Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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革命と情熱の詩人・バイロン  

1957.6.23 「会長講演集」第4巻

前後
2  ギリシャ独立の勝利を目前にして『おれはあとにかわいい者を残して死ぬ。さあ、おれは少し眠るぞ』そういって寝返りをうち、こんこんと眠ったまま、ついにふたたび覚めることなく、しかし彼が絶命したのは、あくる日の夕暮れごろであった。雷鳴とともに豪雨がどっと降り、兵士も牧人たちも、バイロンの死を知らなかったという。時にバイロン三十六歳。
 バイロンは民衆を愛し、祖国を愛した。そして自分の生きがいは、その方法の善悪は別としても、自由のために、まっしぐらに戦うこと、そしてその実現には、観念でもなく、ペンでもなく、第一に実行、第二に実行、第三に実行と叫んで、革命運動に自分の本懐を見出したのである。
 『英国よ、われ、なんじを愛す。あまたのきずはあるがまま』と、祖国を愛した。
 バイロンが全英国民の胸底を揺り動かしたるギリシャに対する同情は、怒濤のごとき勢いで英国の政界に起こってきた。バイロンの憎悪したる反動的キャッスルレーは、すでに自殺して、自由主義の戦士キャニングが英国の外相の位置にあった。彼はこの世論の波に乗って、ギリシャ援助の声明を発して、トルコよりギリシャを救った。
3  死せるバイロンは、生きたるトルコを撃破したのである。そうして今日、ミソロンギーの寒村を訪るる人あらば、円柱に刻まるるバイロンの名をさして語るであろう。
 『ここに勇者の碑あり。彼は自由を愛したり。ゆえにきたりてギリシャのために死せり』と。
 情熱の詩人バイロンも、イタリアの革命詩人ダンテも、日本の若き文豪高山樗牛も、大聖哲の仏法を覚知せず、その情熱も永遠不滅の平和の戦さではなかった。真の自由の犠牲でもなかった。
 外道のときのわこうどなりとも、人生を生ききった。妙法五字に照らされたるわれらは、永遠につながる情熱を薫発して、広布に生ききるべきであろう。(当時、参謀室長)

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