、救済しているか。
 墓番であり、そして、りっぱそうな顔はしているけれども、経文の意味も知らず、ただ安隠として、なんとかうまく自分のあがりさえあればいいというお布施ドロボウです。そのあがりがなくなってきそうであるもので、犬の遠ぼえのごとく悪口雑言をしているのが、いまの宗教界の現状ではないでしょうか。
 真実の宗教は、民衆のなかにあり、生活の原理であります。大衆から離れているものでも、生活から遊離しているものでもありません。いっさいが直結です。真実の信心は即生活法であり、生活はまた政治に連係します。即一です。いま、私たちがなさんとする広宣流布の理念は、大聖人様の『王仏冥合の仏国土を建設せよ』というご命令に基づいている闘争であります。
 したがって、日蓮正宗創価学会の私どもは、大聖人様の信者であり、だれひとり宗教で飯は食べておりません。国土である。また、戸田先生は『宗教家であってはならない』とおおせになりました。おのおのの立場で、当然りっぱな人材を、政治に直結している私どもでありますから、政界に送ることは当然の使命でなくてはならないと、私は思うのです。
 民主主義です。主権在民です。われわれのなかに主権があるのです。われわれは民衆のひとりです。
 したがって、なにも日蓮正宗創価学会だから、選挙することはいけないなどということはない。もしそうなら、邪宗教とはいえ、形式とはいえ、日本民衆の大半の人が、何々宗の信者である。何々宗の檀家である。みんな、なんらかの信者であります。では、ひとりも選挙権がないことになってしまいます。そんなバカな道理はありません。したがって私どもは、あくまでも日蓮大聖人様のおおせどおりに、ひとすじに進んでいこうではありませんか!
 最後に、明年度一年間を、声高らかに題目をあげ、心豊かに信心修行をしきって、大功徳をうけていただきたいと思います。

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