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実践こそ弟子の道 戸田先生三回忌御題目講

1960.4.1 「会長講演集」第4巻

前後
1  戸田城聖先生におめにかかり、指導をうけながら、大御本尊様を拝することができた私どもは、世界最高の幸福者であると、私は信じます。
 戸田先生は仏さまであられます。したがって、平等に人々を見てこられました。
 全員がしあわせになることを念願しての御一生であられたのです。
 したがって、いま私どものなかには、先生を知っている方々もおりますし、先生を慕ってはおりますが、先生にじかに指導をうけなかった方々もたくさんおります。そのことについて、反省もし、考えもしていかなければならないことがあると思います。
 それは先生より薫陶をうけた人々は、先生のおおせどおりに、まっすぐに、清らかに、後輩に教えていくべき義務があります。自分の利益のために先生のことをいう、後輩に対して『自分は先生より指導をうけたから偉いのだ』といいたいがために先生を利用する、『私は先生にかわいがられたから、私は先生に手紙をもらったから、私は先生に何回もお会いしたから』というように、自分を守るために、先生というものを利用していっては、断じてならないと思うのでございます。
 大聖人様の御予言、御書をとおして、先生は身・口・意の三業で、その大聖人様の仏法をお読みあそばされました。
 それと同じように、いま先生なきあと、先生をぜんぜん知らない学会員であったとしても、先生の御教訓は、レコードに、聖教新聞に、大白蓮華にきちっと残されておりますゆえに、先生の、その理念を、純粋に、勇敢に実行したものが、真実の先生の弟子であると、私は思います。
 たとえ先生を知らずしても、先生におめにかからなかった学会員の皆さま方であっても、けっして卑屈にならないで、先生の御精神にこたえる道は、先生のお教えを実践すれば通ずると確信して、前進していただきたいと切望します。
 また、先生の御精神は、せんずるところ、あくまで大御本尊様は絶対である、御本尊様を拝めばしあわせになるということに尽きます。とともに、学会の目的は広宣流布にある。それは先生の御精神であります。したがって、信心をしぬき、一生成仏をするためにも、広宣流布をするためにも、三障四魔、三類の強敵の現れることは御金言であります。
 このことについては、理事長も先日の巻頭言にふれておりましたが、会長先生がおられる時代はよかった。会長先生なきあとの学会は、非常におとなしく、事件もなにも起こさなくて非常によろしいとほめられるよりも、会長先生がおられる時代はよかったが、先生なきあとは、どうも学会は強すぎる、やりすぎるといわれることがあたりまえであるし、そのように全宗教界から、批判のマトになっていったほうが、大御本尊様のおほめもありますし、会長先生は喜んでくださると思うものでございます。
 べつに無理に乱暴せよとか、無理にそういう行動をしようということでは絶対にありませんが、どうかひとつ、次は、七回忌を目標に、きょう登山しました追善供養に参加できた私どもが、また七回忌には『こんなに先生、成長いたしました。こんなに大きく、幹部として育ちました』と御報告できるようなひとりひとりであっていただきたいと切望して、ごあいさつにかえます。(当時、総務)

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