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日蓮大聖人・池田大作

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男子部幹部会 信力・権力・財力をもて

1960.4.5 「会長講演集」第4巻

前後
1  たいへんしばらくでございました。
 徳川家康は、人生は重い荷物を背負って山道を登っていくようなものであるということをいっておったそうですが、広宣流布を成就するという学会の歩みも、会長先生のお歌をとおしてみると同じであると思います。
 妙法の広布の旅は遠けれど
   共に励まし共々に征かなむ
 したがって、短兵急の即戦即決のいくさでは広宣流布はできない。一日一日の私どもの闘争学会活動というものは、絶対重大であるし、有意義であらねばなりませんが、一生のいくさ、は、広宣流布のいくさは、一日一日勝利をえて、広宣流布の勝利が成就できる。あたりまえなことであります。しかし、短兵急だけで、あと疲れてしまって、一万㍍の競走をする人が、五百㍍ぐらいまでは一番だったけれども、千㍍ぐらい行ったら、いちばんビリになっちゃった。二千㍍ぐらい行ったらひとりもいなくなったなどという、そういうことではいけないと思います。
 したがって広宣流布への闘争は、短距離競走ではない。遠征のいくさではないかと思う。その意味において、しっかりと信心をしぬいて、信心をみがいて、自分自身の足もとを着実に踏みしめて、そうして信心のうえでも、生活のうえでも、仕事のうえでも、微動だにしない、信心即生活の一日一日を勝ち取っていくべき前進が、広宣流布達成の重大なる推進であると、私は叫びたいのであります。
2  先生は、広宣流布をするためには、大御本尊様を信じきる信カが根本である。第二番目には権力が大事である。第三番目には財力が大事であるとおおせになっておりました。
 大御本尊様を信じきる。これは学会の根本義です。『法華経にまさる兵法なし』『雪のような真っ白い信心をしなさい』『願いとしてかなわざるはなし』『以信代慧』人間革命の宿命転換の根本の信心です。仏道修行の二生成仏への、根本の信心です。広宣流布を成し遂げる人々をつくっていく一念も信心からです。信心が根本であることはとうぜんでございます。信力と行力が大事である。まず第一番目に、それがなくなったならば、広宣流布はできない。民族を、人類を救うことはできない。このように、つねづね私どもに訓育してくださいました。これは、もうおわかりのことと思います。
 第二番目に、権力。権力などというと、なんだか国家権力みたいに聞こえるかもしれませんが、そうではなくして、主権在民です。大御本尊様を大勢の人が拝んで、納得して、たしかに日蓮正宗の仏法が民族のためにも人類のためにも、絶対これ以外にないとなる、そうすれば自然に、政治も経済もよくなっていくわけです、宗教が根本ですから。大勢の人が信心すれば、だんだんだんだん、良い人が政治家にもなってきます。国民運動、国民の世論というものが最高のカですから。
3  そういう意味において、いまはあらゆる点で日本民族は分裂しています。自界叛逆難です。こないだも、三回忌に、もと大臣であった人がきまして『もう国民運動や世論は、学会さんにはどうしようもない、学会をたよる以外ない』なんて、おせじをつかっておりましたが、もっとも国を思い、もっとも平和を願っていく、大聖人様の哲学を根本としての、創価学会のありかたに対して、弾圧しょうと思ったり、破壊しようと思ったりする、そういうことがずーっと七百年のあいだ、法難としてひとつの日蓮正宗の美しい物語みたいになっておりましたが、そんなことはいっておられません。
 民族を救い、人類を救うためには、そういうような、三類の強敵といいましょうか、三障四魔といいましょうか、学会をなきものにしよう、壊そうという力に対しては、反対に今度は主権在民の権力でもいい、または、われわれの団結の世論の最高の力でもいい、そういうやつは、粉砕していくだけの力をもつことが、権力であると思うのでございます。いちいち弾圧なんか、法難なんかされている時代ではありません。
 もっとも学会は全衆生の最大の味方です。邪宗教は敵です。資本家は労働者と相克です。アメリカ人はソ連人と相克です。あいいれません。唯物論者は唯心論者とあいいれません。いっさいが相克の世界です。
