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日蓮大聖人・池田大作

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宗教は学会に聞け 静岡支部幹部会

1960.2.5 「会長講演集」第4巻

前後
1  いまインテリなどは、宗教というとかならず盲信であり、非科学的であり、信仰、宗教は力のない者がやるのだと決めきっている。これが世界の現状なのです。私どももそう思っておりました。
 いま私がいいたいことは『宗教をいうならば、まず日蓮正宗のことを研究せよ!』ということです。他のいろいろな間違った宗教は、漠然と雲をつかむみたいな立場で、宗教観、宗教論を戦わせている。これでは結論はつかない。大きなあやまちがでるのです。
 日蓮正宗を研究してみて、たしかにこれは正しい、間違っている、これはダメだと、このように宗教観という基準をもつべき時代にはいったということを叫んでおきたいと思うのでございます。
 それから科学のことは科学者に、経済学のことは経済学博士に、政治学のことは、政治学者に聞くのがとうぜんです。お茶のことはお茶の先生に、マイクロホンのことは電気技術者に聞けばいいのです。『なにもかも創価学会に聞け』そうはいえない場合だって、たくさんあります。
 ただ、日蓮正宗創価学会が、もっとも宗教のことを研究し、最高の宗教を知り、日夜実験証明をしておるがゆえに、宗教のことは日蓮正宗創価学会に聞けといいたいのです。そうなれば、間違いありません。他の宗教家や宗教団体は、宗教の『し』の字も知りません。また法華経のなんたるかも知らないのです。そういう意味で、第二番目に申し上げておきます。
 次に組織の問題ですが、地区、班、組を大きく支部といいます。組織、組織といっても、せんじつめれば、人間と人間との関係なのです。命令、圧力ではなかなか人というものは感情の動物であり、かつ理性の持ち主ですから、なかなかうまくいかない場合があるのです。
 信心を根本にし、広宣流布、その人の幸福ということを基準にして、その人が信心しやすいように指導していかねばならない。いっさいの働きが、人間が人間にいっているのだということを忘れてしまうと、冷たい、命令的な、楽しくない組織になる恐れがある。ですから、あくまで、激励し尊敬しあって御本尊様を拝む、広宣流布をしていく、その人の幸福を思うという中心点を忘れないように、学会活動にはいったならば、どんな苦しみも、まるでお風呂から出たみたいに楽しかった。会合に早く行きたいというようになる、そうした会合であってほしいと切望するものです。
2  最後に申し上げますことは、いかなることをするにも題目の数です。お題目を唱えずして、このわれわれの信心も生活も活動もありえない。全部、お題目です。前進、前進といいますが、まことの前進は、お題目をあげることにつきるのです。それからいっさいの前進ができるわけです。そういう意味で、しっかりお題目をあげ、そして毅然たる勇気ある折伏行をしてほしい。
 それなのに批判したり、誹謗したり、疑ったりしては、すぐに功徳を消してしまうのです。消さないようにして、しみじみ信心してよかった、こんなに幸福になったという実感をうけるような幸福をうけていただきたいと思うのです。みずからが功徳をうけるためには、謗法があってはなりません。疑いがあってはなりません。
 あくまでも題目をあげ、人を尊敬し、仏になっていくのが、私どものただひとつの目的でございます。
 信心して二年、三年で信心を決めないで、十年、二十年と信心しきっていけば、振り返ってみて、大功徳をうけた結果がみえてきます。木だって毎日見ていれば、ぜんぜん成長した姿がみえません。子供だって、生まれてすぐ働きに行くというわけにはいきませんよ。二十年ぐらいかかります。
 同じく信心も、この『心田』に仏種を植えたのですから、あとは、毎日、毎日、三障四魔に負けないで信心をしていくのです。あたかも草木が、虫が、それから、いろいろなものに負けないで育っていくみたいに、負けないでさえいれば、十年、二十年たってくると、仏の命が、春爛漫と咲くにきまっているのです。どんなことがあっても、御本尊様をはなさない、受持即観心といいますね。受持しきっていくことが信心なのです。そうした疑わないという絶対の信心を続けられんことを切望します。(当時、総務)

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