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日蓮大聖人・池田大作

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運命の人・楽聖ベートーベン  

1957.8.30 「会長講演集」第4巻

前後
1  『ああ、勇気が出てくる』とロシアの文豪トルストイは、叫んだ。
 フランスのロマン・ローランは『彼の音楽こそ、芸術の権化である』と激賞した。
 またゲーテは『恐ろしく、大きく、狂的のようだ。まるで家がぐらぐらしそうだ』と驚いたといわれる。
 彼の作曲は、数奇な運命のしからしめるごとく、激情的なものが多い。シューベルトの女性的に対し、あくまで男性的である。
 『第九シンフォニー』『運命』『英雄』『クロイツェル・ソナタ』『月光の曲』等は、その代表的作品であろうか。作品の評価はわからない。しかし、音の感覚より、あの美の世界を創造していった、彼の一念の強さよ。
 一個の芸術家の、風をなびかせ雨をふらせ、波を巻き起こすがごとく燃えあがる情熱の偉大さよ、宇宙の妙なるリズムをおのが生命に調和せしめ、限りなく泉のごとくわきいずる幽玄な響きの不思議さを、感嘆せざるをえない。
 彼ベートーベンは、一七七一年、十二月十六日に、ライン河畔に生まれた。五十六歳の、波乱に富んだ人生を終えるまで、孤独と、貧惨の連続のように思われる。
 とくに臨終にさいして、三日間にもおよぶ苦悶は、聞く人をして、読む人をして、地獄のごとき姿を感ぜしめるのである。彼もまた縁覚の域を出でない凡夫であったのだ。音楽家の命は、耳であらねばならぬ。しかも彼は、生涯のいちばん大切な時期に聾になってしまったのだ。
 それゆえに、後世に残る数多くの、不朽の名曲は、さらに偉大さを物語る。その立場から、彼の姿をみたい。自己の作品を創造するに、狂人のごとくであった。水車小屋にはいりこみ、思索、思考しつづけて、出ることを忘れ、かつは、あゆみながら天を仰ぎ、地に伏して思索する姿が目に映る。ほんの一小節を作るにも、全魂を打ちこんでいささかの努力も惜しまない。
 そして権力にも屈せず、金銭の目的でもなく、芸術へのひたすらな精進であった。しかも、『聞こえぬ、聞こえぬ』と、狂人のごとくなって絶叫し、自殺まで図ろうとした彼の『運命』に打ち勝とうと、煩悶しつつも、雄々しく、戦いゆくところに、楽聖といわれるゆえんがあり、作曲の創造があったのであろうか。
 あくまで、自己との戦いであった。また、自己の作品に、自信と、自尊心をもっていた。
 音楽の都、ウィーンに、貴族の集会での演奏中、彼は、若い貴族と、婦人との話がいっこうにやまぬを見、自尊心をきずつけられ、演奏をピタとやめ、大声で『こんな豚どもに、もう、だれが、弾いてやるものか』と叫んだといわれる。人々の説得も聞かず、すたすたと帰って行く彼であった。
 彼は、八歳にして、音楽会に出場する天才であった。父の商売的に育ていく姿に反発し、芸術の向上を願って、良き師を求めゆく姿を、みのがせない。その師に、モーツァルトがあり、ハイドン、その人があったのである。
 音楽は文化の響きである。妙法に照らされた偉大なる音楽家よ、広布の黎明をまえにして、その出現の一日も早からんことを願う。(当時、参謀室長)

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