 だが、学会は全人類が味方です。全人類を救う大目的があります。敵は邪宗教です。その最高の哲学と、最高の理想と、最高の信念をもっている学会です。弾圧するものは、学会をいじめるものは、断固として粉砕するという力をもっていこうではありませんか!
4  また、第三番目には、財力をもって広宣流布をするためには、それこそ、そうとうの活躍をしなくてはなりません。四十代になり、五十代になって、サイフのなかには、七十円というのでは、ちょっと、かっこうがつかないわけです。いま、二十代は、三十代は、もっとも仏道修行に、広宣流布に、肉弾的に戦っていかねばならないときでありますが、いま、金をもうけようなどという意味ではありません。それは四十代、五十代でけっこうです。いまはその基礎です。いま生活を破滅にするよう安直な気持ちであったならば、人間完成もできませんし、広宣流布のときに裏長屋にはいらなくてはならない場合がある。そういうような生き方であってはならない。
 財力をもつということも、御法のために、または広宣流布のために、ぜんぶそれが大きい糧です。そういう意味の財力です。
 いま財力は、われわれはなくてもいいです。また、ありませんが、そのかわりに、体力が必要でしょう。体力または、それぞれの分野における力です。教学の力でもいいでしょう。指導の力でもいいでしょう。あらゆる、いまの境遇にあって、それぞれ広宣流布の大人材となっていくべき力を養っていかねばならない。どこの会社へいっても、青年部を巣立って四十代、五十代になっても、まるで守衛か小使さんばっかりだというわけにはいきませんよ。いまが、その基礎をつくるときです。
 そういう意味からも、力をつくっていく。なんらかの、おのおのの境遇で、おのおのの性格で、おのおのの因縁の立場で。それが広宣流布の大原動力となるわけです。
 財界、文化の世界、政界、科学界、教育界、あらゆるところで力を養っていかねばならないと思う。そういう意味において、自分の生きる道を、はっきり力づけていただきたい。こう思うしだいなのです。
5  さきほどから、いろいろなお話があって、もうあと、付け加えることはありません、ひとついつとは申し上げられませんが、二十万、三十万の青年部が、宮城前か、国立競技場か、どこかへ集合して、天皇陛下にもきてもらい、総理大臣やあらゆる階層の人々にも出席するようにしてさしあげて、世界の青年のシンボル、日本民族を救う青年の姿、日蓮大聖人様の大哲学というものを、このように私どもはたもち、推進しているから見給え、見なさいという証拠を、はっきりといっぺん、男子青年部であらわしていただきたいと思うのです。
 どんな政治家でも、指導者でも、法華経でなければ、日蓮大聖人様の哲学でなければ、どうしょうもないということは、心のなかでは知っているのです。だが、勇気がないというか、見栄っぱりというか、ヤキモチというか、なかなかいえないのです。
 しかし、さきほどもお話があったかもしれませんが、三井三池炭坑の争議、それから天災、日本の政界の前途、あらゆる点から、国際情勢からみて、それは心配です。このままでは、しあわせはないことは事実です。どうしても創価学会の力しかない。あらゆる点からみて、これだけは、はっきりしております。
6  男と生まれて、ある人は政治家となって戦っている人もおります。ある人は労働運動に一生を捧げている人もおります。ある人は芸術家になって一生を終わっている人もおります。さまざまの世界で、さまざまに生きておりますが、ぜんぶ今世だけの問題です。永遠の問題ではありません。いくら政治家になったとしたって、総理大臣になったとしたって、大聖人様の哲学を知らなければ、すぐに次の総理大臣によって政策は変わります。いくら経済家であっても経済も変わっていきます。
 みんな変化されていきます。そのうえに立って、私どもは、永遠に変わらず、永遠に根本的に救っていける、日蓮大聖人様の大生命哲学のうえに立って、人々を救い、自分自身の人生観を確立できたということは、最高のしあわせであると信じていただきたいと思います。(当時、総務)

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