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日蓮大聖人・池田大作

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本部幹部会 会長就任にあたって

1960.4.26 「会長講演集」第4巻

前後
1  創価学会は、非常に不思議な団体で、会長になりてがないのです。えらく、ほかの第三者からみれば、不思議な宗教団体であろうと思うのです。結果として、いちばん若い私をこういうかっこうにされてしまったのです。かわいそうと思っていただきたいのでございます。
 あくまでも、私は、恩師戸田城堅先生の残された、御遺訓を実践する立場でまいります。私には、なんらカがございません。謙遜でも、なんでもなく……。
 しかし創価学会には、大御本尊様が、絶対なる大御本尊様がございます。
 また、初代会長牧口先生より難断をうけられている小泉、和泉、原島、辻先生、そしてまた婦人部においては、柏原先生が厳然とおります。二代会長に、じきじきに薫陶をうけられた石田理事をはじめ、北条理事、ならびに、たくさんの大幹部が、キラ星のごとく盤石の構えをなしております。したがって、私がごとき力のない者でありますけれども、どうかひとつ安心しきって、楽しく、たくましく、幸福へ、一生成仏へ前進していただきたいと切望いたします。
 したがって、私のことを恩師戸田先生と間違えて、会長先生なんていう呼びかたは、はっきりおやめになっていただきたいことを申し上げておきます。会長先生は戸田城聖先生、師匠です。私は弟子でございます。私どもは、ぜんぶ等しい弟子でございます。
 また会長になったからといって、地方に行った場合に『会長がきたから駅へ迎えに行かなくてはならない』『オーバーを着せなくてはならない』というようなことも、いっさい必要ありません。私は、あくまで分隊長、組長、班長のような気持ちで、いままでと同じく、気軽に、また誠心誠意、御法のために、広宣流布のために、青年らしく、活躍をさせていただきたいと思います。
 したがって、恩師戸田城聖先生は、お力が絶対ございました。したがって、私どもを救ってくださって、かつまた、われわれを守ってくださってこられました。
 今度は、反対に私が、広宣流布に一応、同志の中心として、そうして指揮をとらせていただくうえにおいて、第四代の偉大なる会長にバトンを渡すまでは、その大任がまっとうできますように、皆さま方が、御支援、御協力をしていただきたいと思うのでございます。
 そうでないと、力がありませんから、皆さん方を引っぱっていって救う、指導しきる、教えていくことができませんから、反対に、今度は守っていただきたい。率直にこのことをお願い申し上げます。私がダメになったならば、皆さん方は責任者です。これでいいでしょうか。
 そういうわけで、いままでと同じように戦ってまいりますゆえ、ある場合には、暇はないかもしれませんが、映画館にも行かせていただきますし、それから古本屋にも、パチンコ屋というわけにもいきませんけれども、行くかもしれないし、ヤキトリ屋にも行きますし、そういう姿をみて、どうも、今度の会長は退転らしいなんて、そういうふうに批判をしないでいただきたいと思うのです。はじめに、お願いします。青年らしくいきます。人間らしく、学会人らしく、宗教家ではなく、国士らしく、私どもは進軍していきたいと思うのでございます。
 また、ただいま原島先生から指導がありまして、その指導は、これからの根本指導原理になっていくと思います。いろいろと原島先生をはじめ、大幹部の先生方から、この点においては、おうかがい願って、伝達主義、形式主義をせんぶ排除して、これからはあくまで恩師の教えを実践する立場で、実践主義、実質主義において座談会の徹底をしていただきたいと思うのです。
 もう、くどくど申し上げる必要はないのでありますが、日蓮大聖人様御在世中、大聖人様の布教の方法の原理も、座談会であられたと、うけたまわっております。けっして、辻説法ではなかった。あれはあやまりです。初代牧口先生、そしてまた二代戸田城聖先生のあらゆる経験のうえから、究極の方法は、座談会がもっとも大御本尊様を流布していく直通である、近道であると残されておられます。したがって、元にもどって、座談会の徹底をしていかなければならないと思います。
 座談会、これは民主主義の縮図です。二時間半のあいだ、信心、宗教、正しい仏法を知らない人に、こんこんと話し、また質問を受けながら教えていってあげるということは、もっとも民主主義の縮図であるし、一般会員の人々の指導であるし、大衆のなかにそのまま生きていく学会の姿であるし、これが最高の、仏道修行の、広宣流布への、国家諌暁の近道であると思うしだいでございます。
 したがって、私も反省しますが、幹部になってきますと、『先生』とまつりあげられて、どうしても人間の常として惰弱になる。一般会員の人々が、一生懸命に闘争しているが、だんだん切実なる応援をしていくことを忘れる。うるさがってきたり、めんどうくさくなってくるおそれがあります。蔀観を暖炉の中で窓越しにみているというふうになるおそれがある。そうではなくして、私どもは、あくまでも、暖炉の中へはいらずに、その雪の降っているなかに飛び込んで、大衆の幸福のために、また信心をまだまっとうできない人のために、真剣に、楽しく、仏さまの使いとして働かせていただきたいと思うのでございます。
 教学の点については、信心は教学を要求し、また教学は信心を推進する。戸田先生の指導でございますが、大聖人様の御説法を、じきじきにおうけしている、この感激をもち、一言一句たりとも知らない人に教えていく。仏界であり菩薩界であり、また声聞界の働きでございます。甚深の仏法を、大聖人様の教えを、そのまま、じきじきに、お教え願う。ここに、大きい信心折伏の原動力がわいてくるわけであると思います。学会には、厳然たる教学部長がおります。わからないところがありましたなら、なんでもかでも会長が知っているだろうとせめないでください。そのために、たくさんの幹部がいるわけですから。
 最後に、また一か月間御本尊様のお使いとして、不幸の人々を救って、この次の会合の幹部会には、少しでも明るい顔で、宿命転換して、そしてまた、たくましい、力強い姿を、この会場に結集しなくてほならないと思うのです。
 大聖人様のたまわく『月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』、日日、月月、年年が、毎月の幹部会の総決算でなければならないと思うのですね。
 したがって、会長先生がなくなる年の三月の幹部会のとき、戸田先生は一か月間、大講堂の落慶総登山がありますゆえに、本山へ行かれ、残された幹部の理事の方や私どもが、一か月間、大講堂の総登山であるから、幹部会は今月は、やめようではないかと申し合わせたところ、戸田先生は非常におこられ『なにをいう、幹部会がもっとも大事な総決算であり、次の一か月間の大きい出発ではないか。大事な節ではないか』としかられた覚えがございます。月々の幹部会ごとに、個人も、支部も、そして地区も、組もせんぶ向上していけるような、幹部会でありたいと念願するものでございます。
 どうかひとつ、戸田会長先生は、戸田の門下生であるならば、霊山にまいったときに、戸田の弟子であると申せ、そうすれば必ず大聖人様の御元へ行ける、霊鷲山に必ず待ってあげるとのおおせがございました。まじめに信心し、忙しいなかに、まじめに折伏に励んでいるわれわれを、大御本尊様が、見捨てるわけもないし、また恩師戸田会長先生のいわれたことの、おことばを信じ、有意義な一生をおくりたいと思います。(当時、総務)

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