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悠々と宗教革命 第17回本部幹部会

1961.9.27 「会長講演集」第5巻

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1  十月の四日に皆さま方を代表して、大客殿の資材の購入等を目的として、欧州に行ってまいります。なにとぞ留守中は理事長を中心にして、幹部の皆さん方は各部署をしっかり守って、私の帰るのを、また待っていただきたいと思うのであります。 昨年の渡米のときにもお話し申し上げましたが、十月の四日に皆さん方のなかで、見送りに行こうという方が、また出てくるのではないかと心配しますもので、はっきり申し上げておきたいのです。
 それは、晩も遅いし、いらっしゃる時間があったならば、その分をぜんぶ、指導の時間に、また一家の団らんの時間におつかいになっていただきたいと思います。
 ただ理事室で、近くの何人かの理事の方々が、皆さん方を代表して、お見送りにきてくださるということになっておりますから、その点だけは、よく私のいうことをきいていただきたいと思います。きょうも、この幹部会で見送りを受けたことでございますから、なにとぞ約束を破らないようにお願いします。
 それからヨーロッパへ行くといいましても、いまでいえば、名古屋か大阪へ行くようなものでありますから、遠くのどこかへ行くのではありません。御本尊様からみれば庭先へ遊びに行くようなものでありますから、いちいち大阪や名古屋へ行く場合に、歓送、歓迎はぜんぶ中止ですから、いっさい、そういうムダな時間は永久に学会は中止していくと、これでいいでしょう。
 次に申し上げますことは、小さい話でございますが、私がある考えから、この半年間、来年の闘争のことも決意し、タバコをやめておったのです。理事室をはじめ側近の大幹部が、いまは寝る時間も惜しんで、好きな酒もぜんぶやめるような姿で、非常に申しわけないような、心苦しい思いできておりました。それこそ本部においては、命をかけた、毎日毎夜の闘争であります。
 戸田先生もかつて、『宗教革命の闘争は、裕福なものはなにも遠慮しないで、月々二へんや三べん、温泉へ行きながら、宗教革命をしていけばいいのだ』とのお話がありましたが、私もそういうふうに回りの人に窮屈な思いをさせたり、無言のうちに圧迫をさせてしまうようなことは、絶対にしたくないのです。
 峻厳なる信心は根本でありますが、信心第一に、これだけの強い団結がある創価学会が、来年の闘争を悠々と勝てないわけがありませんし、最高幹部をはじめ、皆さん方がのびのびと闘争しきっていっていただきたいと思うのであります。
 私も一生懸命タバコを吸います。そんなちっぽけなことに、こだわる必要はありません。なにも、そういう戒律などは守る必要はないのですから。だからといって、べつに、うんとのんで胃をこわさないという意味ではありませんよ。ぜんぶそういうことは、自由です! いっさい学会は自由です。ただ『御本尊様だは、絶対、死ぬまで放さない』これが学会精神でありますから。
 それから、次に、申すまでもなく、創価学会は折伏の団体であります。折伏ということは、日蓮大聖人様の御金言であります。また、末法における、ただ一つの成仏をすべき仏道修行です。仏道修行ということは、実践ということです。大聖人様が『折伏をすることが仏道修行だ。折伏をすることが大聖人様の仏法を実践することになる。その結果、成仏の境涯を会得し、大功徳になるのだ』とおおせでありますが、そのとおりに実践しているのが創価学会であります。
 したがって、日蓮正宗創価学会から『折伏』という二字を抜いたならば、あとはなにもありません。したがって、だれびとがなんと批判しようとも、一生涯、折伏は大聖人様の弟子として、家来として、子供としてなさねばならないことでもあります。わが創価学会としても、永久に折伏行に進んでいくことは当然であります。
 しかし、いま皆さん方に提案を申し上げますことは、日蓮正宗において七百年の間、大御本尊様を授与するということは、お下げ渡しをするということについては、じつに厳格でありました。そのうえで、牧口先生、戸田先生、大幹部の方々が会ってから、御本尊様を授与した時もあったのです。
 大東亜戦争のあと、あまりにも日本民衆が不幸のどん底に落ちたがゆえに、戸田先生が一日も早く、少しでも多くの人に、大御本尊様にお目にかからせてあげたい、拝ませてあげたいという慈悲から、時の御法主上人猊下からお許しをえて、いまの本尊流布の大闘争に進んでいるのです。
 私は、折伏は永久にしていきます。一瞬たりとも休みなく闘争しなくてはなりませんが、三百万世帯の声を聞いたならば、今度は御本尊様を授与することについて、あくまでも理事室、支部長、または地区部長の面接によって、この人ならば授与してよい、この人はまだまだ内得信仰させたい、もっとも不幸である、法を求めている、悩んでいるという、そういう人だけに、御本尊様をお下げ渡しをしていくようにしたら、これは正しいのではないかと思うのですけれども、どうでしょうか。
 どうか一日も早く大御本尊様をいただき、学会の幹部として闘争してこられた皆さん方は、いよいよ偉大なる襟度に燃えて、三百万世帯の声を聞くまでは、当然このままで押していきますけれども、それからはそういうような態度で、悠々たる地湧の菩薩、大指導者の精神、確信と襟度をもって、不幸な人々を救っていこうではありませんか。いよいよのご健闘をお祈り申し上げ、来月の幹部会にお目にかかることを楽しみにしております。

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