Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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最高哲学を学ぶ喜び 助教授をしての感想

1953.1.1 「会長講演集」第4巻

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1  『聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云う』とのおことばがあります。聖人とは仏の別名であり、日蓮大聖人様の御事である。
 過去遠々劫より尽未来際まで、通達解了あそばされておられる御本仏の説法のお文字が御書であります。
 世の中には経済学の大家もいる。政治学の専門家もいる。社会学の先生と、法律の先生もいる。しかし、経済にせよ、社会にせよ、科学にせよ、文学にせよ、すべて人生(生命)を離れて存在しえない。所詮、社会現象、経済現象、科学現象等、すべてそれらをつくり動かし、かつ感ずるのは生命である。
 生命を離れて宇宙なく、生命を離れて社会も、国家も、世界もないゆえに、生命哲学が個人ならびに世界平和の本源である。その生命とは何か。生命と宇宙との関係、生命と世界との関係等等、最高哲理を明らかにされているのが御書であります。その本体は御本尊様であることは申すまでもありません。ゆえに御本尊様に題目を唱えることが根本であり、御本尊様とは何か。信心すれば、どうして功徳があり、反対すれば罰が出るかの私たちのいちばん大切な生活原理が説き明かされているわけであります。
 過去の何百、何千人という哲学者らは、この原理を明かさんとして、生涯勉強しぬいたのである。ソクラテスしかり、ニイチェ、カントしかり、また、ヘーゲル、プラトンも同じであった。彼らは、ひとしく皆、低い未完成の結論に終わっている。国家も個人も、その行動の指針、航路の基調は皆哲学であり思想である。
 今日まで幾千年来、学者等のひろめた哲学(思想)は、いまだかつて人類も、世界も、個人も救いえなかった事実は、現今の原爆の恐怖の渦中の姿で明らかなことである。
 私たちは、いま、二十数億の民族にさきだち、だれびとも知らぬ大哲学を勉強している喜びを感ぜずにはおられない。大臣も知らず、学者も教育家もまた同じく……。
 私たちは蒙昧なるアジア民族に目を開かす使命があるのだ。三世永劫に変わらぬ甚深無量なる哲理、厳粛な教義、はたまた御慈悲あふるるおことばを、つつしんで心奥にきざみ、日本国の眼目になるために、また東洋の指導者となるために、いっそうの教学に励むべきである。(当時、男子第四部隊幹部長)

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