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日蓮大聖人・池田大作

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立宗七百八年の新春展望  

1960.1.1 「会長講演集」第4巻

前後
1  立宗七百七年は『黎明の年』であった。そして、昭和三十五年、立宗七百八年は『前進の年』である。
 本部から打ち出された三大方針を全学会員に徹底させ、その目的を完遂するための『前進』である。そして、支部が、部隊が、または自分自身が発展し広宣流布へ向かって前進しゆく年である。
 この『前進』ということばは、本来、青年部に与えたことばであった。ゆえに青年部こそ、全学会員の推進となって、前進されんことを希望する。
 広宣流布の途上において、七十五万世帯が第一段階、百五十万世帯が第二段階となるといわれている。ひとつの基準を達成するために百五十万世帯の折伏目標が、打ち出されたのであって、当然、それ以上やってはいけないというのではない。
 この百五十万世帯という数字は、もう七、八年もまえになろうか、日淳上人と戸田会長先生とのお話の中に、出てきたことばである。すなわち『百五十万世帯になれば、広宣流布も間近だ』と、話されたことがあった。
 このおことばを、そのまま信じ『広宣流布近し』との自覚を新たにし、ことしも、おおいに折伏しぬこうではないか。
2  会長戸田先生がいらっしゃたときから、努力してきたが、まだ、真実の姿とはいえない。しかし、日淳上人の御遺言を実現しなければならないという自覚をもって、いまこそ、その達成にむかって邁進すべきである。本年もまた、全国十二か寺の建立が予定されている。日蓮正宗の繁栄は、とりもなおさず、学会の前進を意味するものである。
 本年は、選挙などの、華々しい、大きな闘いがないから、ともすれば、個々の信心に、行き詰まりがくるおそれがある。この点を、幹部自らが自覚しなければならぬ。
 会長先生が『まず、幹部自らが自覚せよ』といわれたが、いまこそ、このおことばのとおり、実践すべきときである。
 地区部長会、班長会などの会合をもつのも、まず、幹部自体が、日蓮大聖人のお教えを、戸田先生の御指導を、間違いなく行なっていくためのものなのである。ひとりの退転者もださぬよう、十二分に、信心の指導を行なうのが眼目なのである。
 各支部も、地区も、班も、そして部隊も、団結のある組織であり、充実した会合をもつように、努力すべきである。
3  春には、近畿、九州方面に新支部の誕生もあり、中国総支部、東北総支部本部および京都地方の会館も建設される予定になっている。このように、学会が、発展すればするほど、個人の信心の充実が、大切になってくるのである。
 本年は、教学をとおして、信心の、大きな増進をはかっていかなくてはならぬ年である。
 なぜならば、さきほども述べたように、これといって、大きな戦いもなく、地味な年であるから、教学部員が、御書をとおして、感激と歓喜のある信心を、わきたたせなければならない。
 幹部は、観念的に、信心の指導ということを知っているが、御書こそは、甚深無量であり、日蓮大聖人の御説法であるということを決して忘れてはならない。
 幹部自らが座談会に出る、ということを絶対に守らなければ、学会の将来に対して、たいへんなことになる。支部幹事や地区部長に聞くと、一月にいっぺんしか、座談会に出なかったとか、いっぺんも出なかったという者もいる。
 座談会へ出て、第一線に立ってみて、初めて、学会員ひとりひとりの実際の姿がわかるのであって、幹部自らが座談会主義でいかないと、せっかくの企画も、砂上の楼閣となってしまう。座談会の席上で一対一の信心指導をし、折伏をするための幹部会であり、企画会であり、組織なのである。
4  これは、創立以来の学会の伝統であり、戸田先生、牧口先生も、自ら座談会にお出になられた。師匠の後に続くのが弟子の道なのだという自覚を、さらに新たにしてもらいたい。学会が、発展していけばいくほど、創成期にもどって、実践していくところに、永久性が確立できるのであると思う。
 一月早々をきし、三回忌に向かって、全力をあげて、遺品の結集を行ないたい。
 原稿、お歌、論文、書、手紙、御愛用品など、おそばにいた弟子たちが、いただいたもの、一般学会員がもっているもの、御親族にお願いするもの等がある。そして仮称『遺品室』のようなものをつくって、未来永劫に、先生をしのぶために、おさめておきたいとおもう。
 まず、録音レコードが、すでに五巻まで刊行され、次の準備も、すでにできている。春には、三百ページぐらいの、すばらしい装丁をした戸田先生の巻頭言集も、発刊する予定である。その次は論文集をと、会長先生のお教えを、七巻ないし十巻ぐらいにまとめて発刊する予定である。
 邪宗教に対しては、全学会員が、一致団結し、断固として戦う決意である。一歩もあとへはひかぬ。
 仏法上においてはもちろん、国法上においても、学会は、けっして間違っていないのである。社会の上層部の人々、または多くの学者たちは、学会の正しいことを、すでに、よく認識している。
5  青年部諸君よ、本年も、おおいに、戦おうではないか!
 一月中旬に、東京、中部、中国四国の水滸会、華陽会が発足し、すでに発足した北海道、東北、関西、九州とともに、全国的に発足することとなる。
 会長先生より教えをうけた、東洋広布への具体的指導指針を、そのまま、次の後輩たちに、伝えていきたいと思う。私も、全国くまなく出席して、薫陶していくつもりである。
 まず、青年部員諸君に対しては、総会で語ったことで尽くされているから、聖教新聞をよく読んでもらいたい。
 学生部員の諸君は、学会の宝であり、日本の宝でもある。あくまでも、信心を根本に、おおいに勉強していってもらいたい。政治、経済、法律、文学等、それぞれ、自らの分野において、思う存分活躍できる人材になってほしい。海外派遣とか、その道の権威者を招へいして、ゼミナール形式の研究会などを開き、おおいに応援もしたいとおもっている。
 最後に、ことし一年間も、ひとりひとりが、大きく成長して、功徳をうけきっていってもらいたい。そして、ひとりの退転者もなきよう、心から切望してやまないものである。(当時総務)

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