Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

題目ですべてを解決 足立支部幹部会

1960.2.12 「会長講演集」第4巻

前後
1  なんといっても、いちばん大切なことは、題目を唱えることです。ぜんぶ題目から始まるのです。折伏ができない、生活が苦しいと悩んでいるだけでは解決しません。ただ南無妙法蓮華経、これが信仰の根本ではありませんか。
 会長先生は、毎日五座三座をきちっとやり、月一世帯の折伏を一年間続けてやって、願いがかなわなかったら、戸田のところへ文句をいってこいといわれておりました。これは有名な話です。
 一年間、こういうふうにやってみようと発心したら、自分の一念にいいきかせていく。一年間わが一念はこういうふうにやってみようと、私は題目をよけいにあげていけば解決すると思うのです。自然に喜びが出る。楽しくなってくる。元気よくやっていきましょう。
 さきほどから、いろいろの話がありましたが、そのなかから、なにか発見して、実行していきなさいよ。信心は実行です。そして本部の幹部に、折にふれてお付き合いしていきなさい。御本尊様の前にはみな同じだ。ちっとも偉くない。どれだけ自分は、しあわせになりたいのか、どれだけ真剣に御本尊様につくすか、折伏の師匠は戸田先生、根本の師匠は大聖人様、御本尊様です。その教えをわかりやすく教えてくださったのが戸田先生です。
 先生は、全学会員が功徳に満ち満ちてきたときが広宣流布だと、おおせでした。
 広宣流布は、あなた方ぜんぶが幸福になったときです。
 自分も幸福になるのだと決めきって、折伏し抜いていきましょうよ。では、いままでに死んだ人の場合はどうかというと、あとに残った人が幸福になるのです。ずーっと信心していっても悩みはあります。毎日毎日暇があったり、おいしいものが食べられたり、金がありあまっていたのでは、功徳も感じないし、しあわせは感じられません。苦しみを乗り越えてこそ、そこにしみじみと幸福が感じられるのではないですか。
 また、こんな罰がでた、よし、利益に変えてしまおうとやっていけばいいのでしょう。ずいぶん一生懸命やっているようでも、それは罪業によって形のうえに出ない。それはありますよ。そういう意味から、功徳を求めるには、苦しみもあったほうがいいですよ。映画だって、最初はいろいろとあっても、最後にハッピーエンドになるのでいいでしょ。理論からいっても、そうなるのです。忍耐強くやっていきましょう。
 ぜんぶ自分自身のためなのです。広宣流布のためでもないし、学会のためでもありません。悩んで終わるのも一生、批判して苦しむのも一生です。永遠に貯金できるのは、題目と折伏の数です。しみじみと幸福を味わっていきましょう。一度は死ななければならないのです。信心をやめても、ろくな死にかたはしません。国家のためにも家のためにも、おとうさんは御法につかえて死んだんですよといわれたほうがいいでしょ。
 経文にも随力演説とあります。おとうさんはおとうさんとして、青年は青年として、あくまでもしっかり受持していく。そしていいきっていく。ただ御本尊様を疑わない。おのおのの立場で、がんばっていくことなのです。御本尊様のお使いです。あくまでも、毅然として法を下げないことです。今晩も大勢集まっていますが、みんな退転しないで、励ましあって、仲良く進んでいきましょう。(当時、総務)

1
1