Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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身命におよぶとも退転することなかれ 法華行者逢難事を拝して

1957.9.13 「会長講演集」第4巻

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1  『今既に時来れり四菩薩出現したまわんか日蓮此の事先ず之を知りぬ、西王母の先相せんそうには青鳥・客人の来相には鳱鵲かんじゃく是なり、各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ設い身命に及ぶとも退転すること莫れ
 日蓮大聖人様が末法の御本仏であるという確たる証明は、法華経勧持品の二十行の経文のごとく、三類の強敵の出現であり、数々見擯出の事実である。そして大聖人様は、三類の強敵あらわれおわってのち、すなわち弘安二年に法体の広宣流布をなされたのである。
 ゆえに、いまこの御書を、われわれの立場で拝するとき『今既に時来れり……』とは、炭労事件、大阪事件、また毎日の新聞・雑誌の報道機関等の学会批判の動きであり、僣聖増上慢のあらわれと断ずる。そして大悪は大善の瑞相なりのおおせのごとく、やがて化儀の広宣流布にいたる瑞相でなくてはならない。
 日本に第三の火がともる。原爆のおののきは全世界の共通の憂いである。この悪鬼、魔ものの征服は、日蓮正宗の仏法の利剣によってなす以外にないときが、ついにきたのである。このような世界情勢のなかにあって、上行、無辺行、安立行、浄行の四菩薩は、最高の文化の建設である国立戒壇の建立を間近にして、必ずや出現せられていることと確信するのである。
 また『各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ設い身命に及ぶとも退転すること莫れ』とは善につけ悪につけ、いかなる大難ありとも、絶対に御本尊様を離れてはならない。『しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし』また、このときこそ『師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし』とのおおせである。自身の罪障消滅、そして宿業転換の大事なときであることを、よくよく思索すべきでありましょう。
 『身命に及ぶと云云』御義口伝には『事理の不惜身命之れ有り、法華の行者田畠でんぱた等を奪わるは理の不惜身命なり命根を断たるを事の不惜身命と云うなり』『今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』この文を、よくよく心得て、いまこそ、われらの人間革命をなすべきでありましょう。(当時、参謀室長)

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