Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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宿命転換の大仏法 青年部合同追善法要

1961.9.11 「会長講演集」第5巻

前後
1  私は子供のころから、からだが非常に弱くて、入信してからも恩師戸田先生にも非常にご心配をかけてきた身であります。両親も私のからだについて非常に心配をしてきました。『三十までは、とうてい生きることはできないであろう』といわれるほどの弱いからだでありました。
 今、からだが弱いということだけでも、両親はどれほど心配するか。いわんや、かわいいわが子をなくした親の悲しみというものは、どれほど苦しいであろうかということを私は感じたのです。
 かつて、十二、三年前に、神田の旧本部から水道橋の駅まで、戸田先生にごいっしょ申し上げ、先生を水道橋の駅にお送り申し上げた途中、二匹の犬が先生の前を通りました。一匹は健康な犬、もう一匹の犬は足のびっこな犬でありました。
 その犬をご覧になられて先生が『片方のびっこの方の犬が、あのようにケガをしてびっこをひいている。偶然ではない。やはり、因果の理法、宿命、あの犬だけが背負っていかねばならない宿命によって、びっこになったのである。人間も同じである。どうしても、自分として幸福になりたくても、死にたくなくても、不幸になり、死んでいかなければならないのが、それが宿命である。その宿命、生命の不可思議、宿命の転換をしきるために、どうしても偉大なる生命哲学、大仏法、大御本尊様の必要があるのだ』ということをうかがって、私は若いわが身に、非常に感動にうたれたことがあります。
 いずれにせよ、いま、青年部の同志が、若く、広宣流布の途上において死んでいかれた。大御本尊様を拝み、妙法に照らされて、広宣流布を目ざして、死んでいかれた同志は、必ずや大福運を積み、また新しい、若き生命の活力を受けて、この世に生をうげ、また私ども同志とともに戦っていくことは、御書に照らし、御本尊様に照らして、絶対、間違いないことであります。
 願わくは、日蓮大聖人様の家来であり子供である私どもは、地涌の菩薩らしく、あくまでも生命は永遠であるということを確信し、また一生成仏を念願し、広宣流布という最高善の大道をまっしぐらに進んでいける、信心より開いた目、信心より開いた心をもって、大きく、また一歩前進をしていきたいものであると確信申し上げ、私のあいさつといたします。
 本日はご苦労さまでございました。
2  19610915 老人の日に寄せて
3  きょうは老人の日でありますので、登山された七十歳以上の方に記念品をさしあげたい。
 私は、みなさん方の孫にあたる年なのですよ。このメダルをつけていると、どの会合でもはいれるのですよ。
 この日を記念して、私もはいって、みんなで写真をとりましょう。

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