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日蓮大聖人・池田大作

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ネール首相の平和論  

1958.1.1 「会長講演集」第4巻

前後
1  アジアにその人ありといわれる有名なるネール首相。わが国を訪問し、十数日間滞在した。
 彼は、英国統治下の祖国インドの完全独立をめざして、指導者マハトマ・ガンジー、およびタゴール等とともに、青年期を政治革命に身を投じたのである。インドの民衆に、平和を、自由を、幸福をと叫びつつ、入獄九回、十三年間にわたる牢生活にも屈せずして、今日、完全独立を達成した彼の業績は、まことに偉大といわねばならない。
 ゆえに、訪日にあたって、わが朝野の歓迎は、戦後、第一級のものであった。われらも仏法発祥の国たるインドの英雄、ネール首相には、また多大の関心をもつものである。
2  まず、ネール首相の日本各地で行なった演説に耳を傾けてみよう。すなわち猊下の世界情勢を説いていわく『現証的な面、技術、科学の分野における、偉大な前進と心理的な面、道徳精神の領域におけるおおいなる失敗が、両方とも同時に行なわれているのである。これら、二つの間には、大きな間隙があり、平和など求めるわれわれの努力は、みな、大きな間隙のゆえに、失敗しているのである』と、十月八日、国民歓迎大会においての講演の要旨であった。
 また、東京大学においては『今日の世界にあっては、一方に科学と、技術のすさまじい進歩をみ、この進歩を生んだ人間の知性の力に対しては、だれしも尊敬と、驚異の念に満たされるのである。しかし、他方、この同じ人間の精神がたえずつまらぬ争いに没頭し、たがいに憎しみ――国際的な憎しみ、個人の憎しみでいっぱいである。すなわち、一方では神聖ともいうべき、極めて高いもの、他方で悪魔的でさえある非常に低いもの、この人間の精神がもつ二面性を、私は、いまだに理解できない』として、平和幸福への障害の原因をば、鋭く指摘しているのである。
 そして、その解決策として、次のように述べた。『それは、精神的な方法を、導きいれて、解決の道を見出さないかぎり、また、ひろやかな人道的なものの見方を展開しないかぎり、また、憎しみと暴力を通じては、同様な問題の解決もありえない。憎しみと暴力を精算し、友好的な協力精神を推進するにあり』と彼は叫んでいったのである。
 そのほか、各地で説いた演説要旨は、いずれも、今日の発達せる科学に対し、精神文化の強調をば結論されたのである。ここにおいて、私たちは失望し、深く思うところがある。一世の英雄ネールの到達した結論とするところは、やはり、儒教、キリスト教哲学的思索の仁義・博愛の域を一歩も出ていないということを。
 首相みずから、あゆみゆかんとする第三の道では、抽象的であり、全東洋を指導していく根本理念とはいえぬであろう。仏法発祥の地であるインドには、はや生きた仏法のなきこと明瞭である。三千年以前において、すでに釈迦は、末法の世相をさして説く。『五濁悪世』と、あるいは『白法隠没、闘諍言訟』と、また『貪・瞋・癡・慢・疑』等と喝破されている。
3  現代において、だれびとも一応到達するところは、この、釈迦の予言せられる精神文化の廃退の点であることは、疑う余地がなかろう。そうであるとすれば、ネール首相の思想は、いずれも、われらには耳新しいものではない。彼もまた、一個の凡夫にすぎない。ゆえに、国内の政治、経済の諸問題についても、過去の独立への大闘争にまして、さらに重大なる段階に達していることを自覚せねばならない。賢明なる彼は、必ずや、民衆救済への、根本理念の追求をばなさねばならぬことを思索していることであろうが。
 すなわち、インド民衆の信ずるゆえんは、ヒンズー教であり、隣国、パキスタンにおいては回教である。ネール自身、これらの思想、宗派が、いかに、インド独立運動に対して、障害になったかは、痛切に感じているはずである。にもかかわらず、たんなる人道主義、道徳思想のみをもって叫んでおっては、不滅の平和は成しがたいであろう。さらに、将来のインド民衆の幸福の確立は、できえないものである。
 これを思えば、まことに、同情を禁じえない。資本主義の発達に対し、共産主義の台頭、科学文明の爛熟に対し精神文化の要求等の正、反の思潮は当然である。しかし、首相の人道平和主義を、百万言ついやしても、人の生命の真の浄化はありえない。
4  それには、ただひとつ、末法の救世主、日蓮大聖人様の生命哲学による以外に、断じてありえないのである。その実践としては、三大秘法の大御本尊様を信じ、行ずる以外に解決の道はないのである。
 『天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国ふそうこくをば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月にまされり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ
 世界の思潮は唯物思想も偏していることを知り、唯心哲学も低級思想であることを知る。科学思想のみにては、人生の幸福をもたらすことができえぬことも知る。
 所詮、東洋哲学の真髄である日蓮大聖人様の仏法によってのみ、偏することなく、かつ、科学をも最高に、人類の幸福にもたらしゆける哲学なのである。(当時、参謀室長)

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