Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

戸田先生の遺品結集 総務談話

1960.1.22 「会長講演集」第4巻

前後
1  現在、総本山には、日蓮大聖人様の御遺品がかなり保存されているが、お弟子の方々が熱心に集められたものであろう。それと同じく、今度、学会でも戸田先生の御遺品を収集することになった。よろしく協力していただきたいと思う。
 なんといっても、戸田先生の御出現がなかったならば、いまの広宣流布の姿はなく、われわれもまた信心することはできなかった。これをもってみても、どれほど戸田先生が日蓮正宗にとって、大事な、不思議な御出現であったか……。これは七百年来なかったことである。
 戸田先生はみずから『地湧の菩薩の棟梁であり、折伏の師匠なり』とおおせになられた。折伏こそ、いっさいの功徳の源泉であり、折伏するところに広宣流布があり、折伏するところに成仏もある。戸田先生はその師匠であった。
 この折伏の師匠の御生涯こそ、永遠にわたる活動と拝し、その遺品を収集するとことは、広宣流布にすすむ弟子として、とうぜんのことではなかろうか。明治大帝や尾崎咢堂だって、実際にみな遺品が残されている。すべて故人をしたう一念からである。
 戸田先生の場合はこれらとまた違う。先生の原稿やお歌を拝すると、ぜんぶ脈々たる広宣流布への生命の気概を感ずるではないか。そこには無言の指導があるのである。勲章だとか刀だとか、また衣服とかの形式的なものではなく、厳然と広布への指導をとっておられるお歌であり、原稿なのである。そのことをわれわれがしのんでいくことは、まことに大事なことと思うのである。
 次にわれわれは戸田先生を主人とし、師匠とし、親として信心のありかた、人間としてのありかたなどをいろいろな角度から学んできた。峻厳なまでに仏法を根幹とし、応用して、夫としての、また妻としての、あらゆる姿を教えていただいたのである。
 同じく、われわれはいま、世の指導者として、偉大な先生の一面や一部分でなく、その全体を知っていかねばならないと思う。遺品収集にあたっては、けっして神格化したり、過大評価があってはならない。戸田先生のありのままの赤裸々なおふるまいを先生の身近な遺品をとおしてしのんでいきたい。これが弟子としての心情である。もったいなくも、大聖人様の遺品も総本山にある。やがては戸田先生の遺品集をつくって、記録や指導関係のものも含めていくつもりである。あくまでも広宣流布を願い、大師匠戸田先生の指導をしのぶための収集であることを知っていただきたいと思うのである。(当時、総務)

1
1